25首長、戦跡で平和誓う 松本渡嘉敷村長が体験談


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渡嘉敷住民の「集団自決」などの様子を語る松本好勝村長(右)=13日、渡嘉敷村「集団自決跡地」

 【渡嘉敷】沖縄県町村会(会長・高良文雄本部町長)の第179回定期総会が13日から1泊2日の日程で、渡嘉敷村で開かれた。同会は県内30町村(11町19村)で組織し、今回は25町村から首長25人、同事務組合職員ら7人が島を訪れた。

 渡嘉敷村営旅客船「フェリーとかしき」で島を訪れた町村長らは初めに、松本好勝渡嘉敷村長らの案内で、去る大戦で犠牲になった同村民らの霊が眠る慰霊塔「白玉之塔」や、沖縄戦で住民330人が「集団自決」(強制集団死)を強いられた「集団自決跡地」を訪ね、手を合わせた。

 松本村長は当時の様子を語り「自身の家族は1945年3月28日に北山(にしやま)の、この集団自決場で日本軍から渡された手りゅう弾で自決を図ろうとしたが、父の手りゅう弾が不発だったためその場を逃れ、自決現場から離れた山中で自分は翌29日に生まれた」と語った。首長らは「九死に一生を得てよく生き永らえた」と声を上げていた。

 島袋秀幸伊江村長は、戦時中の45年5月から伊江村民約1700人が翌46年7月まで、米軍から渡嘉敷村に強制移住させられ島の民家などに強制収容されたことなどを話した。

 その後、国立沖縄青少年交流の家研修室に移動し、事務組合主催の定期総会に臨んだ。日本サッカー協会顧問の手島秀人氏による「JFAこころプロジェクトについて」と題した講演も行われた。(米田英明通信員)