<金口木舌>沖縄に生かされて


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 「なぜ沖縄に来たのだろうか」。移住者は、常に問われ、自らに問う。1973年から沖縄で暮らす寺田柾(まさき)さん(73)が、最近出版した自分史「東京に生きて 沖縄に生かされて」で問い、答えた。「東京に生まれ育って芝居をしての29年間。それはそれでいとおしい半生だけれど、『もういい』と思った。終った。遠くに行かなければならない」

▼造園技術者としてオリオンビールの「花の国際交流」事業に参加し、同社に入社。ハワイ、南米の県系人の協力で熱帯花木を集めたこの事業が、沖縄の街を彩るイペーなどのルーツである
▼移住した頃、タクシーに乗らなかった。「ナイチャー」だと分かると「運転手の表情が一瞬変わる、そんなことが気になる時代だった」と書く
▼県外出身者に複雑なまなざしが向けられることが多かった時代。そんな地で、裏方の労をいとわず走り回る姿がウチナーンチュの先輩たちに愛された。出版祝賀会にはそんな先輩たちが集った
▼妻は沖縄テレビ元キャスターで環境ジャーナリストの麗子さん。祝賀会の謝辞で夫を移植した木に例え、「皆さまのおかげで、枯れずに何とか根を張って、やってこれました」と二人三脚の人生の感概を込めた
▼懸命に生きた自負と感謝がにじむ「沖縄に生かされて」という言葉。共感する「ナイチャー」は少なくないだろう。金口子もその一人だ。