<金口木舌>沖縄の青年団気質


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 皆で考え、行動した。足元を見据えて復帰を論じ、平和を求めた。歌が好きで酒を愛した。これをうちなーの青年団気質(かたぎ)と呼ぶならば、15日に亡くなった中根章さんは、その気質を貫いた政治家だった

▼2012年末、オスプレイ撤去を求める「サウンドデモ」を思い出す。音楽に合わせ、宜野湾市の国道58号を歩いた。足取りに年齢を感じたが「こんな楽しいデモはない。平和の歩みだ」と意気盛んであった
▼その頃、中根さんを会長とする中頭青年団OB会は普天間飛行場大山ゲート前で頻繁に集会を開いていた。ここでも車座で歌った。「うたごえ運動の延長だ」とにこやかに話すその笑顔は、中頭青年団のリーダーだった若き日を思わせた
▼社会党県本書記長、県議会副議長という肩書を持った。県議を勇退した20年前、「県議とは何か」と尋ねたところ「常に地域を歩き回り、多くの住民の意見に耳を傾けることが原則」という信念を披歴してくれた
▼その原則を楽しみながら守った。車座で杯を傾けるのが流儀である。青年団気質のたまものでもあろう。「比謝川をそ生させる会」もこの中から生まれた
▼中頭青年団OB会の夜の集いに何度か顔を出した。中根さんを囲む熱くて楽しい議論の輪に「若き沖縄」を見た。訃報を聞き、改めて思う。この若さによって沖縄は苦境にあらがい、時代を切り開いたのだ。