Our MOTY 2016 - Kazuchika Okada

リングに金の雨を降らせる“レインメーカー”、オカダ・カズチカ

今年もっとも活躍した男たちを讃えるアワード「GQ Men of the Year」がついに発表された。本連載では小誌執筆陣が“極私的”に推薦する2016年の顔を紹介してきたが、今回が最終回。最後は今尾直樹が推薦するプロレスラー、オカダ・カズチカ。
リングに金の雨を降らせる“レインメーカー”、オカダ・カズチカ

文・今尾直樹

レインメーカー、オカダ・カズチカの魅力とは? Photo: 平工幸雄 / AFLO

2016年の某日、テレビのチャンネルをあれこれザッピングしていて、新日本プロレス中継の「オカダ・カズチカ特集」に目が釘付けになった。アントニオ猪木がリングを去って早幾年、いつしかプロレスを見なくなって何年も経つうちに、こんなスーパースターが現れていたとは!

プロレスは死なず。

オカダ・カズチカ、別名「レインメーカー」は1987年11月8日生まれとWikipedia等にある。ということは現在29歳。身長191cm、体重107kgという恵まれた身長と肉体、さらに驚異的な身体能力を持つ。

驚いたのは常識破りのこんな技だ。たとえば、相手をコーナーポストのトップロープに運び、下からのドロップキックでリング下に叩き落とす。もちろん、これはトップロープの高さからリング下に落ちてみせる相手の選手もエライわけである。3mぐらい下に体重100kg以上の人間がダイブする。痛いよ、きっと。もっとも、私の想像力はそちらには向かわず、ただただオカダの跳躍力とドロップキックのフォームの美しさに見惚れた。

リングに落ちた選手を追いかけ、場外の鉄柵に相手の足を引っ掛けて、そこからDDT、フロント・ネックロックのまま、自分が後ろが倒れこむようにして相手の頭を床に打ちつけるという非情な荒技を使う。

でもって試合の終盤、両腕をバッと広げて天を仰ぐ。「レインメーカー・ポーズ」である。それから、ジャーマン・スープレックス・ホールドのように相手選手の後ろに回り、左手で相手の右の手首を持ってグイッと引っ張ると、相手はコマのようにクルッと回って正対する。そこにすかさず相手の首元めがけてラリアットを叩き込む!これがオカダの必殺技レインメーカーなのだった。

3カウントを奪うと、マネージャー役の外道がリングに上がり、「レインメーカーはよ、レェベルが違うんだよ」とマイクで叫ぶ。「レインメーカー」なる愛称は、「雨が降るように大金を稼ぐ」弁護士を描いた1997年のフランシス・F・コッポラ監督の同名の映画からとったもので、入場の際、あるいは勝利した後に自分の肖像画入りの紙幣「レインメーカー・ドル」が会場に雨のように降り注ぐ。拾いに行かなくちゃ……。

そのシーンは、80年代〜90年代にWWF(現WWE)で活躍した、「ケンカ番長」テッド・デビアス演じるミリオンダラー・マンのパクリながら、外道からマイクを受け取ったオカダは、初々しさを残した声とツヤでこう叫ぶ。「俺が新日本プロレスの中心にいる限り、新日本プロレスに、いや、プロレス界にカネの雨が降るぞ!」

以来、私はザッピングのたびにBSテレビ朝日も注目するようになり、おかげで10月10日、両国で行われた丸藤正道とのIWGP選手権試合も見ることができた。それは2016年でもっとも興奮した至福の時間であった。

丸藤はプロレスリング・ノアの所属で、団体を背負っている。そのプロレスセンスと運動神経でもって、「天才」と呼ばれてきた。馬場の最後の弟子、ということは力道山の孫弟子にあたる彼が逆水平チョップの使い手であるのはごく自然に思える。一方のオカダは新日のチャンピオンであって、つまりアントニオ猪木系なのである。元気ですかー。1、2、3、ダーッ!

天才・丸藤とレインメーカーの試合は、やってやられてやられてやる、という攻防が表裏一体、めまぐるしく変わる現代プロレスの模範のようだった。終盤、丸藤が押しまくり、あわやというところまでチャンピオンを追い込むと、あるところでガラリと転調、オカダが三沢光晴の必殺技エメラルドフロンジョンを繰り出し、レインメーカーから3カウントを奪って勝利した。結局は耐えて耐えて最後に勝つという力道山以来の日本のプロレスの王道ストーリーでまとめられていた。おそらく、2016年のプロレス大賞のベストバウトに選ばれるのではないか。

両国大会は国技館に9671人の大観衆を集め、超満員だったという。オカダ・カズチカでネットを検索していると、こんな逸話が出てくる。2013年、オカダ・カズチカはスランプに陥るや、メキシコ修行時代のハングリー精神を取り戻すために世田谷区内の高級住宅地に引っ越し、家具を新調、高級車のシボレー・コルベットを購入するなど1000万円をパーッとつかった。現在の愛車はフェラーリ488GTBで、選んだ理由は「フェラーリは絶対王者ですからね」。16歳でプロレス界入りした少年は、プロレス再興を担う、本物のレインメーカーになったといえそうだ。

じつのところオカダ・カズチカが新日本プロレスの至宝IWGPのベルトを初めて巻いたのは2012年のことで、たとえば東京スポーツ主催のプロレス大賞のMVPに、12年、13年、15年と過去3度も選ばれている。今ごろ“極私的”とは言え「Men of the Year」に推すのはオカダ・カズチカに失礼な話だけれど、2016年、私のようなプロレスと疎遠になっていた人までファンになったということでお許しいただきたい。

折しも2016年はアメリカ大統領選挙の年だった。勝ったのはご存知のように不動産王のドナルド・トランプ氏で、トランプ氏が2007年にアメリカのプロレス団体WWEに出ていたことはよく知られている。「アメリカとメキシコの間に、メキシコの負担で美しいカベをつくる」というような彼のデタラメな主張はプロレスで学んだ、という説もある(もともとそういう男だった、という説もある)。

2017年、世界はプロレス化する。ニッポンにオカダ・カズチカがいることは光明である。

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