「70年たち、父が帰ってきた」 戦中の水筒、遺族の元へ


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「西田」と書かれた水筒を手にする西田晴夫さん(右)と「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん =埼玉県新座市

 2008年に那覇市真嘉比の工事現場で見つかった、沖縄戦当時の水筒が17日、埼玉県新座市で遺族の元に返された。水筒を受け取ったのは、栃木県足利市に住む西田晴夫さん(73)。2歳の時に出兵した父・宇吉さんの遺品を握り締め「父親がこうやって握っていたんだ」とかみしめた。父親の遺骨はなく、晴夫さんは「水筒だけでも見つかってうれしかった。70年たち、子どもの所に帰ってきてくれた」と話した。

 沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」(具志堅隆松代表)が水筒を見つけた。水筒には「西田」と「二ノ三ノ三」と書かれていた。これを基に、第44旅団独立混成第15連隊第2大隊第5中隊第3小隊第3分隊に所属していた宇吉さんの所有物と割り出した。具志堅さんは当時、新聞で遺族へ呼び掛けたが、連絡はなかった。

 晴夫さんは今年6月、家族を連れて沖縄を訪問。糸満市の平和の礎で、宇吉さんの名前を確認したという。その後、家族が偶然インターネットで08年の「水筒発見」を伝える記事を発見。具志堅さんと連絡を取り、具志堅さんの上京に合わせて、手渡すことが決まった。

 晴夫さんは「父は、妹が生まれてすぐに出生した。母は出産直後に1人になり、無理がたたったのか、数カ月後には他界した」と振り返る。晴夫さんはその後、妹とは別々に親戚に預けられ育った。「両親がいてくれたらと思ったことはある。70年たって、父も帰りたかったのかな」と話した。

 具志堅さんは、安堵(あんど)しながらも「国から遺族に連絡を取る制度があればよかった。国は遺品でもいいから見つけたいという遺族の思いにもっと敏感になってほしい」と話した。