右半身まひから快挙 仲里光雲さん、30年ぶり日展書部門入選


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日展2度目の入選作を前に、闘病体験を振り返る仲里光雲さん=那覇市の茅原書藝会

 改組新第3回日展の書部門でこのほど、鵬成会(那覇市、茅原南龍会長)で副会長を務める仲里光雲(徹)さん(76)=那覇市=が30年ぶりに入選した。初入選から7年後の1993年に脳梗塞を患い、利き手を含む右半身にまひを抱えながらリハビリを続けた。「病に負けてたまるかと思い、闘った。諦めないことの大切さを若い人たちにも伝えたい」と話している。

 仲里さんは1986年の日展で初入選。県内から茅原会長に続く快挙だった。翌年以降も応募したが、93年に転勤先の東京で倒れた。右半身にまひが残り「絶望と恥ずかしさにうちひしがれた」。しかし「書家として活動したい。夢を諦めたくない」と早々にリハビリを始めた。

 左手で動かない右手を握り、茅原会長が書いた手本の文字をなぞった。「漫然とやるのではなく、脳や体の神経がつながっていくイメージを描いた」と語る。医師から「リハビリは頑張ればいいというものではない」と制されるほど、がむしゃらに打ち込んだ。

 1年がたつと、はしが使えるようになった。4年がたつと筆を思った場所に下ろすことができるまでに回復。日展やグループ展、競書展への挑戦を再開した。

 現在も右手は万全ではない。茅原会長から「書くのが早い」「懐が狭い」「近回り」と指摘される。「師匠は妥協を許さない。だから私も弁解せず、脳神経を鼓舞し続けた」。入選作も「師の指摘を意識し、濃淡のバランスと行間の流れに気をつけた」と語る。

 脳梗塞を患い、回復を目指す友人に「克己(こっき)(自分の欲望や邪念に勝つ)」と書いて贈り、励ました。「当初は神頼みするしかなかったが、回復した。愛のむちを打ち続けてくれた師匠、トレーニングを無理なく続けさせてくれた書道に感謝している」と語った。(宮城隆尋)