夢の翼広げて「世界に無限の可能性」 MRJ開発に従事の瑞慶村さん 沖縄の若者へエール


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 米国三菱航空機で機体整備のスーパーバイザーを務める瑞慶村篤樹さん(44)=与那原町出身=は、50年ぶりの「日本の翼復活」として注目されている国産初のジェット旅客機MRJ(三菱リージョナルジェット)のプロジェクトに携わる。現在、米国のMRJ飛行試験場があるモーゼスレイク・フライトテストセンターでエンジニアとして勤務している。中学時代から飛行機に憧れていた瑞慶村さんは「夢は諦めない限り必ず実現する。世界には無限の可能性があるので、本当にやりたいことに向け努力を続けてほしい」と沖縄の若者たちにエールを送った。

MRJ機を背にする瑞慶村篤樹さん(三菱航空機提供)

 瑞慶村さんが飛行機に興味を持ったきっかけは、与那原中2年の時に父・智紀さん(72)と映画館で見た「トップガン」。トム・クルーズ演じる破天荒な主人公と飛行機の大胆で華麗な動きに心を奪われ、瑞慶村さんの「飛行機屋」人生を大きく決定付けた。

 父親が当時趣味で飛ばしていたラジコンヘリコプターを弟と一緒に見に行くこともあった。高価だったラジコンには触らせてもらえなかったが、ラジコン雑誌で紹介されていた山梨県の航空高校「日本航空高校」に父と見学に行き、進学を決めた。

 初めての県外での生活に戸惑うこともあった。「沖縄なまりのしゃべり方で苦労した。標準語の環境にうまくなじめなかった」と振り返る。就職などで県外に出たものの、ささいな理由ですぐに夢を諦めて沖縄に戻ってしまった人も見てきた。「沖縄出身者がなめられているような感じがすることもあった。だから人一倍頑張って絶対に残ってやると思った」

 高校卒業後、日本航空専門学校(山梨県)に進学してさらに専門知識を身に付け、夢への道を最後まで諦めず突き進んだ。

 1992年に三菱重工に入社。誰よりも早く出社し、整備のマニュアルを読み込み、どうすれば仕事がより速くこなせるかを考えていた。

 2011年にMRJプロジェクトへの参加を打診された時の喜びは忘れられない。プロジェクトは設計などで他にも県出身者が関わっているという。瑞慶村さんは「世界規模の国家プロジェクトにエンジニアとして携われることは飛行機屋冥利(みょうり)に尽きる。広く一般の人にも目にしてもらえる民間旅客機の仕事にやりがいもひとしおだ」と感慨深げ。「MRJが沖縄に飛ぶ機会があれば、今までの感謝の気持ちを込めて両親にチケットをプレゼントしたい」と笑顔で語った。(李真熙)

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 ずけむら・あつき 1972年生まれ。与那原町出身。与那原中卒業後、日本航空高校(山梨県)に入学。日本航空専門学校を卒業し、92年に三菱重工入社。戦闘機整備などを経て2011年から機体整備のプロとしてMRJプロジェクトに携わっている。