<金口木舌>バジル・ホールの碑の前で


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 那覇市の泊外人墓地に「WM HARES」と記された古い墓がある。西洋人として初めてここに葬られた英国人水兵の墓だ。一度改修されたが「1816」の刻銘が建立年だ

▼200年前、琉球を訪れたバジル・ホール英艦隊一行の一員ウィリアム・ヘアーズが21歳で病死した。琉球側は泊の松林に埋葬し、豚をささげ、ウチカビを燃やした。手厚い葬儀に英国側は感銘を受けた
▼ホールは帰国後、約40日間の滞在を「朝鮮・琉球航海記」として出版し、美しい自然や穏やかで礼儀正しい琉球人を称賛した。本国への帰途、ナポレオンと会い「武器のない島がある」と報告し、彼を驚かせたという逸話は有名だ
▼ホールの本を読んで琉球を知ったペリーは37年後、那覇沖に姿を現す。「武器のない島」はその後、日本に組み込まれ、米国との戦場にまでなった。最悪の武器である核や化学兵器も置かれ、ベトナムや湾岸、イラク戦争への出撃基地と化した
▼西洋に初めて琉球を紹介したホールの功績をたたえる記念碑が今月建立された。場所は彼らが上陸した泊の公園だ
▼碑の前に立つ。日米からの外圧が増す中、理不尽な島の現状を考える。200年前、戦とは無縁だった島は、戦争好きな権力者に翻弄(ほんろう)されるようになった。平和外交を求め続けた先人たちの姿を思うと、未来を諦めるなとの声が聞こえる気がした。