白川フリマ岐路に 倉庫群移転で立ち退きも 出店者「寂しい」地主「適正管理を」


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DVDや古着などが並ぶ白川フリーマーケット。早い時間帯は多くの人でにぎわう=12月4日、沖縄市大工廻

 【沖縄】米軍牧港補給地区(キャンプ・キンザー)の倉庫群などが沖縄市の嘉手納弾薬庫知花地区に移設する計画に伴い、移設先に沿った通りや区域内の一部で毎週末開かれる通称「白川フリーマーケット」が、存続の岐路に立っている。自然発生的に始まり、30年以上の歴史がある。渋滞や爆発事故などで立ち退きの話は常に出ていたが、出店者たちは「今回は本当になくなるかも」「寂しくなる」と話す。一方で、地主や市関係者からは「これを機に適正に管理すべきだ」との声が聞かれる。

 道の両脇に並ぶ車、金網に掛けられた古着、金網内の小屋でユンタクする人たち―。移設計画に伴い、沖縄防衛局が道沿いの金網入り口に立ち入り制限を示すロープを取り付けた3日後の12月4日午前、市道知花38号沿いには、いつもの白川フリマの光景が約500メートルにわたり広がっていた。

 金網内のトタン小屋で外国産のお菓子を売る初老の女性は「10年ほど前は金網もなくてね。あの時はすごいにぎわいだったさ」と振り返る。女性は移設計画を念頭に「なくなる話は何度もあったけど、今回は本当にそうなりそうだね」と寂しげな笑みを浮かべた。

 沖縄国際大学人間福祉学科の桃原一彦准教授の調査報告によると、白川フリマは米軍基地内であったフリマの客を目当てに1980年代半ばに自然発生し、最盛期には数百店舗が軒を連ねた。しかし2003年8月、出店者の男性が持っていた砲弾のようなものが市池原の住宅街で爆発、男性が死亡する事件が発生。それを機に店舗撤去を求める声が高まり、06年には道沿いに金網が設置されたが、今も土日の午前中だけ、金網内の一部や通りで続いている。

 桃原准教授は「出店者たちは人のつながりを求めて来る人も多い。一部不法占拠ではあるが、沖縄の失業率の高さや基地周辺経済の地盤沈下など、その存在は現代社会に対し何らかの問題提起をしているのではないか」と話した。

 一方で、フェンス内の一部店舗などに対する行政の懸念は根強い。市関係者からは「建造物は土地の不法占拠であり、地主に不利益が出ることがあってはいけない。米軍提供施設内であり、日米両政府がしっかりと管理していれば問題は起きなかった」との声が聞かれる。

 沖縄市軍用地等地主会も昨年の3月と9月、沖縄防衛局に対し入退門の厳格管理や、金網内での出店者や造成行為をしている人への注意指導の徹底などを要請。眞喜志康明会長は「フリーマーケットを頭から悪いと言うわけではないが、地主に不安を生じさせてはいけない」と話した。