ピアノの音色、沖縄盲学校で復活 解体の教育福祉会館から引っ越し


この記事を書いた人 志良堂 仁
長く教育福祉会館で使われ、県立沖縄盲学校に寄贈されたグランドピアノを弾く宮城翔君=30日、那覇市の沖縄盲学校

 老朽化のため建て替え中の教育福祉会館(那覇市古島)で30年近くにわたって舞台に立ち続けたグランドピアノが30日、沖縄盲学校に寄贈された。「音楽は人を育てる」と寄付を募って購入したというフルコンサートスタイルの一級品だが、時代を経て使われることも減っていたという。新しい居場所で澄んだ音色を響かせるピアノに、子どもたちは静かに聞き入った。同会館の所有者で、ピアノを寄贈した県高等学校障がい児学校教職員組合(高教組)のメンバーらは「ピアノが生き返った」と顔をほころばせた。

 教育福祉会館は、演奏会も開けるホールを備えて1976年に落成した。その後、音楽教諭らから演奏会でも使えるピアノをとの要望を受けて購入を決めた。だが、当時資金調達を担当した源河朝徳さん(74)は数百万円の価格に「想定外だった」と驚いた。

 高教組で積み立ててきた資金では足りなかったため、源河さんらは「音楽は人を豊かにする。未来への投資だ」と金融機関や民間会社に寄付を依頼した。3年がかりで資金を集めて88年、高教組25周年の記念式典で初舞台を迎えた。

 「会館一番の宝物だった」というピアノは、オーケストラの演奏会のほか、子どもの発表会などでも活躍した。しかし県内に大規模なホールが増えるにつれて出番は減った。ピアノが舞台に設置されていた教育福祉会館も昨年に取り壊しが決まったため、新たに活躍できる場所を探していた。

 「この宝物をどうするか。夜も眠れなかった」と源河さん。沖縄盲学校は体育館にピアノがなく、長く県にピアノを要望していたことから、同校への寄贈を決めた。

 同校で30日に開かれたおひろめ会では児童生徒を代表して小学部5年の宮城翔(かける)君、高等部専攻科1年の外間夏希さんが演奏を披露した。ピアニストが夢だという宮城君は「緊張したけど、プレゼントしてくれた人に聞かせられて良かった」とはにかんだ。中学部音楽担当の島袋律子教諭は「目の不自由な子どもたちは聴覚が鋭い。このピアノの音には、普段とは段違いの関心を示している」と喜び感謝した。(黒田華)