2009年10月19日月曜日

Twitterのこれから〜twup2009に参加して思ったこと(前編)

交流会としては、一応の成功を収めた(ということにしておく)Tweetup Tokyo 2009 Fall だけど、Twitter自体の方向性には疑問符を投じざるを得ない部分があって、思うところを好き勝手書いてみようと思います。

少々お怒りを買うようなことも書くと思いますが、愛するが故、ということで、大目に見ていただければ幸いです。

日本とアメリカのTwitterは別物

今回のTweetup Tokyo 2009 Fallでは、Twitterの共同創始者であるBiz Stone氏が来日して登壇したわけですが、先のエントリでも述べた通り、良いことを言ってる割にピンと来ない内容でした。理由は、たぶん、Biz氏が日本のついったーのことをよく知らず、アメリカ(というか英語圏)のTwitterのことばかり話していたから。

もちろん、英語を母語とする彼が日本語圏のついったーを知らなければならない理由はないのだけど、日本語でついったーを楽しんでいる私にとっては、あまり実感できる話じゃなかったのは確か。強いて言えば「アイスクリームが必要かどうかなんて考える人はいない」と「技術ではなく人間性の勝利」という言葉に心打たれましたが、まあ、以前から聞いてた話でもあるので…。

アメリカと日本のTwitterの間に取り去り難い言語の壁があるのは厳然たる事実で、仮に両方の言語に堪能なついったらー(Twitterユーザー)であっても、一つのアカウントで両方を混在させるような使い方はほとんどしていないはず。混在させていたとしても、言語によってフォロワーは分割されるはずですから、実質分離しているようなものです。一部、英語と日本語を同時通訳的にポストしている方もいますが、まあ稀でしょう。

それから、文字数の違い。もちろん、140文字ルールは世界共通で、どの言語であっても、Twitterにおいては1ポスト140文字以内に書かなくてはなりません。しかし、言語によってこの長さの価値はまるで違ってきます。例えば、同じ内容の文章を書いたとしたら、たいてい日本語よりは英語の方が文字数が多くなります。たぶん、英語で140文字の内容は、日本語で80文字くらいで書けてしまうでしょう。中国語だったら、50文字以下かも。つまり、英語なら本当に一言しかつぶやけないところ、日本語ではそれなりの文章が書けてしまうのです。

何が言いたいかというと、Twitterはあくまでも発言のプラットフォームとして存在しているだけであって、共通点はそれだけ。コミュニケーションツールとしては言語によって、全く別の機能と役割を持っていると言えるのです。

有名人偏重の傾向

今回のイベントに限らず、Twitterというと「有名人がやってる」とPRされることが多い今日この頃。芸能人あり、着ぐるみあり、元IT社長あり、あるいは有名政治家あり、と、有名人の皆さんは華やかなイメージをアピールするのに一役買っています。しかし、私ら一般ついったらー(Twitterユーザー)に言わせると、彼らはかなり特殊な存在です。

何万人ものついったらーからフォローされて、何かをつぶやく度にReply(以下「@」)とRetweet(以下「RT」)の山。きっと、ものすごい人数からふぁぼられている(お気に入り登録されている)ことでしょう。これでは、もはや「独り言」ではなくパブリックなコメントと言っても過言ではありません。

片や一般ついったらーは、誰が聞いてくれるわけでもない独り言を淡々と垂れ流しています。「おっぱいおっぱい」だとか「はぴはぴはっぴー」だとか。

運良く誰かが共感してくれたり、たまたま目に留めてくれたときだけ、@してくれたりRTしてくれたりしますが、大抵はただの独り言としてスルーされます。そして、「それがTwitter」という割り切りの中で楽しんでいるわけです。

もちろん、有名人がちやほやされたりパブリックなコメントを流したりのも、有名着ぐるみがブログに誘導するためだけにポストするのも、Twitterの一つの形です。Twitterにそれを制限するようなルールなどあるはずもないし、批判などされる道理もありません。

ただ、どちらがTwitterの主流かと言えば、一般ついったらーの方が、当然一般的なわけで、有名人ついったらーたちが、その特異な立場と利用方法をもって、「ついったらーの代表」みたいなポジションに居座るのは疑問を感じざるを得ません。中には、ほとんど利用していないのに、「おすすめユーザー」にリストアップされている有名人もいます。

あるシンガーソングライターが、「わからないことがあったら皆が教えてくれる」とか「やさしく見守ってくれる」とか「人間同士がどんどんつながっていく」とか書いています。確かにTwitterにはそういう一面もありますが、多くのついったらーにとっては、「誰もフォローしてくれない」「@したのにレスが無い」「ふぁぼられない」というのが当たり前の世界なのです。特に初心者のうちは。

だから、ある程度やりこまないと面白さがわからないし、初期ユーザーの離脱・休眠が目立つのだと思います。

少し話が逸れましたが、要するに有名人ついったらーというのは、Twitterの中で特異な存在であって、決して中心的な存在ではないということ。それにも関わらず、運営側は、有名人を「おすすめユーザー」として猛プッシュし、イベントでは代表格的に持ち上げてコメントを求めるという気持ち悪さ。そもそも、「おすすめ」は人によって違うものです。単に著名だとかフォロワー数が多いからといって「おすすめ」にしてしまうのは、あまりに芸がありません。パーソナライズなさいって。http://twitter.com/uema2/status/4963973922

あと、有名人の皆さんは、一度、複アカ使って無名人として参加してみるのがいいと思います。ご自分の知らない、あたりまえなTwitterの一面が垣間見えることでしょう。

Twitterの主役は誰か?

Twitterの主役は誰か。これは、どの言語でも共通して言えることで、“ユーザー全員”。米タイム誌がいうところの「You」に他なりません。特に、Twitterは「@ユーザー名」や「#キーワード」、「RT」など、ユーザーがルールとシステムを築き上げ、「なう」「tsudaる」などの慣習的な用法・用語を作り上げてきたという経緯があります。最近では、「粒谷区(つぶやく)」なるバーチャル行政区(?)なども、誕生しています。

これらは有名人や特定の技術者の手によるものではありません(有名人が一方的に提案する用法・用語もあったが、一瞬で消えている)。Twitterは名実ともにユーザーに支えられて存在しているのです。これは、Biz氏の「技術ではなく人間性の勝利」という言葉にも象徴されるところ。

それから、忘れていけないのは、APIからアプリなどを開発しているサードパーティの技術者たち。TweenやEchofonなどのクライアントソフトを初めとして、人気のキーワードを集計して表示する「ばずったー」や「お気に入り」されたつぶやきをリストアップする「ふぁぼったー」、「favstar.fm」。これらのサービスがなければ、Twitterはいつまでも退屈なサービスのままだったにちがいありません。

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