外務省沖縄事務所設立から20年 きっかけは少女乱暴事件


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 外務省は25日夜、沖縄事務所設立20周年記念式典を那覇市内で開催する。外務省沖縄事務所は現在、川田司沖縄担当特命全権大使が12代目の代表を務めている。記念式典には翁長雄志知事や県内関係者を招くほか、岸田文雄外相ら政府高官も出席する。この20年の経緯を振り返る。

 外務省沖縄事務所開設の直接のきっかけは、1995年の米兵による少女乱暴事件だ。同事務所は基地負担に関する地元の声に耳を傾け、それを日本政府に伝え、在沖米軍と調整することが主な業務だ。だが実際に「沖縄の声」をどう受け止め、それを本省に報告しているのか、年次報告書などで一般に考え方が公開されているわけではなく、運営は不透明だ。沖縄大使の記者会見は2009年以降開かれておらず、今回本紙が開設20周年に併せた大使インタビューを申し入れたが、応じられないとの回答があった。県民の疑問に答える姿勢は乏しいと言わざるを得ない。

 この20年来、米軍絡みの重大な事件・事故が起きるたびに、保革を問わず日米地位協定の改定を求める声が上がってきた。しかし日本政府が米国に改定交渉を働き掛けたことはない。在日米軍専用施設の7割を占める沖縄の声が本当に届いているのか、節目の年に検証が必要となる。

 過去には今井正大使が普天間飛行場の辺野古移設断念を求める決議を携えた県議会の要請を「来客中」として受けなかったこともある。政府に“耳に心地いい話”ばかりを東京に報告していないか、当時はそんな疑問の声も上がった。

 在沖米軍トップ、沖縄担当大使、知事の三者を代表者とし、基地問題を話し合う「三者協議会」がかつて存在した。だが沖縄側が基地問題で踏み込んだ協議を求めたのに対し、米側は「三者協の議題は地元レベルで解決できるものに限る」とはねつけ、本質的な議論は滞り、03年以降、自然消滅した。

 沖縄担当大使は政府から外交官として最高位の「特命全権」を付与され、沖縄に派遣されている。在沖米軍トップの四軍調整官も、在日米軍司令官と同格の中将の位を持つ。大きな権能を持つ大使を筆頭に、基地問題の現場である沖縄に事務所を開設した「意義」を振り返れば、この20年で地元の声を反映できる協議に米国を“引きずり出す”努力をしてきたのかも問われる。(島袋良太)