『ハムレット』2

「生きるべきか死ぬべきか」

  〜言葉遊びと翻訳家の戦い 構成について〜

続きましてシェイクスピアの言葉遊び、ハムレットの構成についてお話しいたします。

 

「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」

 

一番有名なセリフですね。初めてハムレットに触れた人、この中にもいるかもしれませんが、その人は思うわけです。

「そんなセリフは出てこなかったぞ」と。

翻訳家が違えば日本語も変わってくる。今回取り上げた小田島雄志さんはこう訳しています。

 

「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。」

 

直訳に近いですね。

ではまずこの原文を考察してみます。

 

To be, or not to be: that is the question:
Whether 'tis nobler in the mind to suffer
The slings and arrows of outrageous fortune,
Or to take arms against a sea of troubles,
And by opposing end them?

 

解説①To beは「そのまま」② not to beは「そのままではない」①と②、どちらの道を選ぶか。

 

   の「そのまま」とはこの部分です。

The slings and arrows of outrageous fortune

=堪え忍ぶ。

 

   の「そのままではない」はこの部分ですね。

Or to take arms against a sea of troubles,And by opposing end them?

=戦って果てる。

 

すなわち①は「生きる」べき②は「死ぬ」べきと解釈できるわけです。そしてそのどちらがWhether 'tis nobler in the mind to suffer高貴な、気高い生き方か、それが問題だというわけです。

気高く生きるためにハムレットは悩むわけです。ヘラクレスのように神の高みにまで登らなければならない。そのためには肉欲は捨てて愛するオフィーリアと別れなければいけない。このセリフのシーンがハムレットの一番核の部分、テーマを表しているシーンと言えると思います。

 

To be, or not to be: that is the question:

 

この部分を様々な翻訳家たちが様々な日本語をあてています。

 

昭和の巨匠、新潮文庫の福田恆存さん

「生か、死か、それが疑問だ、」

岩波文庫 野島秀勝さん

「生きるか、死ぬか、それが問題だ。」

いま売れっ子のちくま文庫 松岡和子さん

「生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ。」

 

じゃあ

「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」

はだれが訳しているの?と。

 

いままで「ハムレット」は明治時代から現代まで40以上の翻訳本が出ているといわれています。2003年に若手の東大教授河合祥一郎さんが野村萬齋さん主演の舞台のために書かれた翻訳で、この有名な訳を採用していますが、それ以前はTo be, or not to beを「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」と訳した完訳本は一つもありませんでした。意外ですね。

 

ちなみに野村萬斎さんのハムレットもDVDで拝見しましたがとてもあっちの世界とこっちの世界の境界線に立っている感じが出ていてよかったですね。

 

話は戻って「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」あまりにも見事というか絶妙な訳ですが、誰が最初に訳したのか、出どころはどこなのか、今回いろいろ調べたのですが結局私にはよくわかりませんでした。

誰かがハムレットを訳すと必ずTo be, or not to beをどう訳しているのか、みんなが注目するわけです。いちばんの翻訳家の腕の見せ所と競い合ったのでしょうね。では具体的にそれを見ていきましょう。

「生と死」ととらえて訳したものがやはり多いです。

 

 

新潮文庫 福田恆存(ふくだ つねあり 1912 – 1994)

生か、死か、それが疑問だ、どちらが男らしい生き方か、じっと身を伏せ、不法な運命の矢弾やだまを堪え忍ぶのと、それとも剣をとって、押し寄せる苦難に立ち向かい、とどめを刺すのに後には引かぬのと、一体どちらが。

 

 

白水Uブックス 小田島雄志(おだしま ゆうし 1930- )

このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。

どちらが立派な生き方か、このまま心のうちに

暴虐な運命の矢弾をじっと耐えしのぶことか、

それとも寄せくる怒涛の苦難に敢然と立ちむかい、

闘ってそれに終止符をうつことか。

 

 

岩波文庫 野島秀勝(のじま ひでかつ19302009)

生きるか、死ぬか、それが問題だ。

どちらが立派な生き方か、

気まぐれな運命が放つ矢弾にじっと耐え忍ぶのと、

怒涛のように打ち寄せる苦難に刃向い、

勇敢に戦って相共に果てるのと。

 

 

ちくま文庫 松岡和子(まつおか かずこ 1942- )

生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ。

どちらが雄々しいおおしい態度だろう、

やみくもな運命の矢弾を心の内でひたすら堪え忍ぶか、

艱難かんなんの海に刃をむけ

それにとどめを刺すか。

 

 

角川文庫 河合祥一郎(かわい しょういちろう 1960- )

生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。

どちらが気高い心にふさわしいのか。非道な運命の矢弾を

じっと耐え忍ぶか、それとも

怒涛の苦難に斬りかかり、

戦って相果てるか。

 

 

ちなみに1874年一番最初に訳されたものは

「アリマス、アリマセン、アレハナンデスカ」でした。

 

これはイギリスの新聞に、ちょっと揶揄する感じで描かれた日本を紹介する挿絵に載っていたものらしいです。

 

****

 

続きまして言葉遊びについてちょっと紹介します。

シェイクスピアは言葉遊びやダジャレの名人でした。日本人にもシェイクスピアの面白さおかしさを細かいニュアンスまで伝えられるように、翻訳家たちはどのように闘ってきたかを考察していきたいと思います。
ダジャレもたくさん紹介したかったのですが、元になる英文が難しすぎてちょっと私の手に負えなかったので、一つだけ有名なところを見ていきます。

 

第一幕第二場

     KING. But now, my cousin Hamlet, and my son--
     HAMLET. [aside] A little more than kin, and less than kind!
     KING. How is it that the clouds still hang on you?

     HAMLET. Not so, my lord. I am too much in the sun.

 

    「さてハムレットわが甥にして息子よ。」

    「近親だが心は遠い」

    「どうしたのだ、雲がお前の顔にかかっているぞ」

    「そんなことはありません。たくさん太陽を浴びています」

 

二行目のkinkindをかけてますね。そして最後のセリフsunは太陽という意味ですが、息子のsonともかけている。「太陽をうんざりするほど浴びている」と同時に「息子と呼ばないでくれ」とも言っている。この部分を翻訳家たちはどのように訳しているのか見ていきましょう。

    「暗い雲を」と言われたので「太陽を浴びすぎている」

    太陽の光=王の威光を浴びすぎている

    サン(sun son)と呼ばれすぎている。→息子と呼ばないでくれ。

 

 

小田島雄志訳(白水Uブックス)

国王    さてと甥のハムレット、大事なわが子―

ハムレット (傍白)親族より近いが心情は遠い。

国王    どうしたというのだ、その心にかかる雲は?

ハムレット どういたしまして、なんの苦もなく大事にされて食傷気味。

 

 

松岡和子訳(ちくま文庫)
王     さてと甥のハムレット、そして息子― 

ハムレット 血のつながりは濃くなったが、心のつながりは薄まった。

王     どうした、相変わらず暗い雲に閉ざされているな?

ハムレット どういたしまして七光りを浴びすぎて有難迷惑

(sonの光と親の七光りをかけている。)

 

 

福田恒存訳(新潮文庫) 

王     ところで、ハムレット、甥でもあるが、いまはわが子。

ハムレット (横を向いて)ただの親戚でもないがも肉親扱いはまっぴらだ。

王     どうしたというのだ? その額の雲、

      いつになってもはれようともせぬが?

ハムレット そのようなことはございますまい。廂(ひさし)を取られて、

      恵み深い日光の押し売りにしささか辟易しておりますくらい。

 

 

野島秀勝訳(岩波文庫) 

王     ところで、ハムレット、わが甥、いやわが息子―

ハムレット (傍白)親族より縁は深いが、心情は浅い。

王     どうしたのだ、相変わらずその額の雲は晴れぬようだが?

ハムレット いいえ、陛下、天日に干されすぎているだけのこと。

 

 

河合祥一郎訳(角川文庫) 

王     だが、さてハムレット、わが甥にして、わが倅―

ハムレット お世辞にも叔父は親父と同じとは言えぬ

王     なぜ、いつまでも額に雲がかかったままなのだ。

ハムレット いえいえ、王様の太陽に焦がされ、倅扱いでは立ち枯れます。

 

 

比べてみると翻訳家がどのように苦労しているのかを垣間見ることができますね。

 

 

 

 

****

 構成についても触れておきます。

言葉遊びは有名ですが、「ハムレット」では構成でも遊んでいるという説があります。というのはこの作品の一番のクライマックスは3幕劇中劇を見て、クローディアスが懺悔しているところを見つけて殺そうとするができなくて、ガートルードを激しく攻め立てる。このあたりが最もピークですが、ここを軸にして構成がシンメトリーをなしているというのですね。詳しく見ていきましょう。

 

1番目と終わりから1番目

11場 甲冑をつけた亡霊

52場 遠征を終えた甲冑姿のフォーティーンブラス

 

11場 物を言わぬ亡霊

52場 物言わぬ息子ハムレットの死体

 

2番目と終わりから2番目

12場不安な結婚式

51場不安な葬式

 

3番目と終わりから3番目

13場オフィーリアの紹介

47場オフィーリアの死

 

4番目と終わりから4番目

14場、5(続き。もともと一つの場だった)父は煉獄

46場 息子はイギリスへ死出の旅

 

5番目と終わりから5番目

21場 オフィーリアがハムレット様が狂ってしまったと告げる

45場 狂ったオフィーリアが登場する

 

6番目と終わりから6番目

22場 フォーティーンブラスがポーランド遠征に向かうことになったと聞かされる

44場 フォーティーンブラスはポーランドに遠征する途中

 

以上、言葉や構成についてみてまいりました。

いかがだったでしょうか。

では朗読を続けていきましょう。

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                             言葉遊びと翻訳家の戦い 構成について

                              3二人の女 オフィーリアとガートルード

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