2009年7月下旬から9月中旬にかけて時間帯限定・地域限定で順次実施していた日本マクドナルドの無料コーヒーキャンペーンが、この夏、大いに話題を呼んだ。長引く不況で様々な業種の企業が商品の値下げに踏み切ってきたため、多くのメディアがこのキャンペーンもそれらと同列に紹介していた。

 だが、売り上げが伸びずにやむを得なく実施する値下げと、この無料コーヒーキャンペーンは全く違う。このキャンペーンには、米国のインターネット業界で話題の「フリーミアム」と呼ぶマーケティング手法に通じる戦略性があったのだ。

 フリーミアムは「フリー(無料)」と「プレミアム(割増料金)」の造語である。無料の商品で大量の新規顧客を呼び込み、それに満足した顧客の一部を有料の商品に導く手法を指す。すなわち、有料商品の利益で無料商品の経費を補完し、全体としてしっかりと利益を確保する。そのためには、無料と有料の商品の境目をどう置いて、何パーセントの新規顧客が有料商品を購入してくれるようにするか、事前にきちんと予測を立てる必要がある。

 米国の著名IT(情報技術)誌「ワイアード」の編集長、クリス・アンダーソン氏は、今年7月に出版した著書『フリー』の中で、「特にデジタルコンテンツに関しては、5%の有料利用者が95%の無料利用者を支えるようになる」と予見する。フリーミアム戦略は現時点ではネット上に成功例が多い。「機能限定版を無料にし、高機能版を有料にする」「利用開始から一定期間は無料にし、それ以降は有料にする」などといった具合だ。

 日本マクドナルドのマーケティング担当者によると、無料コーヒーキャンペーンは「2004年から着手した全社改革の集大成」の1つだった。それ以前の同社は価格競争を徹底しすぎて、「安かろう、悪かろう」の印象が定着。飲食をする場所の選択肢に入れない人が増えていた。そこで店舗と接客と商品のすべてを段階的に改善し続けた。こうしてトータルの店舗体験に価値を感じてもらえると判断できるレベルに達したので、今回のキャンペーンを仕掛けた。マクドナルドに馴染みのない人や足が遠のいていた人の来店を促して、改善された“店舗”を体感してもらい、「また来たい」と思わせようとしたのだ。

 マクドナルドは「キャンペーン期間中、無料コーヒーと一緒にハンバーガーやホットドックなどを一緒に注文する人も一定数以上いる」と仮説を立てた。この「ついで買い」によってキャンペーンの収支は黒字になった。しかも、従来は手薄だったビジネスパーソンやシニア層の再来店が増えているという。フリーミアム戦略の観点で見ると、無料コーヒーがフリー部分であり、無料コーヒー以外の店舗サービスと商品すべてがプレミアム部分である。

 2008年秋から続く深刻な不況のなか、消費者心理の最大の変化は何か。「消費者は、自分が本当にそれを望んでいるのかと強く自問自答し、従来以上に情報武装にも熱心になった。スマートショッピング(賢い買い物)志向が顕著だ」とゴルフダイジェスト・オンラインの石坂信也社長は指摘する。同社はゴルフ場の予約も用品の購入もゴルフファッションの選定も1つのサイト上で可能にし、ゴルフ愛好家にスマートショッピングを促す。同社は2009年12月期も増収増益を見込む。また、マクドナルドが無料コーヒーキャンペーンで開拓した新規顧客に再来店を促せているのも、それだけの価値を認めてもらえたからにほかならない。
 
 日経情報ストラテジー11月号(9月29日発売)に、「こんな時代に『売る技術』」と題した大型特集記事を掲載した。スマート消費へと一気に傾倒した時代に有効なマーケティング戦略として、フリーミアムやストーリーテリングなど計7つを紹介している。さらに、ベストセラー作家の村上春樹氏の著書『1Q84』、ミツカンの「やさしいお酢」、ぐるなびや楽天の「訳あり商品」、パナソニックの「ナイトスチーマー ナノケア」などに見る、逆転発想のマーケティング成功事例も多数盛り込んだ。世界最強のマーケティング集団と目される米P&Gグループの人材育成術の実態にも迫った。経営者やマーケッターはもちろん、企画業務に取り組むすべてのビジネスパーソンに読んでもらいたい。