日本実業出版長谷川様より献本御礼。
初出:2009.01.22; 販売開始まで更新
これだよ、これ!
こういう法律の本を待っていた!
法律というものを知りたい人が、最初に読むべき一冊。
すでに読んでしまった本のことをきれいさっぱり忘れてでも、そうすべき一冊。
本書「六法で身につける 荘司雅彦の法律力養成講座」は、「書評 - 最短で結果が出る超仕事術」ならびに「嘘を見破る質問力」が、いよいよ本職である法律について書いた渾身の一冊。間違いなく、著者の最高傑作であり、今後の一般向け法律本のあり方を根底からくつがえすことになる作品。
目次 - Amazonより
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これまでの一般向け法律本というのは、いわばFAQだった。相談内容があり、それを法律家がどう解釈するかという Q & A の羅列。確かにわかりやすいし即座に役に立つけど、はっきり言って対処療法。「法」というヤマタノオロチどころかヤオヨロズノオロチの頭をいくらつぶしても、焼け石に水という感じが常につきまとっていた。
本書は、違う。いきなり法の心臓を射抜き、「法」という怪物の身動きを止めた上で、じっくり各論を括弧撃破して行く。本書に登場する法律は実に少ないのに、憲法、刑法、民法、商法、民事訴訟法、そして刑事訴訟法の六法のエッセンスをすべて網羅できたのは、この「核心から委細へ」という大胆なアプローチがあってこそだ。
今までの法律本というのは、「偶数って何?」という質問に「2でしょ、4でしょ、6でしょ....」と答えていたようなものだ。はっきりいって「算数」である。本書では、最初に「2で割り切れる数」とはっきり答える。「数学」的なのだ。
それでは、本書全体を貫くロンギヌスの槍である、法の大原則とは一体なんだろうか。
基本的人権の尊重、である。
著者に自ら語ってもらう。
P. 18個人の権利は最大限尊重されるべきものであり、各個人は他者の権利をおかさない限りいかなることをも行う自由を有する
ということです。簡単でしょう。
よって、最重要の法である憲法でも最重要なのは、第十三条ということになる。
P. 41そして、その憲法の中で一番偉い条文は憲法13条です。第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
そしてこう続ける。
この場合の「公共の福祉」というのを「他者の権利」と考えれば、
個人の権利は最大限尊重されるべきものであり、各個人は他者の権利をおかさない限りいかなることをも行う自由を有する
ということになりますよね。
そう。著者は「公共の福祉」を「他者の権利」と言い換えてよいと言い切っているのである。
ここまではっきりと言い切ってくれた法律家は、他に居なかったのではないだろうか。
私が以前
404 Blog Not Found:本当は怖い日本国憲法憲法12条に照らし合わせれば、何をしても「公共の福祉」にならないなら「権利の濫用」認定されかねない。もちろん第21条(言論の自由)も。
という疑念を発したのも、そこまでの自信がなかったからである。「そうじゃないよ」というコメントやトラックバックもたくさん頂いたが、今ひとつ納得できなかった。いずれもここまですっぱりと言い切ってなかったからである。
とはいうものの、私は100%納得したわけではない。「公共の福祉」と「他者の権利」が不一致な例もあまりに多く、そしてそういう場合には「公共の福祉」の名の下に個人の権利がないがしろにされてきた例もあまりに多く見てきたし、その逆に、明らかに他者の権利が損なわれているのに個人の権利がまかりとおっている例もこの国にはあふれているのを知っているからだ。
しかしそれは、著者の目にしてみれば、我々の法律力が足りないからそうなる、ということになる。例えば憲法第九条。これもまた「基本的人権の尊重」から導くことができることを著者は示した上で、
P. 71もはや、自衛隊を合憲とするのは、今の憲法では不可能でしょう。
と言い切っている。この状態の放置は、まさに法律力の欠如の結果なのである。
はじめに「法律力」とは私の造語で、法的思考力と法解釈力を併せたものです。
いいかげん「○×力」の乱造は勘弁してほしいという立場の私だが、この「法律力」は全面的に支持する。我々日本国民に足りないのが、これだ。「個人の権利は最大限尊重されるべきものであり、各個人は他者の権利をおかさない限りいかなることをも行う自由を有する」という法律力の源泉がその力を最大限発揮出来ていない理由もそこにあるのだから。
もっと法律力を!
Dan the Free Man, de Facto and de Jure
憲法に興味がおありでしたら、一応は専門書をひも解いてちゃんと勉強なさった方がいいと思います(煽りとかではなく、真剣に)。
現行憲法初期の判例が、いかに都合よく公共の福祉を濫用してきたか(何も理由を説明せず、「このような制約は公共の福祉の範囲内だ」と言って終わらせたりします)。
それに対して学説が、以下に公権力による人権の制約を限定しようと腐心してきたか。そして、その結果いかにして内在制約説が生み出されたのがよくお分かりになると思います。
もっとも、最近では、この図式ではすべての人権制約を説明できないのではという問題点も認識されています。例えば、「町の景観を維持するために広告の掲示を制限する」なんていう場合を正当化できないのではないかという点です。
考えてみたらいかがでしょうか。
ちなみに、これらの話は、大学1年性で習うレベルの超基本的な知識ですので、書店で専門書を立ち読みすればどこにでものってると思います。