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諫早湾を締め切った潮受け堤防の水門前で

諫早干拓の原稿に取り組んでいるが、収集した資料が多岐にわたり、1997年4月の「ギロチン」から「政権交代」後の現在につながる時間軸を追いながら、短い行数にまとめていくというのは、骨の折れる作業だ。どうも私には「集中グセ」があって、何かやりだしたら「まっしぐら」で全力投球、他のことがすっ飛んでしまうという欠点でもあり、時には長所でもあるところがある。本来は、バランスよく時間配分をして仕事をしていかなければならないのに、うまく調整するのは下手だと自分で思う。

今日は阿佐ヶ谷ロフトAでトークライブを行った。第一部を伊東乾さんと「死刑と裁判員制度」第2部を「児童ポルノ禁止法の行方」で伊東さんと山口貴士弁護士に加わってもらった。いつも感心するが、伊東さんは「天才肌」で軽妙で人を笑わせながら、深い部分をついてくる。オウム真理教事件の豊田亨死刑囚と大学の研究室で一緒だったという伊東さんは、死刑確定後の豊田死刑囚に今日面会してきたという。裁判員制度が「死刑」を身近にしたが「市民・国民が参加する死刑判決」が来年にも出てくる。「裁判員裁判における死刑判決全員一致制」ぐらいは、この社会で十分に合意出来るのではないだろうか。

児童ポルノ禁止法を議論してみて、いかに「児童ポルノ禁止法」という法律名が思考停止を生んでいるかを再認識した。政治の世界では「嫌われたくない」「レッテルを貼られた少数派になりたくない」という総主流派意識というものがある。
「児童ポルノ禁止法改正」なら中身を知らなくても、「あれこれ反対するのはおかしい」という意識を持ちやすい。そこに乗じて、捜査権限を拡大し「児童ポルノ」のみならず、その周辺に存在するものに幅広く網をかけていこうという意図が入り込みやすい。山口貴士弁護士がそのあたりを解説してくれた。

「死刑」も「児童ポルノ禁止法」も、根が深い問題だ。永田町で、こうしたテーマをまるで選ぶかのように取り組むことになるのも、少年時代から「内申書裁判」などの訴訟の当事者だったという独自の経歴がなせる技だろうか。もちろん、尖鋭的な課題にばかり取り組んでいるわけではない。ごくごく日常の市民の悩み、疑問、そして要求にも耳を傾けるようにしている。

砂粒ひとつの小さな集合が、やがて塊になり、また積み上げられて山になる。大きなブームも最初は数人から始まる。今日話したテーマは、きっと来年にはもう少し大きな課題として認識されているといいと思いながら、ペンを置くことにする。

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