デフレーションと日本銀行


●Adam S. Posen(2002), ”Deflation and the Bank of Japan”(Japan Times, September 23, 2002)

最近本ブログでも度々言及しているポーゼンですが、ポーゼンの面白い論説を見つけたので訳してみました。2002年にジャパンタイムズに寄せられた論説です。2002年に書かれた論説ですので一つの「歴史」的な文書として、あくまでもかつての日銀に対して向けられた時論*1の一つとして、受け止めていただきたいと思います。あくまでも2002年の話です。あくまでも2002年の話です・・・。

(追記)本論説の導入部の訳に関してsoulcageさんよりご協力いただきました(ご協力というかそっくりそのまま利用させていただきました)。深く感謝する次第です。ありがとうございました。

私がこの記事を書こうと思い立ったのは、7月の日本滞在時に、ビジネス界のリーダー数人を通じて、彼らが日銀から厳しく圧力をかけられていて、日銀の見解を受け入れるよう強いられていると聞いたからであり、彼らがそれをとても憂慮していたからである。また、近頃の小泉内閣が提案している景気対策からは、本来、積極的な金融政策がになうべき役割が含まれているのが見てとれる。日本ビジネス界と政府がデフレを非常に憂慮するのは正当なことだ。デフレーションはあらゆる経済問題、特に不良債権問題を悪化させ、構造改革の妨げになるからである。デフレの放置が長びけば長びくほど経済回復は困難になり、デフレ自体のコントロールも厄介なものになる。

率直な事実として、日銀外部の人間でそれも責任ある立場にある人間は誰一人として現在日銀が推進している政策を評価していないし、また日銀がこれまで推進してきた政策も評価していない。FRB―2002年6月に公にされたワーキングペーパー*2を見よ―、IMF―最近公表されたばかりのIMFレポート(Article IV consultation report)*3を見よ―、米国政府―CEA議長であるグレン・ハバードの最近のスピーチ*4を見よ―、著名な経済学者―(世界的にも名の通っている金融経済学者の中から特に3名の名前を挙げると)伊藤隆敏教授やスヴェンソン教授、バーナンキ教授の最近の論文を見よ―、誰一人として日銀の政策を評価していない。日銀は「現在我々が推進している政策に対してはこういった責任ある人々から支持を受けている」と主張するかもしれないが、その主張は誤りである。そのような主張はプロパガンダでしかない。

日本銀行はさる9月19日(2002年)に8兆円の株式買取り計画―銀行が保有する非金融法人の株式を買い取る計画―を発表したが、この計画が実行に移されてもデフレの解消にはつながらないであろう。日銀が当座預金残高目標を月額10兆円から月額15兆円に引き上げたにもかかわらず信用の拡張と物価上昇とを実現するには不十分であったのだから、6ヶ月間にわたり8兆円の株式を買い取るくらいでは十分な金融緩和効果を持つとは考えられない。実際のところ、日銀は株式を買い取るために新たに「円」を刷るような素振りは見せておらず、もし日銀が保有する国債でもって株式の購入に充てるとすれば金融緩和効果は一切ないであろう。速水優日銀総裁(2002年時点)も株式買い取り計画は金融システムの安定化のためであって金融政策の変更とは見なしていないと大いに認めているところでもある。もしこの株式買い取り計画が効果を持つとすれば、この計画が日銀と政府間での政策協調の第1弾として受け止められるということによってであり、日銀と政府との間でデフレ克服に向けた政策協調が進むとすれば望ましいことである*5。しかし、日銀による追加的な金融緩和策がないようであれば、デフレーションは今後も継続することになるであろう。

日銀外部の責任ある立場の人間が誰一人として日銀の政策を支持しないのには正当な理由がある。日銀の政策が支持されない理由は、政策が誤った方向を向いているからであり、日本経済ならびに世界経済全体に対して有害な影響を及ぼしているからであり、また経済学的な根拠もなく推進されているからである。政治やビジネス界はリーダーシップを発揮して日銀がデフレを終焉させるために必要な手段を取るよう可能な限り強くプレッシャーをかけなければならない。その際日銀に対して以下のように問い質せばよいだろう。

『日銀法によれば、日本銀行に課せられた政策課題は物価安定を実現することである。過去5年のうちに物価は下落しているので、政策課題である物価安定を実現するためには数年にわたるプラスのインフレ率の達成を通じて物価の下落分を相殺する必要がある。日銀の政策を外部から観察している責任ある立場の人々は皆、日本銀行がプラスのインフレ率の達成にコミットすれば物価の下落分を相殺するのに十分なプラスのインフレ率を生じさせることは可能であると主張している。日本銀行は政策課題である物価安定を実現するために中期にわたってプラスの低位安定したインフレ率を実現するよう政策を運営しなければならない。現在の政策委員会がプラスの低位安定したインフレ率の達成に失敗したとすれば―不達成の理由が能力がないためなのかそれとも達成する意思がないためなのかにかかわらず―、政策委員らは日本銀行が日本国民に対して負う法的な義務を履行しなかった責任をとるべきであり、政策委員の職を辞すべきである。』

こうしたデフレ脱却を要求する圧力に対して、日銀は「なぜデフレを止めるべきでないか」、「なぜデフレを止めることができないか」、「なぜインフレは経済に弊害をもたらすことになるのか」という論点に関してヘンテコな言い訳を考え出して対抗してくることだろう。日銀によるヘンテコな言い訳を論破するのは容易なことである。ヘンテコな言い訳はきっちりと論破しないといけない*6

False argument # 1: Deflation, for the most part, is beneficial because it is driven by deregulation, technology, and imports.デフレーションは大抵の場合において望ましいものである。というのも、デフレーション規制緩和や技術革新、安価な輸入品の国内流入によって引き起こされているからである。)

True response # 1: もし価格がそのような好ましい理由によって下落しているのだとすると、価格下落を経験するのはそのような変化から直接的な影響を被る部門の製品だけだろう。そうした好ましい理由によって相対価格が下落したならば、人々は豊かになったと感じて支出を増やすことだろう―こうした例としては1990年代のアメリカが挙げられるだろう―。規制緩和や技術革新、安価な輸入品の国内流入といったことによって、現在日本において生じているように、一般物価が下落したり、消費支出が減少したりすることはない。

False argument # 2: Zero interest rates or looser policy would keep inefficient businesses open.(ゼロ金利や金融緩和は非効率的な企業の生き残りや開業を支援することになる)

True response # 2: 不況下においては企業による信用へのアクセスが制限されることになるが、新規に事業を開始しようとする前途有望な企業ほど資金調達面で困難な状況に置かれることになる。一方で、特に民間銀行が過小資本状態に陥っているならば、一定のブランドを確立した非効率的な既存企業ほど容易に信用にアクセスし続けることができる*7日本銀行は、さらなる金融緩和に抵抗することによって、日本経済の構造問題の解決に貢献しているのではなくその反対に構造問題の深刻化に貢献しているのである*8

False argument # 3: Monetary conditions in Japan are already loose with zero interest rates.(金融はすでに十分緩和されており、その証拠に金利はほぼゼロ%である)

True response # 3: 実体経済活動において重要なのは実質金利であって名目金利ではない。デフレ下においては、現在の日本におけるように名目金利はゼロ%であっても2%の物価下落率を反映して実質金利は2%以上であり、不況下においてこの実質金利2%というのは重い負担となる。その証拠に新規事業の開業はなかなか見られず、また借り手のタイプごとにおける信用スプレッド―金融の弛緩の状態を測る別の指標―によると金融はひっ迫していることがわかる。(先に述べたように、実質的に経営破たんしている企業は、過小資本状態にある銀行からの追い貸しにより容易に信用にアクセスすることができる)

False argument # 4: The BOJ is already doing everything it can to create money and credit.(経済における貨幣や信用を拡張させるために日本銀行ができることはすでにすべてやっている)

True response # 4: 日本銀行は「円」をさらに刷ることもできれば、国債をさらに買い取ることもできる。また財務省による為替市場への円売り・外貨買い介入を不胎化しないことによって外貨をさらに購入することもできるし、購入対象となる円建て資産をさらに拡大することもできる。これらのうちどの手段をとるにしても、その手段が十分大きな規模で実施されるならば、結果として経済における流動性は増加することになるであろう。

False argument # 5: Further expansion will not be effective because banks will not lend.(さらに金融を緩和しても効果はないだろう。というのも、さらに金融を緩和したとしても銀行による貸出が伸びることはないだろうから。)

True response # 5: 銀行部門がバランスシート面で問題を抱えているという事実は、日銀が非銀行部門の資産―例えば国債やドル・ユーロといった外貨、コマーシャルペーパー―を購入すべき理由を提供するものであり、さらに望むらくは減税や銀行への公的資金注入のための資金を捻出するために日銀が新規発行される国債を買い取るべき理由を提供するものである*9。こういった手段が銀行部門が健全である場合においてと同程度の効果を有するためには資産の購入規模をヨリ拡大する必要があるであろうし、また銀行部門が健全である場合と比較すると効果が表れるタイミングや効果の大きさを予測することは困難となるであろう。しかしながら、上述の追加的な政策手段を大規模に実行すれば最終的には金融緩和の効果が表れてくることになるであろう。

False argument # 6: If the BOJ announces a target, it will miss it, and this will harm credibility.日本銀行が政策目標を公に宣言し、もしその目標の達成に失敗したら日本銀行の信認(credibility)が毀損されることになるだろう)

True response # 6: 中央銀行が政策目標を宣言して目標の達成に失敗したとしても、目標達成の意図が信頼できるものであり、また設定される目標が合理的なものである限りは、中央銀行の信認が毀損されるということはない。この件に関してはユーロ加盟前のブンデスバンクとスイス国立銀行の例を思い出してみるとよい。どちらの中央銀行も極めて高い信認を得ているが、マネタリー・ターゲットを設定していた期間中50%の期間はターゲットの達成に失敗していたのである。信認の毀損という問題に関しては、合理的な目標の達成に失敗することよりもデフレを放置することの方がよっぽど中央銀行の信認の低下につながることであろう。日銀によるインフレーション・ターゲッティングに対する批判は典型的な藁人形論法(straw man argument)であって*10、要点は物価水準とインフレ期待とを引き上げることにあるのである。インフレーション・ターゲッティングは物価水準とインフレ期待とを引き上げるための手段の一つに過ぎない。重要なことは日本銀行の目標を変更することなのである。

False argument # 7: To stay independent, the BOJ cannot give in to the government's requests.中央銀行の独立性を守るため、日本銀行は政府からの要請を聞き入れることはできない)

True response # 7: 「中央銀行の独立性」の要点は、中央銀行は政府からの不合理で(unreasonable)政治的な意図をもった(politically motivated)要請を断ることができるというところにあるのであって、政府からの要請であれば何が何でも断ることができるというところにあるのではない。政府と協働して建設的な政策を推し進めるのを拒むことで、政府と協働することに乗り気でない素振りを見せるのは、日銀自身にとっても自己破滅的なことである*11。 日銀にはグリーンスパン議長率いるFedとルービン財務長官率いるアメリ財務省との政策協調の成功例を思い出してほしい。

False argument # 8: If we monetize JGBs and give the government money, they will waste it.(政府は国債のマネタイズ化(=日銀による新規国債の直接引受け)によって手に入れた資金を無駄遣いすることだろう。)

True response # 8: そうかもしれない。しかし、デフレーションに比べれば無駄な政府支出の方がまだましである。また、工夫次第によっては政府が国債のマネタイズ化によって手にした資金をどう使うかをある程度コントロールすることは可能である(私が提案した銀行の自己資本増強策のように。私の案では、国有化された銀行に公的資金を注入する際に政府は国債を一度限り発行して資金を調達することになる。国債は日銀が引き受けることになるが、政府が自由に使えるお金の量とまたその使い道とには制限が課されることになる。)。政府による資金の使い方をコントロールすることこそが政治的な監視および財政−金融間の政策協調の目的なのである*12

False argument # 9: If we monetize JGBs, interest rates will rise and the banks will be wiped out.国債をマネタイズ化すれば各種の名目金利が上昇し、民間銀行は大きな損失を被ることになるだろう*13。その結果として市場から退出する銀行も出てくることだろう)

True response # 9: 市場から退出すべき銀行は退出するに任せるべきである。そういった銀行というのは国債保有に伴う損失を隠してきており、また彼らが資金を国債保有というかたちで寝かせておくという選択を行ったために現在の国債バブルの状況―国債金利が極めて低い水準にある―が生み出されているのである。銀行のバランスシートの健全化は、既存の株主を追い出し公的資金を注入することによってのみ実現可能なのである。銀行を救いたいのであれば金融システム改革で対応すべきであって金融政策で対応すべきではない。また、インフレの発生(あるいはインフレ期待の上昇)によってイールドカーブが右上がりの形状を描くようになり*14名目金利がゼロ近傍の水準から上昇することになれば、銀行の利潤の増加と銀行貸出の伸長とにつながると期待されるので、インフレの発生(あるいはインフレ期待の上昇)と各種名目金利の上昇とは金融システムが順調に機能する上でも好ましいことであろう。また、インフレ率が低水準にある状況においては、名目金利の上昇はインフレ率の上昇に遅れをとるので結果として実質金利は低下することになるであろう。実質金利の低下は住宅・設備投資といった実物投資を刺激することになるであろう。

False argument # 10: If we start to create inflation, it will get out of control, and hyperinflation will result.(もしさらなる金融緩和を進めることによって一度インフレが起きてしまうとインフレを制御することができずにハイパーインフレーションという事態を招くことになるだろう。)

True response # 10: 日銀による反論のうちでこの反論ほど馬鹿げたものはない。インフレを起こすことは難しいと主張しながら同時にインフレはたちまちのうちに制御不能になると主張することはできないはずである。単純な事実としても、各国の経験が示すところによれば、インフレ率とインフレ期待とは非常に粘着的(惰性的)であることが、それも特に元々のインフレ率が低い水準にある状況において粘着的であることがわかっている。デフレーションから直接ハイパーインフレーションに―それも急速に一飛びで―移行する例というのはこれまでに一国としてないのである。ハイパーインフレーションが発生するような状況というのは、国が戦争に敗れた時か政府が社会的な騒乱のために税金を徴収できなくなる時くらいものである。日本が近々このような状況に陥るような兆しはない。また、政府の債務残高が高い水準にあることだけによってはハイパーインフレーションが発生するのに十分ではない。この点についてはベルギーやイタリアの例を思い出してみよ。両国ともにかつては現在の日本と同水準の政府債務残高を抱えており、さらには現在の日本以上に外国人投資家が国債を購入・保有していたが、両国ともにハイパーインフレーションを経験することはなかった。実際のところ、ベルギー・イタリアともにインフレ率は10年以上にわたって10%以下の水準であった。日銀によるこの反論は決して信じるべきではない脅し作戦である。

*1:時論という性格上、いささか時代遅れに見えることがあったとしてもそれは致し方のないことです。ポーゼンの本論説も時論であって・・・時論であるにもかかわらず?・・・、この点に関しては意見を差し控えさせていただきます。

*2:訳者注;おそらく以下。Alan Ahearne, Joseph Gagnon, Jane Haltmaier and Steve Kamin,“Preventing Deflation: Lessons from Japan's Experience in the 1990s

*3:IMF, “Japan: 2002 Article IV Consultation--Staff Report; Staff Statement; and Public Information Notice on the Executive Board Discussion”(August 8, 2002)

*4:R. Glenn Hubbard, “Impediments to Growth in Japan(pdf)”(April 29, 2002)

*5:訳者注;この箇所は超訳。ポーゼンの真意を外していないことを祈る。原文は以下。“If this proposal is to have an impact, it will be as the initial round in a negotiation with the Japanese government over a new policy package, and we can hope for a good outcome.”

*6:訳者注;以下、ポーゼンによる日銀との想定問答が始まる。False argumentはデフレ脱却を求める声に対して日銀が寄せるであろう反論、True responseはポーゼンによる日銀への再反論である

*7:訳者注;貸出先の企業が不良債権に分類されることを避けるために銀行が延命措置として実質的に破産状態にある企業に追い貸しをするということを言いたいのだろう。過小資本に陥っている銀行ほど追い貸しをする誘因が高いということだろう。

*8:訳者注;ここではポーゼンは、カバレロ=ハマーの研究―「不況によって非効率的な企業が淘汰され、その結果日本経済全体の生産性が向上する」との清算主義の主張の誤りを明らかにした研究―を念頭に置いていると思われる。ポーゼンの主著である『Restoring Japan's Economic Growth』でもページを割いてカバレロ=ハマーの研究が紹介されている

*9:訳者注;銀行部門が不良債権等の問題を抱えているからといって金融緩和に反対する理由にはならないということを言いたいんでしょう。

*10:訳者注;どうしたら物価水準とインフレ期待とを引き上げることができるかという問題を論じているのに、目標を達成できなかったら日銀の信認が毀損されるどうこうといった別の議論を持ち込んできて論点をずらしている、ということだろう。

*11:訳者注;ここよくわからんかった。この箇所の訳出はid:koiti_yanoさんならびにkaramoraさんからご協力いただきました。ありがとうございます。

*12:訳者注;ここ苦し紛れの訳。原文は以下。“That is what political oversight and fiscal-monetary cooperation are about.” That=「to structure what the government does with the money」と推測。(追記)コメント欄でのktkrさんのご指摘を受けまして若干修正しました。ご指摘ありがとうございます。

*13:訳者注;国債を大量に保有する銀行は、名目金利の上昇によって国債の市場価値が下落すると大きな痛手を受けることになるということだろう

*14:訳者注;満期が長めの金利ほど金利水準が高くなる