AppleInsider: なぜ Apple は HTML 5 に賭けているのか: ウェブの歴史

原文: Why Apple is betting on HTML 5: a web history

By Daniel Eran Dilger
Published: Saturday, September 19, 2009 07:00 PM EST
Apple は、自社の儲けのほとんどをハードウェアの売上げから得ているにもかかわらず、ソフトウェアの未来を形づくるためにかなりの投資をおこなっている。 この例のひとつに HTML 5 とそれに関連するウェブ標準がある。
HTML 5 標準はまだ最終勧告にはなっていないものの、Apple はすでに同社の戦略における重要なコンポーネントとして同標準を位置づけ、iPod touchiPhone のモバイルブラウザから Mac および PC 上の SafariDashboard ウィジェットから新しい iTunes LP コンテンツ、さらには MobileMe アプリ から最新の iTunes Store にいたるまで利用している。
批評家は、HTML 5 は 2012 年にならないと勧告とはならず、MicrosoftInternet Explorer でこの新しい標準をサポートする可能性は低いため、それが完成したところで重要なものとはならないかもしれない、と不満を述べてきた。 別の人々は、ウェブの基盤となっているこの言語にそもそも変更が必要なのだろうかと訝しがっている。
しかし現実には、HTML 5 の多くの機能はすでに幅広く使用されている。 Apple は、新しい WiFi 標準のサポートを実装するにあたって、802.11n が最終草案になるまで待つことはしなかったし、HTML 5 が最終草案になるまで待つこともしなかった。 Microsoft もまた HTML 5 標準に公式参加することにオープンで、GoogleAppleMozilla その他の企業とこの標準を支援するために作業していくにあたって真剣な関心をしめしている。
しかし、なぜ HTML 5 が重要なのか、そしてそれを採用することでウェブやソフトウェア全般にどのような変化がもたらされるのかについて正確な将来像を描くためには、ウェブはどう機能すべきなのかについて、新しいレベルのコンセンサスを求めて業界のライバル達が作業するなか表れてきた HTML 5 をめぐる込み入った闘争のドラマを理解する必要がある。

WebKit とその仲間たち

HTML の起源
HTML(HyperText Markup Language)は、1989 年以降 Tim Berners-Lee によって、彼が 10 年ほど前から CERN のために開発を進めてきたハイパーリンク化されたプライベートな情報データベースだった ENQUIRE を、インターネット越しに作業できるようなオープンで分散化されたアプリケーションとして送り出す手法としてはじめて開発された。 その結果生まれたシステムは、NeXT Computer の高度な開発ツールを利用してプロトタイプ化され、World Wide Web として知られるようになった。
この新しいウェブは、HTML を SGML(Standard Generalized Markup Language)の 1 アプリケーションとして定義していた。SGML とは、異なるシステム間でファイル転送を可能にするためにマークアップコマンドでドキュメントを構造化するために利用されていた既存の ISO 標準のことだ。 SGML の利用は 60 年代までさかのぼり、当時は、明確で、自動化されたシステムで評価・変更できる方法として、政府、業界、そして軍が複雑なドキュメントを構造化するための手段となっていた。
ドキュメントに埋め込まれた SGMLマークアップは、表象的な特徴(例えば、テキストは太字でなければならない場所を示す)、手続き上の特徴(PostScrip のドローコマンドのラインに沿って処理命令を追加する)、あるいは記述的特徴(引用や脚注といったように、異なる目的のために複数の方法で解釈可能なドキュメントの部分を定義する)を注釈できるようになっていた。
こうしたマークアップ形式は、意図する利用目的によるものの、簡素化にむかってお互いの境界が混じりあっていく可能性があり(人間による閲覧だけのためにデザインされるウェブページを作成するための基本的な手法へと収斂していく)、さもなければ厳格に別個のものとして維持していく必要(自動的に更新できたり、人間が読めるようなレンダリングだけでなく、目の見えないユーザーのためのスクリーンリーダーによって解釈できるような、柔軟性に富んだドキュメントを可能にする)がある。
表象、手続き、そして記述の間にある線引きは、HTML に向けて熱く議論される話題となる。というのも、この話題にはさまざまな視点があり、それぞれが異なる目的を頭に描いているために、衝突が始まるのだ。

プライベートとパブリックの協力による立ち上げ
Berners-Lee は、1993 年に IETF(Internet Engineering Task Force)標準団体への勧告として HTML の草案を作成するにあたって、HTML を実際に実装した例を提供する必要にせまられた。 彼は American NCSA で開発されていた Mosiac ブラウザーを引き合いに出した。これは、米下院議員 Al Gore が出資し、戦略的な政府投資を利用して市場の力を梃に、高パフォーマンスコンピューティング・コミュニケーションの開発を促進するという幅広い努力の一環とされていたものだった。
重要な実装作業として政府投資による後ろ盾を得た HTML は完全にオープンな性質となり、そののおかげで Berners-Lee の新しいウェブは、AOL や CompuServe、GEnie、MSN、など他の類似のサービスの貯蔵箱にユーザーを分割するというプロセスにあった、互換性のないプロプライエタリーなインターネットサービスというポケットを完全にひっくり返すことになった。
オープンな標準としての HTML の公的な定義によって、あらゆるプラットフォーム上のあらゆるウェブブラウザーが表示できるウェブページドキュメントをもったサーバーを、誰もが設定することができるようになった。 この計り知れないほどの新しい可能性という現実が理解されるようになると、Microsoft は、ウェブが自社のプロプライエタリーな新しい MSN サービスへの脅威となるばかりか、企業が Windows への依存を軽減し、他のベンダー製品を購入できるようにするためにも利用できることに気づいた。 これが、実装面で同社と Netscape との間での戦争 を引き起こしたのだが、ウェブ標準の側でも戦争が起こっていたのだ。

ページ 2 / 3: HTML 2、3 & 4.

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