“アキバの変容”に、「秋葉原再開発計画」がもたらしたものは大きい。同プロジェクトは、秋葉原にビジネスパーソン、女性を含む一般客、外国人観光客を新たに呼び込んだと評価されている。一方で、批判の声も少なくない。“再開発は、オタクを排除するものだ”と──。プロジェクトの中心人物が、真相を激白する。(聞き手/「週刊ダイヤモンド」編集部 河野拓郎) 

妹尾堅一郎・東京大学特任教授インタビュー<br />”アキバのプロデューサー”が明かす<br />「秋葉原再開発プロジェクトの真相」妹尾 堅一郎(せのお けんいちろう)
1953年東京都生まれ。東京大学特任教授(知的資産経営総括寄付講座、東大イノベーションマネジメントスクール実施責任者)。一橋大学大学院MBAなどの客員教授を兼任。NPO法人産学連携機構理事長。慶應義塾大学経済学部卒業、富士フイルムを経て、英国ランカスター大学経営大学院博士課程満期退学。領域横断かつ実践的な研究実績を買われ、複数の政府調査会・委員会の会長や委員も務める。著書に『アキバをプロデュース』(アスキー新書)、『技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか』(ダイヤモンド社)など。

──妹尾先生は秋葉原再開発構想の中核の一人であるわけですが、具体的にどんな役割を担われているのでしょうか。

 「秋葉原クロスフィールド」(※注1)の開発で、「産学連係機能」のプロデューサーを担当しています。この産学連携機能は、「集客」「オフィス」「データセンター」と並んで、再開発において東京都から組み込むことを条件とされた4機能のうちの1つです。

 コンペで開発事業者に選定された「UDXグループ」(※注2)から、依頼を受けたのが2002年です。基本コンセプトの創出から、研究組織や支援機関の誘致、地元、中央官庁等々との意思疎通まで、いろいろとお手伝いしました。

──プロデューサーに就任したときには、すでに東京都により大枠は決められていたわけですね。

 そうです。「ITセンター」構想(※注3)ですね。

 最初、“コーディネーター”への就任を依頼されたのですが、お断りしました。“プロデューサー”なら引き受けます、と。

 というのも、そのコンセプトだと秋葉原は駄目になってしまうと思いましたから。

「今さらITじゃないだろう」と。ITは、あらゆることに関わるベースであって、コンセプトではない。しかも情報社会で、工業社会的な“センター”はおかしい。

「“これからはテクノロジーとコンテンツだ、その両者が融合するのがアキバだ”と見ないといけない」と説きました。

 秋葉原は、当初ラジオ街だった。次に電器街となり、3番目にパソコン街になった。4番目が、“ロボット&フィギュア”です。“ロボット”というのは要するに先端科学、“フィギュア”というのはサブカルチャー、つまりオタク系のコンテンツのことを、象徴的に言っているわけです。

 ですから、それらが“交差・交流する場”という意味で、名称も「クロスフィールド」と変えてもらいました。

(※注1)秋葉原クロスフィールド:JR秋葉原駅・電気街口そばにある2つの高層ビル、「秋葉原ダイビル」と「秋葉原UDX」から成る複合施設。オフィス、産学連携施設、会議室、各種ホール、イベントスペース、飲食街などを備える。UDXには「東京アニメセンター」やシアターもある。青果市場の跡地を東京都が売却、開発主体をコンペで選定するかたちでつくられた。2006年3月グランドオープン。秋葉原の新たなランドマークとなった。
(※注2)UDXグループ:ダイビル(秋葉原ダイビル担当)、NTT都市開発(UDXビルの設計担当)、鹿島建設(UDXビルの建設・マネジメント担当)による企業連合。なお、コンペにおいて企画提案できたのは同グループのみであった。
(※注3)秋葉原ITセンター:2000年に発表された「東京都産業振興ビジョン」で、秋葉原地区における「IT関連産業の世界的な拠点」の形成が織り込まれたのが発端。同年9月の石原慎太郎都知事の秋葉原訪問で、この方針に基づく再開発計画は加速。01年12月に発表されたコンペ公募要項では、「秋葉原ITセンター(仮称)」と銘打たれた。