【3月22日 AFP】(一部更新)西アフリカ・マリの首都バマコ(Bamako)で21日、反政府武装勢力への政府の対応に不満を持つ軍の反乱兵士たちが国営放送局を占拠し、さらに大統領府を攻撃した。22日早朝、反乱兵らは「無能な政府」から権力を奪取したと表明し、憲法の停止をテレビで発表した。

 反乱兵らは自分たちを「民主主義制定のための全国委員会」と名乗っており、22日午前4時45分(日本時間午後1時45分)ごろ、テレビで「国を守るための武器の不足」および政府がテロと戦う上で「無能」だとの理由で行動を起こしたと説明。国防軍を代表して、軍事政権が「国内の統一と領土の保全が再建でき次第ただちに、民主的に選ばれた大統領に権力を回復することを厳粛に約束する」と主張した。

■背景に反政府勢力との戦い

 兵士たちの反乱は21日、首都から約15キロ離れたカチ(Kati)の軍事キャンプで始まった。反乱兵らは、トゥアレグ(Tuareg)人反政府勢力「アザワド解放民族運動(National Movement for the Liberation of AzawadMNLA)」と交戦している兵士たちで、最近、政府の対応に不満を募らせていたことから、新たに就任したサディオ・ガサマ(Sadio Gassama)国防相が同日、カチのキャンプを訪れた。

 しかし、AFPの取材に応じた軍下士官によると、弾薬の補充を求めた兵士らに対し同国防相が納得する対応をしなかったため、空砲を撃つなどの抗議が始まったという。その後、兵士たちは空砲を撃ちながら首都へ向かって進み始め、午後4時30分(日本時間21日午前1時30分)ごろ国営放送局を占拠。放送はその後数時間、何も映らない状態だったが、午前0時をまわる間際に音楽ビデオが流れ、まもなく「兵士たちによる宣言」を放送するとの予告があった。

 大統領府では夜に入っても銃声が続いていたが、反乱兵の1人は22日、AFP記者に対し匿名を条件に、大統領府を制圧し、スメイル・ブベイ・マイガ(Soumeylou Boubeye Maiga)外相ら閣僚数人の身柄を拘束したと語った。

 アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ(Amadou Toumani Toure)大統領は脱出に成功した模様。これに先立って21日午後、大統領は大統領府内に身を隠していると側近が述べていた。

■西アフリカ一の民主国家、現実は…

 マリは西アフリカ随一の民主的な国家と言われ、成長も続いているが、1960年の独立以来トゥアレグ人の反政府闘争が続いている。トゥアレグ人は周辺諸国に暮らすサハラの遊牧民で、マリでは北部に集中している。MNLAの名称にあるアザワドはトゥアレグ人たちによるこの地域の呼称だ。

 トゥアレグ人たちは前年、リビアの最高指導者だった故ムアマル・カダフィ(Moamer Kadhafi)大佐に対する蜂起が起きた際には大勢がカダフィ大佐を支持する勢力に加わった。このトゥアレグ人たちが戦闘経験を積み、カダフィ政権転覆後に大量の武器を持ってマリへ戻り、MNLAの下で組織化されて1月中旬から独立を求める新たな反乱を開始。このためマリでは最大20万人が避難民となっている。また公式発表はないが、政府軍の多くの兵士が死亡したり、トゥアレグ人に捕虜として拘束されているとみられ、政府の対応への怒りが膨らんでいた。

 これまで2期を務めたトゥーレ大統領は4月、2期目の任期を終え退任する予定。トゥーレ大統領も軍出身で、1991年にクーデターを率いてムーサ・トラオレ(Moussa Traore)大統領(当時)を追放した。2002年の大統領選で当選し、現職に就いていた。(c)AFP/Serge Daniel

【図解】西アフリカのマリでクーデター