Allan Sekula, 
The Body and the Archive, 
in October(Winter, 1986)
(アラン・セクーラ、「身体とアーカイヴ」)

――ウェブ上レジメ――


THINKPHOTO-1-15  2001/2・12 O・Maekawa


●はじめに

 事実を記録する写真/写真によるリアリティの構築(「写真のリアリズム」)。
 「写真アーカイヴ」⇒画像の収集・分類・組織化の原理+具体的な制度=機関
 セクーラ⇒写真の社会的、政治的文脈を視野に入れた記号論的研究。

●写真の魅惑と脅威――ダゲールを揶揄した詩と、タルボット『自然の鉛筆』

・詩
「 O Mister Daguerre! Sure you're not aware/Of half the impressions you're making,
By the suns potent rays youll set Thames in a blaze,/While the National Gallery's breaking.
……The New Police Act will take down each fact /That occurs in its wide jurisdiction/
And each beggar and thief in the boldest relief/Will be giving a color to fiction.」
 @ 圧倒的な量の写真画像の浸透、「マス」・カルチャーの進展。
 A 警察業務による写真利用の可能性。「Will be giving a color to fiction」

・タルボット  《開け放たれた扉》⇒17世紀オランダ絵画との類比
        《中国の品々》⇒写真という視覚的ドキュメントの法的な照明手段の可能性。
                  「虚偽を沈黙させる物言わぬ証拠[a silence that silences]」

●尊称的/抑圧的な写真表象のシステム

  写真は二種類の働き――「尊称的」/「抑圧的」働き――を具えた表象のシステムである。
  顕著な事例⇒肖像写真
 @尊称的働き:市民階級の自己を尊称的に呈示してみせる。大衆化=拡張された伝統的文化。
 A抑圧的働き:見慣れぬもの=「他者」(貧民、犯罪者、狂人、病人、植民地の人々)というものを
          打ちたて、それを境界づけ、同時にそれに向けられる「一般的な外観」、「社会的逸脱
          や病理という偶発的事例」が形成。


「犯罪者の写真は、この点で適切な事例である。それは文字通り、指示対象[レファレント]を逮捕=引き止めることを容易にする」。


 
2つの働きの関係は?

「市民社会が前提にしているのは私有財産制に基づく社会関係であり、自己=自我の法的な基礎づけのためのモデルは所有権、つまり、「所有的個人主義」というものにある。したがって、肖像写真/画はすべて、潜在的にその客観的な倒立像を警察の犯罪者ファイルのなかに有することになる。言い換えれば、暗黙のホッブズ的論理が「ナショナル・ギャラリー」と「警察法」という2つの領野を結び付けているのである」。(※解りやすく言えば、肖像写真の中にはつねに2つの働きが含まれているということ。)


 2つの働きが生じてきた社会的背景は?
 ⇒功利主義的な文化と社会の関係。快と規律=訓練を与える最適の手段としての写真。


「もっと一般的な言い方をすれば、写真は、日常生活の中にパノプチコン的な原理を導入し、尊称的な機能と抑圧的な機能の両者を結びつけていた。どの肖像写真でも、暗黙のうちに社会的、道徳的な階層づけという役割を果たしている[中略]。写真は潜在的にこの[尊称的な機能から抑圧的な機能までの]垂直軸に沿って動いていく。したがって、それは希望と脅威を同時に与え、「小市民」的主体に呼びかけるのである[アルチュセールの言う主体への呼びかけのこと]」。


…市民が「見られる」存在として浮上するということは、このような両義的な意味を含んでいるのである。

●観相学と骨相学

 社会の成員全体を包摂する「影のアーカイヴ[shadow archive]」と、その下位領域である「領域的アーカイヴ [territorial archive]」。影のアーカイヴはさまざまな人々の可視的な身体の痕跡[イメージ]を記録し包含。
⇒こうした例として観相学(骨相学)という解釈的パラダイム。

・観相学:1770年代末からラヴァターが展開。「人間の顔に書かれた、自然の本来の言語」を厳密な観相学的科学によって解読。解剖学的な顔の部位の特徴と性格学上の意味を結びつけ、各部位を総合する方法。

・骨相学:19世紀初頭、ガルが提唱。頭蓋骨の部位と脳の各部位の心的機能との対応関係。 大衆的アピール。非専門家も習得が容易。

・観相学(骨相学)の観念論的な傾向⇒「頭による頭のための」言説。労働の分業化(頭脳労働と肉体労働の優劣)を前提にした資本主義のイデオロギー。危険な大都市で他者を判別する方法でもあった。


●骨相学と写真との出会い――ファーナムとブレイディ――

 骨相学と写真の出会い⇒ファーナム改訂のサンプソン『犯罪の原理』という書物。
  アメリカの刑法改革運動家、女囚監督官エリザ・ファーナムが写真家マシュー・ブレイディに囚人たちの
  撮影を依頼。この写真にもとづいて作成された版画が『犯罪の原理』に掲載。犯罪行為は「道徳的な狂
  気」、精神異常、したがって治療のためにその身体的な諸特徴を治療する必要がある、というある種の
  骨相学。彼女自身は非専門家。ただし大衆にアピール。死刑法廃止、犯罪者の治療施設開設の必要性
  などを説く。多数の個別事例の図版が入っていたことが特徴的。
  人種の記載がされた10人の成人男女の囚人の図版(アングロサクソン以外は明記)、8人の子どもの
  囚人の図版はコメントなし→こうした実践において写真発明後に犯罪者の身体にカメラが向けられ奇妙
  な思弁が始められることになった。

ここで2つの注意書き
(1)犯罪者の身体は、法に従属する身体(市民階級の身体、あるいは市民階級に従う身体)の構築と
   不可分。市民階級は犯罪者の身体という他者を鏡にした。
(2)身体の視覚的記号を解釈する観相学的コードと機械的な視覚表象を生み出すカメラという技術は、
   身体の膨大な量のイメージを集め、分類学的な整理を行ってアーカイヴを構成していくが、視覚的な
   経験主義(リアリズム)への信頼は揺らいでいる。カメラの正確さ=リアリズムへの還元は控えておく
   べき。カメラが編入される統計学的な知のシステム、アーカイヴが重要。

●犯罪者のアーカイヴ

犯罪写真のアーカイヴ←警察業務の専門化、新技術の導入、犯罪学という科学の成立(1880−90年代)。
アーカイヴの要素⇒等価で交換可能なものの集合でなければならない。
            任意のイメージを編入していく可能性が必要条件。
単一のコードに還元され等価な関係をもつ多数のイメージの作成⇒カメラという測定に適した精密な(と見なされた)装置が必須。
19世紀の実証主義においてカメラが果たす役割は重要。細部と「幾何学的な抽象化」。
犯罪写真⇒犯罪者の身体の観相学はカメラを物差しにして、犯罪者を大きな集合のなかに相対的に位置づけ。

 ただしアーカイヴは期待通りに実現せず。写真に孕む問題性が障害(写真画像の量、写真の偶然性)、
 →2つの対処法 @個別事例がもつ特殊性を無視し、タイプ=典型的なものをモデルに。
            Aファイル・システムという装置の発明。
  この2つの方法は、犯罪者の身体を撮影した写真への2つのアプローチに表れる。
  →@犯罪学:写真を用いてタイプ=典型的なものを構築する方法/
    A犯罪捜査学:写真を用いて個別の犯罪者の認識や統御を行う方法


 「一般に「犯罪写真」とは、強力な印象を与える非芸術的な写真であり、一義的な視覚的経験主義を典型的に示していると理解されている。しかし…道具として写真のリアリズムが体系化されるようになるのは、むしろ視覚的な経験主義の不十分さや限界を人々が鋭く見抜いていたからである。1880年代に犯罪者の身体を記述するための二つの方法が採用される。どちらも写真による証拠を統計学的な方法に基づかせようと試みている。この、統計学と光学(視覚)の融合は、19世紀における社会諸科学の言説や、視覚表象についての言説など、さらに広範な領野にとっての基礎となっていた。理論的な源泉は共通しているにもかかわらず、写真と統計学の交差は、2人の人物それぞれの仕事にまったく異なった形で結実することになる。この2人とはベルティヨンとゴールトンのことである」。


●ケトレの「平均的人間」(『人間について』(1835))

 ベルティヨンとゴールトンに話を進める前に、両者を結びつける第三の人物を挙げておく。両者のシステムは社会統計学の出現とコード化が基盤、「平均的人間」という考えに彼らは依拠。ケトレなる人物の功績。

 アドルフ・ケトレ⇒ベルギーの統計学者=天文学者。
  コンドルセの「社会的数学」(社会現象の基本法則を見出すための数学)を実行。統計学的法則を表に。
  個々人の身体を数量化→社会一般の数量化へ向かうという手順(出生率、死亡率、犯罪率など)。
  生命保険産業への寄与、産業資本主義の動力である人間の抽象的労働力をグラフ化。
  彼の統計学において法則性が顕著に表れるのは犯罪統計学=「道徳統計学」。「社会物理学」の中心。
  従来の自由意志に基づいく道徳的なパラダイムは失墜、犯罪者は社会的な諸力のエージェントに。
  また、こうした犯罪統計学が契機になって、19世紀の都市生活が病理的な性格をもつという市民社会
  の考え方(シュヴァリエ『労働者階級と危険な階級』)も形成。社会は医学的治療を施すべき領野と見な
  される。
 
  「平均的人間」⇒(もとは天文学や確率論に由来する概念)。数値を集計して二項曲線の表にした際に
            生じる釣鐘形の形状の中間地帯。正常性のゾーンと見なされる。
            逸脱している部分は異常、生物的社会的な病理。
           「平均的人間」は社会的健全さという理想、社会的安定性の指標に。重心としての平均。
            逸脱部分は社会を無秩序にしかねない要因。
            市民社会の社会秩序を量的モデルによって示す。
 古典主義的観念論⇒ただし彼の社会統計学の背景には観相学や骨相学の当時の熱狂的受容がある。

             18世紀来の頭蓋骨の形状(角度)についての理想的形態という考え方も引き継ぐ。
             ヴィンケルマンやルネサンスの作例(デューラー)に見られる古典主義的理想。
             「平均的人間」はあらゆる時代の善なるもの、美なるものを表す典型。
             時代を超えた理想的人間性。

※18世紀と19世紀末の大きな違い⇒
   社会を有機体的組織と見なすモデルが危機に直面したということ。統計学は尊称的な視線で
   18世紀来の視覚的パラダイムを眼差していたが、これが転倒される。(タルド)
   →ベルティヨンとゴールトンの方法へ。ケトレの社会統計学に影響を受けた両者の方法は、社会的
   逸脱を規定し、統御するための実証主義的な試みの二つの方法論的極。

 ・ベルティヨン法⇒個別化する方法。実践的操作的な目的に。都市の警察業務の要請や第三共和制
            下の階級闘争などの問題に応える。
 ・ゴールトンの方法⇒遺伝法則の証拠を視覚化。理論的な目的に。とはいえ後の国際的優生学運動と
              いうイデオロギー的、政治的プログラムにおいて実践=実際的な形で実現。
 両者ともに人口統計学上のコントロール=統御という問題にかかわる。ベルティヨンのシステムは、常習的犯罪者階層を隔離するために有用、ゴールトンの方法は、適合者を増大させ、不適合者の増大を防ぐという人口政策上の問題にかかわっていく。

●ベルティヨンの方法

パリ警察役人。パリ警察の同定部(Buraeu of Identification)の部長。「常習的」犯罪者同定のための最初の効果的なシステム、言葉と写真によるカードの作成法とそのカードを収めるファイル・システムを1880年代に考案。「巨視的な」集合のなかに「微視的な」個々の記録を位置づける。
⇒肖像写真
人体測定法省略化された基準的記述を、1枚のカード上に結合(微視的「signaletic note」)
  複数のカードを全包括的な統計学に基づくファイル・システムのなかで組織化(巨視的)。
 非熟練者でも応用できる一貫した厳密な手法。合理化された手続き=テイラー主義。実用的、非理論的(犯罪捜査のための実用的方法への執着、したがって犯罪学に見られる典型=タイプ、責任を有する/有さない犯罪者の区別には関心は向かず)。

 膨大な犯罪者のデータを整理するために
  @人体測定法、A観相学的な略記法、B2枚の写真、C統計学を使用(D部分写真)。
@人体測定法:身体の11の部位を測定。
A観相学的な略記法:
B2枚の写真:正面と右側面(プロフィール)⇒@ABで「signaletic notice」となる。
☆ここで量の問題に加えて、「分類」の問題が生じることになる。記録したデータの組織方法が問題。
C 統計学的方法:べルティヨンはケトレの「平均的人間」の考えを導入。@のデータを下位区分する(平均以上、平均、平均以下)。10万枚もの記録カードを格子状に編成された引き出しを備えたキャビネットに収める(各引き出しには12枚のカードを収納)。ある意味でケトレの曲線をキャビネットにおいて実現。1883年から1893年の10年間で男性10万人、女性は2万人ほど整理。
常習犯(再犯者)の同定は4563人に及ぶ。

☆とくにAの写真の用法について。写真の意味はどのような規則によって統御されるのか。
 まず芸術性のない、中立的な写真を実現するためにさまざまな操作が必要。
B−1 2枚組の写真(側面と正面)。
B−2 一定の姿勢:
B−3 均一な照明:
B−4 標準的な焦点距離:
B−5 被写体とカメラとの一定の距離
こうした手続き→写真に含まれる偶然性を排除するための内的な工夫。外的な工夫として写真の視覚的記号を略記した言葉に変換するという翻訳作業も(A)行われる。さらにもうひとつの手続き。

D 部分写真の併用:耳の形態に特に注意が向けられ、経験主義的な仕方で耳の部分写真が集積。
※こうしてコード化される犯罪者の身体は、――18世紀来の観相学とは違い――内面を表出せず。ただ物理的なモノ。無数の書き込みが行われた身体は、記号からなる「テクスト」に変換。イメージ(写真)は一連の数や言語に従属。

・社会的背景:無職の危険な階級のうち常習的な犯罪者を退去させる法律と密接に関係。また、コミューンによって1859年以前の個人同定のための記録が焼却されてしまったという「同定=同一性の危機」という状況に応えるシステム。
・アメリカでの受容:国際的にも警察での標準的方法に。ただし人体測定法は「指紋法」に変わっていく。

●環境要因論(フランス)と生得的決定論(イタリア):

 フランス→犯罪の要因として環境決定論が主流。悪辣な社会環境に苦しむ人々を医学的に治療すべき。
       例えばガブリエル・タルド(犯罪は模倣行動を通じて増大)や「堕落者」=犯罪者という言葉。
 イタリア→生物学的決定論が主流。犯罪者は隔世遺伝、先祖がえり、退化。犯罪は原始人や動物の残忍
       性の再生、と。
       例えばロンブローゾという犯罪人類学者(解剖学者、頭蓋測定学者)。
 写真は(タルドを除き)、フランスでもイタリアでも熱狂的に受容。
 またそうしたなかで犯罪者についての言説の基礎には「表象間の闘争」という事態もあった
  (犯罪者を示す写真、その他の図面、犯罪者自身の描いた絵、刺青など、多様な表象群の間で)。
  例:ロンブローゾの生物学的決定論では刺青は先祖がえりの印。環境要因論を採る人々も、
    犯罪者による視覚的産物を同様に蔑視した見解を述べている。ただし限られた例を元にした曖昧な
    推論。こうした曖昧な推測を克服→ゴールトン(ただしイタリアの犯罪人類学の考えや生物学的
    決定論に結びつく)。

●ゴールトンの方法

イギリスの統計学者=優生学の創始者。犯罪学/論の周縁で活動。遺伝学や人種の向上に関心、
「犯罪者の類型」を生物学的に規定する試み。
科学史の中では統計学的方法による遺伝学研究で有名(ダーウィンとメンデルの間に位置)。
躾による社会改良という政治的企図→支えは階級関係をイデオロギー的に生物学からおさえること。
「不適合者」の減少化、優生学運動(都市の貧困層の出生率の増加という脅威が背景に)。

・「合成写真」の試み:しかし、ゴールトンの仕事のうちで見落とされてきたのは合成写真という発明。
             「合成写真」によって犯罪者の典型を示す純粋に視覚的な表象を構築。
             この表象は、経験的には存在しない、統計学的に規定されただけの犯罪者の顔
             写真。奇怪なものではあるが、犯罪者の本質を研究する際に写真を利用した同時
             代の試みの中では洗練。
             1877年に考案された彼の合成写真は30年に渡って世に広まる。
             ロンブローゾ『犯罪者』フランス版(1895)とイタリア版(1896−97)、
             ハヴロック・エリスの『犯罪者』(1890)にも収められる。

・ゴールトン『遺伝的天才Hereditary Genius』(1869):
 環境に対する生得性の優位を説き、人間の知性の特質を規定する試み。
 ケトレの曲線グラフを用い、陸軍士官学校の入学試験の点数は釣鐘型の形になる、と観察。
 この知性の量的なヒエラルキーを人種にも適用(アテナ人の平均的能力からアフリカ人まで)
 →古典主義的な欲求が前提に。優生学の目標とは、この古典主義理想にできるかぎり近づくこと。
   対極がアフリカ。

ゴールトンの方法は、量的、数的な階層化に基づくが、観相学的記述も共存。つまり測定する欲求と見る欲求の双方が共存。

・ゴールトン 『人間の能力の研究』(1883):この本はゴールトンの15年の研究の集大成。
  視覚的方法と統計学的方法を単一の「有機的」捜査に結合する試み。従来の観相学的類型化の
  限界についての指摘から話は始まる。


「さまざまな人々の間の観相学的な差異はあまりにも数が多く、しかも微細なものであるため、互いに比較したり測定することも、通常の統計学的な方法を通じてある人種の真の観相学的特徴を見出すことも不可能に近い。通常行われている方法は、代表的な型=タイプであると判断される個々人を選び、撮影するという方法であった。しかしこの方法には価値がない。というのも、判断そのものが誤っているからである。それは通常の特徴よりも例外的で、グロテスクな特徴が主要な要素になっているため、典型的とされる肖像写真が戯画になってしまう可能性があるのだ」。


  このような観相学批判を行った後、合成写真の説明。驚異的な認識論的なツール。
  合成写真による「画像統計学picture statistics」。

・合成写真(画像統計学)の方法:1枚のガラス板に次々と肖像写真を露光して合成。
             サンプルの数分の1秒間だけ露光。
             共通しない特徴→露光不足で消失(ボケ)/
             共通した特徴→残る。平均値、一般的なもの、「統計学的常数」、統計表の平均値。
             経験的な特殊性と一般化の両極が論理的な断絶を起こしているということ。
・ケトレの影響

 「画像統計学の方法は…人間の類的な画像を得るのに適している。ケトレが人体測定法についての著作で記した通常の数的な統計的方法によって獲得したような画像(曲線)がえられるのである。・・・[ただし]合成写真によって得られるのはただの曲線ではなく画像なのである」。

 ベル型曲線が顔写真になるという大胆な仮説。縁の削除。周辺部には個別性、中央部にはタイプ…。

・具体的な用法(口絵):『人間の能力の研究』の口絵に掲載された8セットの写真(優生学講義の図解)。
@ 左上アレクサンダー大王の顔。6枚のメダルを合成。
A 2セットの合成写真:同じ家族の成員からの合成写真。
B 王立技術員(?)の12名の合成写真。
C 結核。顔色の悪い人々の合成写真。
D  収監局から入手した囚人の合成顔写真。
E対比的な合成写真:消費的な人と非消費的な人それぞれの合成写真。
F他にもユダヤ人のタイプの抽出した合成写真。
ゴールトンの方法は1915年まで流通。本質主義的な人種論に源を持つが、「生得」よりも「環境」を優先させる論者によっても使用。
 例:ルイス・ハイン(1913年)。/ 例:ヘンリー・ゴーリングの『イギリスの犯罪者』(1913年)。批判。

●ベルティヨンとゴールトンのまとめ

 生物学的な本質主義者=ゴールトン、唯名論的な捜索者=ベルティヨンは各々、写真に孕まれる問題に突き当たっていた。
これを「インデックス」的記号と「シンボル」的記号(パース)という観点からまとめる…ベルティヨンは逆説的にも、写真を「portrait parle」という言語的テキストに従属させることで写真を手なづけるが、インデックス的な意味の秩序に繋がったまま(写真は偶発的な性質をもつ物理的な痕跡以上のものではないから)。他方、ゴールトンは、インデックス的な写真の合成をシンボルの次元にまで引き上げ、偶然的事例を累積していくことによって一般法則を示す。合成写真が意味をもつためには、法則というコード(シンボル)に従う必要。
(ゴールトンとフォト・セセッション(スティーグリッツ)の比較:)

●写真の意味論的なコード化について

・BとGの軽視の源:写真史のなかでの2人の軽視への批判。
            別の観点から見れば「写真の意味論的交通」の2つの極を表してもいる。
            ベルティヨン⇒アーカイヴ内に写真を埋め込む/
            ゴールトン⇒写真の内にアーカイヴを埋め込む
            手法に差異はあるが、視覚的ドキュメントの官僚主義的な処理のための一般的な
            パラメーターを描き出す。

・アーカイヴの展開――写真アーカイヴと書誌学――:

 1880年から1910年の間、アーカイヴは写真の意味のための中心的な制度的基盤に。
 写真アーカイヴは経験的学問(美術史から軍事的な知識まで)にとって必須のものに。
 写真がテクストの領野の中に統合→「書誌学」が写真の分類のためのユートピア的モデルを提供。
 写真を10進法分類にしたがってカタログ化。数的コードによる「一般的等価性」に基づくモデル。
 アメリカ議会図書館=パノプチコン
 テクストが写真の領野に統合→「写真は、書誌学の合理化の対象であり手段であった」。
                    マイクロフィッシュによる複製の利用。
写真=普遍的言語としての名声復活→図書館の中に孕まれているテキスト・パラダイムと結びついて。

 ただし写真の普遍的カタログ化の実現の規模は小さいもの。諸学問の専門化、アーカイヴの下位区分ゆえ。にもかかわらず、写真文化は、自らの正当性をアーカイヴ・モデルに依存。影のアーカイヴが、個々の写真への真理の要求を確固としたものにする(とくにマスメディア。例えば、キーストーン社やアンダーウッド社のステレオ・カード。)。 アーカイヴの合理化は、道具としての写真のさまざまなリアリズムにとって決定的作用を及ぼす。写真の指示対象(レファレント)の操作や実際的な変容にも繋がる。

・モダニズムと写真アーカイヴ:

この写真のアーカイヴ的様態と写真のモダニズムには何らかの関係があるのだろうか? 
今後の研究の方向を示すだけ
@ フォトセセッションというプロト・モダニズムの姿勢について(1916年頃まで)。
A 20年代から:アーカイヴにたいするさまざまな矛盾した態度が写真の言説には現れてくる。例:アーカイヴ・パラダイムを用いるザンダー。その他のものたちは、反実証主義や反合理主義に徹底したモダニスト的改変を加えて、アーカイヴモデルに抵抗。例えば後のスティーグリッツとウェストン。
B ウォーカー・エヴァンズ:1938年の『アメリカン・フォトグラフズ』の矛盾した姿勢。アーカイヴへの抵抗と魅惑。
1930年代後半と1940年代初頭の地下鉄乗客の隠し撮り写真。警察写真との関係と区別。
Cポストモダニズム批判:身体の氾濫。モダニズムのモデルの有効性。政治的読解の余地。アッジェ、レヒト、ベンヤミン



■ 関連文献
セクーラの論文、著作
・On the Invention of Photographic Meaning, in : Victor Burgin ed., Thinking Photography, Ch.4,1982
・Traffic in Photography, in: B.H.D.Buchloh ed., Modernism and Modernity,,1983
・Photography against the Grain,Halifax, 1984
・The Body and the Archive, in: Contest of Meaning, 1986
・Reading an Archive, in: B.Wallis, Blasted Allegories, MIT,1987
・Fish Story, Richter Verlag, 1995
・Geography Lesson, MIT, 1997

その他           
・多木浩二『視線の政治学』冬樹社、1985年
・J・ディディ=ユーベルマン『アウラ・ヒステリカ』リブロポート、1990年
・『現代思想 特集 顔』1991年7月号、青土社
・R.A.Sobiezek, Ghost in the Shell, MIT, 2000
・Eugenia Parry, Crime Album Stories――Paris 1886−1902, Scalo, 2000
・橋本庄次『犯罪科学捜査』宝島社新書、2000年

■まとめと批判に代えて(作成中):

・アーカイヴ(アルシーヴ)という概念の「リテラル」さ?
・言語的アーカイヴと写真アーカイヴの関連性―断絶性についての考察の深化?
・フーコー主義に対するラカンからの。cf.ジジェク