難解の国からきたアリス・文月悠光(ふづきゆみ)

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適切な世界の適切ならざる私

「現代詩」というと、とんでもなくムズカシイものだという先入観がある。

詩だけではない。「現代アート」も「現代音楽」も、およそ「現代」と冠のつくジャンルは、よくワカラナイというのが相場だろう(“ゲンダイ”とカタカナになると話しは違ってくるが)。文月悠光は、そんな「難解の国」からやってきたアリスだ。

中学から高校にかけて投稿した詩をまとめた『適切な世界の適切ならざる私』(思潮社)で中原中也賞と丸山豊記念現代詩賞を“最年少”で受賞。多感――というより鋭敏すぎるほどの感性で見つめた10代の心象風景を、20歳になった本人が朗読するというショートムービーを撮らせてもらった。

「文月悠光 適切な世界の適切ならざる私」
(動画リンク)http://www.youtube.com/watch?v=jBTHkjRllkw


音楽PVを撮るような感覚で、ミュージシャン以外のアーティストを撮ってみたかった。

「PVを撮らせてくれませんか」

という申し出を快く受けてくれた女子大生の詩人は、約束の時間を少しだけ遅れて都内のカフェに現れた。予想外といっていいのか、かなりフェミニンな服装。勝手に“地味な文学少女かな”と予想していたのだが、ちょっと違っていた。

「男の子より、女の子のほうが好きなんです。キレイだから」

という文月自身が、現代詩人というよりも“キレイめな女子大生”そのものという印象だ。

しかし、その経歴はタダゴトではない。

(wikipediaから引用)
小学生から作家・詩人を志し、2006年より詩誌「現代詩手帖」「詩学」に詩を投稿。中学校在学中の2007年、第3回詩学最優秀新人賞受賞。高校2年の2008年に帷子耀と並ぶ最年少で現代詩手帖賞を受賞する。高校3年の2009年に第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』(思潮社)を出版し、中原中也賞および丸山豊記念現代詩賞を最年少受賞する。2011年現在は東京都内の大学に通いながら、雑誌・新聞に詩、エッセイ、書評などを発表。都内や出身地の札幌市で朗読会にも多く出演している。

 

これほど権威ある賞を次々に獲得している女子高生というのは、どんな感じだったんだろう。高校の国語教師はさぞやりにくかったんじゃないかと、勝手に同情してしまう。しかしやりにくかったのは文月自身もそうだったようで、高校1年生くらいまでは周囲との違和感が激しく、かなり悩んだそうだ。

「高校1年くらいまでは、学校にいくと“どうしてこんなところに自分はいるんだろう?”と思っていました」

詩を書くときの過敏な精神状態のまま登校すると、なにげないことでも耐えきれないほどの苦痛を感じたのだという。

第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』(思潮社)には、まさにそうした心象風景がぎっしりと描かれている。未完成だった自我が成長するにつれて、それまで保護者だと感じていた社会との間にズレを意識しはじめるのは、誰しも経験があることだろう。しかしその感覚を、時に鋭敏に時に冷静に処理し“言葉”としてまとめあげることは、誰にでもできることではない。

同級生との関係も、ぎくしゃくしたものを想像させた。

「“バスケをやってます”とか“ダンスやってます”っていえばすぐに認められるのに、“現代詩書いてます”って言ったら浮くに決まってますからね。だから自分からそれを言うことはありませんでした。かといって詩をやめても他にすることないし……そうこうしているうちに、周囲の女子とそれなりに話しを合わせることもできるようになったんですけど」

文月の詩は決してわかりやすい詩ではないが、繰り返し描かれる“違和感”について共感する人は、大人にも多いだろう。しかしその“違和感”を、学校や家庭というリアルな居場所を題材にして書き続ける――書けばその居場所がますます居心地悪くなるかもしれないのに――書き続けざるを得ないという青春時代は、想像するだけでも過酷だ。

文月悠光

上京して大学生となった今は、とても楽しそうにみえる。

「以前ほどまわりも私を気にしなくなったし、友だちも似たような感覚を持っている人が多いですから。大学に入って、楽になりました」

なにかというと“最年少で受賞”と紹介されることにも慣れたという。

「事実ですからね。それに、“最年少であること”“若い女性であること”で私に興味をもってくれて、そこから現代詩にも興味をひろげてもらえるなら、それもいいのかなあって」

いま、文月は現代詩への興味をひろめていくことにも楽しさを感じているようだ。そんな彼女に、難解さにひるまず、現代詩に親しむための秘けつを聞いてみた。

――“わからない”作品って、どうやって楽しんだらいい?
「みんなすぐにわかりたがるけど、そういうものって“おもしろかった”ですぐ終わっちゃう。いっとき感情を波立たせて、それで終わり。わかりにくい作品には、そうした消費型の作品にはない深い味わいがあると思います。そもそも他の人が言っていることを、すぐに理解できるはずがないんです」

――作者自身は、詩の内容を説明できるもの?
「言いたいことはあるけど、それを説明できるくらいならはじめから詩にしません。それに、作品を読んで感じるべきことは、書き手よりもむしろ読み手のほうがわかっていたりするものなんです。だから私は、読み手に託すような気持ちで、詩を書いています」

文月悠光

かつて外世界とのズレに苦しんだ少女が、いまは社会とのつながりを深めていくことに楽しみを見いだしているようだ。

「いろんな人生を体験してみたいんです。なのに、1人の人生しか経験できないなんて本当にもどかしい! ものすごい幸福も、苦しみも、それを体験できたら詩にできるのに、って思います」

大学生活を送るかたわら、朗読イベントにも積極的に参加している。詩の世界だけで完結する詩人が多いなかで、エッセイや書評、さらには小説と、表現のフィールドを拡大しようともしている。難解の国からきたアリスはこれからも、ぼくたちの脳みそに、簡単には解けることのない魔法をかけてくれることだろう。

文月悠光リンク
Blog「お月さまになりたい。」: http://hudukiyumi.exblog.jp/ [リンク]
Works「こゆび」: http://lunawork.blog111.fc2.com/ [リンク]
Twitter: @luna_yumi [リンク]

音楽: 沼尾妙子 http://yoruni-yoseru.lomo.jp/ [リンク]

※この記事はガジェ通ウェブライターの「moeru」が執筆しました。あなたもウェブライターになって一緒に執筆しませんか?
YouTubeなどにショートムービーを発表するかたわら、『ビデオSALON』『コマーシャルフォト』などで主に一眼ムービー関連の記事を書いています。最近では空気公団のPVをつくらせていただきました。

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