Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

ナショナリズムと芸術生産 シリーズ第1回「アーティストとしての方法(の一つ)」より小泉明郎さんのプレゼンテーション

◇ camp, Recorded on 10/05/26 zacari on USTREAM.
http://www.ustream.tv/recorded/7219421
水曜日に開催されたCAMPより。


◇ 100526 - CAMP

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ナショナリズムと芸術生産 シリーズ第1回
「アーティストとしての方法(の一つ)」
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<ゲスト>
小泉明郎(アーティスト)
<モデレーター>
崔敬華(キュレーター)

小泉明郎は、芸術の政治化から距離を置くためには、ある種の責任の放棄が可能にする、aestheticsに身をまかせた飛躍の瞬間が必要だと言います。アーティストとしてナショナリズムの問題とどのように向き合い、どんな可能性を提示でき、また、そこにはどのような危険性が含まれるのかを、彼の国内外での精力的な活動を振り返りながら考えてゆきます。

ナショナリズムと芸術生産
ナショナリズムは国家の変遷と共に形を変え、様々な文脈と定義を生みだしてきました。現代社会で見られるナショナリズムの一番大きな問題は、国家という共同体で結ばれた「我々」と、その外に存在する「彼ら」を区別し、他者に対する理解や想像力を欠くことから、排他的な傾向を帯びるということです。私たちは皆、生きて行く上で何かしらの帰属意識を必要とするだけに、ナショナリズムは誰にでも存在しうる、急所のようなものです。この危うさを知るためには、国家とはどのような共同体であり、一個人としてどのように向き合うべきかを考える必要があります。
■今回の5回にわたるトークシリーズでは、政治ではなく、芸術生産の領域からナショナリズムについて考えてみようという試みです。芸術の生産、その活動が、様々な力によって形作られるナショナリズムにどのように対峙し、何を発信できるのか。ナショナリズムを考えるに当たって重要な、国家、アイデンティティー、コミュニティー、そして他者性といった問題を、アーティスト、キュレーター、研究者がそれぞれの活動や研究を軸にとりあげ、参加者と共に考え、議論してゆきます。

崔敬華(キュレーター)

http://ca-mp.blogspot.com/2010/05/100526.html


http://meirokoizumi.com/
http://meirokoizumi.com/
小泉明郎さんのウェブサイト。


>>>YouTube - 実家に闘魂電話
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20091118#p3
※リンクミス修正

あの宮下公園を清掃しようと試みた「アーティスト」「アクティヴィスト」は居たんでしょうか?

◇ ▼【追悼】アーティスト・イン・メモリアルパーク - イルコモンズのふた。

「原っぱが、子供たちにとって、日常的な絶好の遊び場だったことは、とても意義深いことだ。子供たちは、本能的に、原っぱを好んだ。それは、野球をしに行く場所ではなかった。ドッヂボールをしに行く場所でもなかった。なにかの目的をもって行く場所ではなく、ともかくそこへ行って、それからなにをして遊ぶかを決められる特別な場所だった。原っぱは、そのままで楽しいのではない。そこでは、毎日のように新しい遊び方が開発されていた。風邪をひいて、二、三日行けなかったりすると、もうみんなが遊んでいるルールがわからなくなってしまった。子供たちは、いくらでも、原っぱを使った新しい遊びをそこから引き出すことができた。原っぱの楽しみは、その場所での遊び方を発明する楽しみであり、そこで今日何が起きることになるのかが、あらかじめわからないことの楽しみだった。それが、人問の空問に対するかかわり方の自由ということの意味だ。

この自由は、別の意味で同じくらい楽しかった「遊園地」と対極にある。遊園地は演出されている。どういう楽しさを子供が得られるか、それが最初に決められ、そこから逆算してつくられている。それもまたとても楽しいことに違いないけれど、そこにはかかわり方の白由がきわめて少ない。ジェットコースターには、ジェットコースターとしての遊び方以外が許されていない。(...) 一見、自由に思えても、その自由は見えない濫のなかの自由だ。

ちょっと雑な気がするけれど、建築は、「遊園地」と「原っぱ」の二種類のジャンルに分類できるのではないか、と思う。あらかじめそこで行われることがわかっている建築(「遊園地」)と、そこで行われることでその中身がつくられていく建築(「原っぱ」)の二種類である。(...) ぼくがこの分類(あるいは極)にもう少しこだわりたいのは、現在において、「原っぱ」が失われつつあるからだ。」(青木淳)


ナイキ社がつくろうとしているのは、「遊園地」のような公園です。
もうこれ以上、「遊園地」のような公園は、いらないのです。
わたしたちは、渋谷のまちにのこった、最後の「原っぱ」としての
宮下公園をまもりたいのです。ナイキ社はそれを葬ろうとしています。
この映像にはすでに葬られ、忘れら去られてきた「原っぱ」たちが、
亡霊のように映りこんでいます。わたしたちがまもりたいのは
「原っぱ」なのです。「そこで今日何が起きることになるのかが
あらかじめわからないことの楽しみ」をまもるために。
檻の中にとじこめることのできない自由をまもるために。
その楽しみと自由を、こどもたちや多くの人たちと共有するために。

http://illcomm.exblog.jp/10936107/
以上、小田マサノリさんのブログより。


ナイキ公園化が計画されている宮下公園は、
ちょくちょく状況を見に行ってました(し、今もたまにチェックしてはいます)が、
あの大量にゴミが放置された状態(その多くはフェンスに囲われてはいますが)が
解消されることはありませんでした。それが残念です。


いまだに、「その楽しみと自由を、こどもたちや多くの人たちと共有」できるような
目指すべき状態の、その準備段階にさえ達していないように思います。


実際に現地を訪ねてみるとよくわかりますが、
あいかわらず一般の人々には近寄りがたい、非常にハードルの高い空間になってしまっています。
(ただし、春になって旺盛に生い茂ってきた緑によって、
冬なんかに比べると、その目に見えないハードルは若干下がっているようには思います。)


たとえば、宮下公園を通過する人々の平均滞在時間を計測してみると、どういう結果が出るでしょうか?
明治通りを挟んで東側に位置する、東京都児童会館脇の美竹公園(みたけこうえん)と
人の流れを比較してみるのもいいかもしれません。


美竹公園は、オルガン坂から宮益坂上へと延びる坂道を少し登った場所にあるので、
明治通りにも隣接していず、アクセスは必ずしも良いとはいえません。
しかし、かりに東京都児童会館目当ての親子連れをカウントしなかったとしても、
年齢、職業、性別などの異なるさまざまな人々で賑わっています。


それに比べると、宮下公園は、
路上生活者の方々が日向ぼっこしたり、うたたねしたりしている、その同じ空間で、
お昼休みのOLやサラリーマン、学生たちが、お弁当を食べたり、休憩したりしている。
そして夕方にもなれば、学校帰りの子供たちが何をするでもなく自然と遊び集っている。
……といったような「原っぱ」みたいな場所には、到底なりそうにありません。


この様子だと、一般の人々を味方につけて、
宮下公園での活動を支持するような層を拡大していくことは難しいのではないでしょうか。
渋谷区役所近辺でのビラまきにしても、ビラの受け取り率はかんばしくないのでは?


というふうなこともあって、
昨今の宮下公園のことを考えるたびに、
そこでアートがらみの「何か」をやるのだとすれば、
たとえば、美術家の岩井優さんを招いて
公園を「原っぱ」として復興させるための
「清掃プロジェクト」を実行に移すのが面白いかもしれない。
と、いうことを以前から考えていました。


などと書くと、お前がやれよと言われてしまって終了。
と、いう感もありますが。。。
ま、とりあえず、時間ができたら、
デンマークの首都コペンハーゲン
クリスチャニア(クリスティアニア[Christiania])が
どのようにして成立し、どのようにサステイナブルな状態を維持してきたのか?
といったことを調べてみようと思います。


◇ ▼CNN「宮下公園レポート」と「予示的政治」 - イルコモンズのふた。
http://illcomm.exblog.jp/11117645/
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201005/15/81/d0017381_20594263.jpg

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◎ MemoRandom
http://masaruiwai.exblog.jp/


◇ 洗剤や生ごみを用いた「掃除」の展覧会、『岩井優 展 "CLEAN UP 1.2.3."』 - CINRA.NET
http://www.cinra.net/news/2009/01/25/203420.php


◇ 岩井優 パーククリーニング─もし晴れたら、公園で─[小金井アートフル・ジャック!プログラム] - artscapeレビュー/プレビュー|美術館・アート情報 artscape
http://artscape.jp/report/review/1213080_1735.html
レビュアーは福住廉さん。


◎ :: Survivart.net(サバイバート) ::
http://survivart.net/


>>>[ Double Cast ] by Survivart
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070322#p5

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>>>Joachim Koester "Day for Night, Christiania"
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081103#p5


>>>ユートピアとは - ユートピア研究
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081103#p4

例の高速再生予告編は、、、

別のアドレスに移転していました。


YouTube - FILM SOCIALISME JL. GODARD TRAILER 2
http://www.youtube.com/watch?v=vK4yLgj3_Ak
http://www.youtube.com/user/BadLieutenantD
4分29秒。
公式ウェブサイトのものは、
↓約2分です。


◎ Film Socialisme de Jean-Luc Godard, au cinema le 19 mai 2010
http://www.filmsocialisme.com/


◇ ソシアリスム - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%A0


◇ 『Film Socialisme』 - maplecat-eveの日記
http://d.hatena.ne.jp/maplecat-eve/20100519


Jean-Luc Godard Interviewed by Jean-Marc Lalanne in LES INROCKS: "The Right of the Author? An Author Has Only Duties" - Cinemasparagus
http://cinemasparagus.blogspot.com/2010/05/jean-luc-godard-interviewed-by-jean.html


>>>瀬尾尚史さん(id:transparence)のツイッターより+α
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20100519#p6

June 2010 特集「WEB世代から今、生まれつつあるもの」 - ARTand ARCHITECTURE REVIEW

  • 藤村龍至「2010年に描かれる情報と空間の関係から考える」
  • 渋谷慶一郎「CDというメディアの葬送――ATAKの実験と変容」
  • 梅沢和木「「ニコ動」になくてここにあるものーメガサイズの作品が意味すること」
  • 南後由和「『集合知型リサーチ』という試み」
  • 李明喜「空間を考えるーー情報と物質のあいだ」
  • 山崎泰寛「生きることと生むこと」

http://aar.art-it.asia/fpage/?OP=backnum&year=2010&month=05
http://aar.art-it.asia/

「反転と可能態」@art & river bank

◇ 100529 - CAMP

<スピカー>
粟田大輔(美術批評)
<コメンテーター>
林卓行(美術批評・現代芸術論/玉川大学芸術学部准教授)
<モデレーター>
冨井大裕(美術家)


デュシャンの初期作品における言語とイメージの問題にふれながら、反転と可能態をキーワードに作品における引用の構造について考えたいと思います。
■日本では、美術評論家宮川淳が1960年後半から1970年代、芸術とテクノロジーの問題をふまえながら「つくる」という概念の見直しをはかり引用論を唱えています(宮川淳「引用について」『引用の織物』所収、筑摩書房)が、こうした論を前提に今日の表現にも目を向けながら、引用における反転と可能態としての表れについて思考することを試みます。


日時:2010年5月29日(土)19:00〜21:00 ※受付開始は18:30
会場:art & river bank(アクセス)
定員:30人(予約制) 参加費:1,000円(1ドリンク付き)

http://ca-mp.blogspot.com/2010/05/100529.html


>>>《オブジェ》再論, 2010/04/24 camptv on USTREAM. Conference
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20100426#p2

TOKYO PORTFOLIO REVIEW Vol.4

◇ TOKYO PORTFOLIO REVIEW

トーキョー・ポートフォリオ・レヴューは、G/P galleryがオランダの写真誌『Foam magazine』との連携のもと、TWSトーキョーワンダーサイトと共催で行う新たな写真の才能発掘のためのレビューイベントです。ギャラリスト、出版社、評論家等10数名のレヴュアー・チームが、レコメンダー(レヴュアーが兼ねる場合もある)が推薦するフォトアーティスト約20名を、2日間に渡り公開レヴューします。また参加アーティストのポートフォリオは、『Foam magazine』が年1回発行する「Talent」号の選考対象となります。4回目を迎える今回は「NEW / ANOTHER FASHION OF PHOTOGRAPHY」と題した展覧会と同時開催いたします。当日は一般の方々もレビューをご観覧いただけます。(観覧無料)

Tokyo Portfolio Review is a review event for the work of young, talented and emerging photographers which G/P gallery organizes in cooperation with Tokyo Wonder Site and “Foam magazine”, the magazine of contemporary art photography in Amsterdam. 20 portfolios of the artists who were recommended by Recommender Team will be reviewed in public for 2 days by Review Team consists of gallerists, publisher and photo critic. In addition, portfolios of the artists who participates Tokyo Portfolio Review vol.4 will be in the selection for annual “Talent” issue of Foam magazine. Review is open to public.

レヴュアー+レコメンダー:
HASHI(写真家)/川崎あゆみ(kiki inc.)/川出絵里(BT美術手帖)/後藤繁雄(編集者・G/P galleryディレクター)/菅沼比呂志(ガーディアン・ガーデン プランニングディレクター)/田中寛子(アマナ)/竹内万里子(写真論)/沢山遼(美術批評家)/星野太(表象文化論・写真家)/山下悟(+81ファウンダー)/吉野弘章(東京工芸大学准教授)/ヴァルター・サイデル(キュレーター)/

アーティスト:
<5月29日>土佐和史/武田陽介/錦織 圭吾/横田大輔/吉田 和生/天野 祐子/石井文得/阿部正典/川島崇志/春日玄
<5月30日>和田裕也/中島弘至/矢島陽介/渡邊有紀/高木博史/緒方範人/原未来/赤石隆明/竹之内 祐幸

●●同時開催●●
展覧会:「NEW / ANOTHER FASHION OF PHOTOGRAPHY」
参加作家:AOKI takamasa・石井文得・小浪次郎・長浜徹・細倉真弓
日程:2010年5月28・29・30日

http://tokyoportfolioreview.org/tpr/
http://tokyoportfolioreview.org/

飯沢耕太郎さんによる北島敬三『JOY OF PORTRAITS』「PORTRAITS」批判

◇ 北島敬三『JOY OF PORTRAITS』 - artscapeレビュー/プレビュー|美術館・アート情報 artscape

とはいえ、特に「PORTRAITS」のシリーズについて、展示を観たときに感じたすっきりしない思いが晴れたかといえば、どうもそうではない。倉石信乃による懇切丁寧な解説を読んでも、なぜ北島があらゆる意味付けを拒否するような「『顔貌』それ自体の出現・露呈」にこだわらなければならないのか、まったく理解できないのだ。
倉石が詳しく跡づけているように、白バック、白シャツ、正面向き、というような厳しい条件を定め、なおかつあまり特徴のない「壮年」の人物(老人、子ども、外国人、極端なデブなど特徴のある容貌は注意深く排除される)を選別することによって、見る者の想像力は北島が設定した水路の中に導かれ、それ以外には伸び広がらないように限定される。それはポートレートにまつわりつく「エキゾティシズム」を潔癖に拒否するという志向のあらわれだが、そもそもなぜ「エキゾティシズム」をここまで悪役に仕立てなければならないのか。さらにいえば、それならなぜ「エキゾティシズム」の極端な肥大化というべき彼自身のスナップショットを、わざわざ同じ写真集に別巻としておさめているのか。最近のインタビューで、北島は「『PORTRAITS』と同じような手つきで、スナップショットの写真も扱えるのではないか」(『PHOTOGRAPHICA』Vol.15 2009 SUMMER)と述べているが、その「手つき」とはいったい何なのか。この試みは、倉石が指摘するようにある種の「アーカイブ」の構築なのだが、その「アーカイブ」はいったい誰のためのものなのか。それがモデルのためでも、観客のためでも、ましてや未来の人類のためでもないのはたしかだろう。北島敬三による北島敬三のための「アーカイブ」、それ以上でもそれ以下でもないのではないか。疑問は尽きない。
2009/06/17(水)(飯沢耕太郎

http://artscape.jp/report/review/1206577_1735.html
一応メモ。


◇ 北島敬三「PORTRAITS」 - artscapeレビュー/プレビュー|美術館・アート情報 artscape

この「PORTRAITS」のシリーズについては、今後は判断を保留していきたい。なぜなら、何を書いても北島があらかじめ設定した「鋳型」に押し込められてしまいそうだからだ。写真を見ているうちに、この取り澄ました画面全体に無数の白蟻をたからせて、ぼろぼろに穴をあけて崩したくなってきた。狭い通路に想像力を閉ざしてしまうようなこの種の強制力は、まったく「写真的」ではないと思う。

2009/06/03(水)(飯沢耕太郎

http://artscape.jp/report/review/1206572_1735.html
ここで語られている「写真的」とは何か?
以下の動画によれば、「キノコ的」=「写真的」とのこと。


YouTube - Kotaro Iizawa interview 4/5 2010.3.20 blanClass+night
http://www.youtube.com/watch?v=wohngtA2szQ


YouTube - Kotaro Iizawa interview 5/5 2010.3.20 blanClass+night
http://www.youtube.com/watch?v=IMValz8OHhQ
飯沢耕太郎さんは、北島敬三さん、セバスチャン・サルガド
「マイ・グランドマザーズ」(やなぎみわさん)が嫌いだそうです。


YouTube - Kotaro Iizawa 「きのこと写真」 2010.3.20 blanClass+night
http://www.youtube.com/watch?v=AXEn2jRgYO4
ヴォルフガング・ティルマンスについて語られていますが、相変わらず微妙な内容です。


(参考)
http://www.tate.org.uk/britain/exhibitions/tillmans/
http://www.tate.org.uk/about/pressoffice/pressreleases/tillmans_05-06-03.htm
http://www.hatjecantz.de/controller.php?cmd=detail&titzif=00001327&lang=en

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>>>PHaT PHOTO (ファットフォト) 2009年9-10月号に飯沢耕太郎さんが、
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20091002#p4


>>>対照 佐内正史の写真(飯沢耕太郎) - artscapeレビュー
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20091130#p6


>>>記述が修正(いや変更か?)されたようです。
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090606#p6