住まいの雑学
連載江戸の知恵に学ぶ街と暮らし
やまくみさん正方形
山本 久美子
2012年12月6日 (木)

江戸もファストフード大盛況。落語「時そば」は、けっきょく何時だった?

江戸もファストフード大盛況。落語「時そば」は、けっきょく何時だった?
写真協力/江東区深川江戸資料館 撮影/荒関修

連載【落語に学ぶ住まいと街(13)】
落語好きの住宅ジャーナリストが、落語に出てくる江戸の暮らしを参考に、これからの住まい選びのヒントを見つけようという連載です。

落語「時そば」とは…

めっきり寒くなって、落語会では「時そば」を聴く機会が増えてきた。お馴染みの落語ではあるけれど、おさらいを……。

屋台の二八(にはち)そば屋を男が呼び止める。まず看板をほめ、器や箸をほめ、だしやそばをほめ、とほめ通していざお勘定となる。そばの代金十六文を「一(ひい)二(ふう)三(みい)」と一文ずつ渡すのだが、八つまできて突然「何時(なんどき)だい?」と時間を聞く。そば屋が「九つで」と答えると、続けて「十、十一…十六」と払って去っていく。
この一部始終を見ていた、ボーっとした男。一文ごまかしたことに気づき、翌晩小銭を用意して勇んでそば屋を呼び止める。前夜の男の真似をするのだが、どうもうまくいかない。とにかくお勘定ということになり、前夜の男と同じ八つまで数えて、「何時だい?」と聞くと、そば屋が「へえ、四つで」。「五つ、六つ……」。

この「時そば」は、元は上方の「時うどん」という落語。三代目柳家小さんが、そばに変えて江戸に移したと言われている。今は、春風亭昇太師匠が「時うどん」を採り入れた「時そば」を演っている。最初にそばを食べるのが男二人なのだが、翌夜ボーっとした男とそば屋のどちらもが追い込まれていくので、爆笑間違いなし。私の大好きな噺のひとつだ。三遊亭白鳥師匠の「トキそば」という奇想天外な噺もあるそうだが、こちらはまだ聴いたことがない。「時そば」といっても、奥が深いのである。

屋台のそば屋は、今ならファストフード店

江戸時代には当然、街にコンビニはなかった。それでも、江戸の人たちは不自由ではなかった。なぜなら、あらゆる種類の行商人が路上を行き来して、売り歩いていたからだ。杉浦日向子さんの『一日江戸人』によると、「一歩も戸外に出ることなく、いっさいの買い物の用を足すことができる」ほど便利だったという。店に買いに出かけるのではなく、行商人が住まいに売りにくる形だ。

また現代では、ハンバーガーやフライドチキン、牛丼など安くてすぐに食べられるファストフードが、街の至る所に店を構えている。江戸時代も同じで、落語のようなそば屋や天ぷら屋、寿司屋、煮しめ屋、汁粉屋、焼き団子屋など多様な屋台が街に出回っていた。
屋台のそば屋は、中央の担ぎ棒を担いで移動する。左右の箱型の中には、七輪(しちりん)とそばをゆがく鍋釜、水桶がしまえ、そば玉などを入れる引き出しや、どんぶりや箸などを置く棚がある。必要なものがコンパクトにしまえるようになっていて、移動式の飲食店がこれだけで経営できる仕組みだ。同じ写真内にある天ぷら屋の店構えは、床店(とこみせ)と呼ばれるもの。屋台のように移動式ではないが、立ち食い形式となるので、こちらもファストフードだ。

江戸時代は、地方から参勤交代などで単身赴任してきた武士や近隣近在から出稼ぎに来ていた職人などの男性単身者がたくさんいた。一人分なら外食したほうが手軽で効率的であるうえ、日銭を稼ぐ職人は現金を持っていた。そのため、江戸は外食産業が盛況だったようだ。
現代は高価な日本料理の代表のように思える寿司や天ぷらも、屋台料理から始まったもので、特に江戸庶民に人気があったという。ちなみに、今は和食ファミレスチェーンの店名にもなっている「華屋与兵衛」が握り寿司を考案したという説もある。それまでの寿司は、馴れ寿司や押し寿司といわれる、発酵させた保存食だった。

そばを食べたのは、けっきょく何時?

江戸も後期になると庶民の生活にゆとりが出て、貴重品だった灯し油が気軽に買えるようになり、夜遅くまで起きるようになったという。落語の最初の男がそばを食べた九つは、今なら午前0時ころ、間抜けな男が食べた四つは、今なら午後10時ころだった。

江戸時代の時刻制度は、今のように一日を24等分する方法ではなく、複雑なものだった。日の出と日の入りを基準にして、昼と夜をそれぞれ6等分して1刻(とき)とした。当然季節によって1刻の長さが違い、夏の昼は長く、夜は短くなり、冬はその逆になる。平均すると1刻は約2時間となる。現在の暮らしを考えると不便に感じるかもしれないが、時計のない江戸の暮らしでは、太陽の動きに合わせて、明るい時が昼、暗い時は夜という考え方が分かりやすかったようだ。

時の呼び方は、日の出前の「明け六つ」に始まり、朝五つ→朝四つ→昼九つ→昼八つ→夕七つ→日の入り後の暮れ六つ→宵五つ→夜四つ→夜九つ→夜八つ→暁七つと一巡する。だから、夜の九つより早く出かけると、四つになってしまうというわけだ。
ほかに、十二支を当てる時の呼び方もあり、幽霊の出る時間帯として知られた「丑三つ時(うしみつどき)」は、「丑の刻(うしのこく)」を4等分した3番目のところで、今の午前2時~2時半あたりを指す。

さて、屋台などの外食産業は、防火とも関係していた。高温の油を使う天ぷらは、火災の心配から屋内で営業できず、屋台で売られていた。また、住居内の残り火が火災の原因になることから、火を使うことを控えていたことなどの影響もあって、江戸に屋台文化が育ったと考えられている。

■参考資料
「一日江戸人」杉浦日向子著/新潮文庫
「お江戸でござる」杉浦日向子著/新潮文庫
「古典落語100席」立川志の輔選・監修/PHP研究所
「落語うんちく事典」湯川博士著/河出書房新社
「江戸の落語」菅野俊輔/青春出版社
「落語で読み解く『お江戸』の事情」中込重明/青春出版社
「江戸の用語辞典」江戸人文研究会編著/廣済堂出版
「落語ハンドブック改訂版」三省堂
「展示解説書」深川江戸資料館
江東区深川江戸資料館 
HP:http://www.kcf.or.jp/fukagawa/index.html
https://suumo.jp/journal/wp/wp-content/uploads/2015/05/dc8bf0c1134dae340e61cda16d35e4fa.jpg
連載 江戸の知恵に学ぶ街と暮らし 落語・歌舞伎好きの住宅ジャーナリストが、江戸時代の知恵を参考に、現代の街や暮らしについて考えようという連載です。
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