党議拘束は何のためにあるのか(東京大学教授 宇野重規)

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質問 「党議拘束とは何ですか。必要なのでしょうか?」

 党議拘束とは、議会で採決するにあたって、政党がその所属議員に党の方針通りに投票するよう拘束をかけることです。逆にいえば、もし拘束をかけなかったら、議員がバラバラの行動をとりかねないということであり、それくらい、党の内部でも議論が分かれているときに使われる手法だといえるでしょう。

 最近、党議拘束があらためて話題になっています。民主党を離党した小沢一郎代表率いる新党「国民の生活が第一」は、党のルールとして、党議拘束を設けないことを決めています。小沢氏が新党設立にあたって、いの一番にこのことを決めたあたりに、今回の離党騒動の原因もありそうです。

 税と社会保障の一体改革をめぐる採決においては、民主党内では、野田佳彦首相や前原誠司政調会長の口からさかんに「党議拘束」という言葉が飛び出しました。もし、党の方針に違反したならば、重大な処分が待っていると反対派の議員を牽制したわけです。実際、離党して新党を結成した議員には、もっとも重い除名処分を行ないました(党内に残った議員は、党員活動が大きく制約されるものの、党には残れる党員資格停止処分にとどめたわけですが)。

 党の執行部としては、政権の死活をにぎるこの法案を何が何でも成立させたかったのは当然です。党として決定したことに、党員は従ってもらわないと困るというわけです。とはいえ、造反した議員にすれば、前回の選挙のマニフェストでは主張していなかった消費増税について、党議拘束をかけられるおぼえはないというところでしょう。

 新党発足にあたっての発言をみる限り、小沢氏は、議員の一人ひとりが国民の負託を受けて選ばれている以上、それぞれの議員が自らの信念に従って行動すべきだといいたいようです。

 とはいえ、この党議拘束という問題の背景には、そもそも政党をどのようなものとして考えるかという、より深刻なテーマが隠されています。そのあたりまで踏まえて考えないことには、今回の騒ぎについても本質的な理解は難しいかもしれません。実をいうならば、党議拘束のあり方次第で、政党のあり方はまったく違ってくるのです。

党議拘束がないアメリカの2大政党

 党議拘束は本当に必要なのかを考えるにあたって、しばしば言及されるのがアメリカです。アメリカを代表する2大政党である民主党と共和党には、党議拘束がありません。法案ごとに一人ひとりの議員が賛成、反対を自主的に決定する以上、予想外の事態も起こります。民主党から選ばれた大統領が押し進める政策に当の民主党の議員が反対したり、逆に共和党議員が賛成したりすることも珍しくありません。

 このような投票行動は交差投票(クロスボーティング)と呼ばれます。重要法案の採決に先立って、大統領が党を越えて個々の議員の説得工作にあたり、ホワイトハウスから電話をかけまくっているという話を聞くと、アメリカの大統領もなかなか大変だなあと同情したくなります。

 ある意味でアメリカの政党には、個別的な政治家のゆるやかなネットワークとでも呼ぶべき側面があります。つまり、党による議員の締めつけが弱いのです。さらにいえば、アメリカの政党には党本部もありません。全国大会すら、4年に1度の大統領選の際に開催されるだけです。どうやら、私たちが日本でイメージする「政党」と、アメリカでいう「政党」とはだいぶ違っているようなのです。

 ちなみに日本では、野田佳彦首相は同時に民主党の代表ですが、アメリカの場合、オバマ大統領は米民主党の「党首」なのでしょうか。答えはノーです。というより、そもそもアメリカの2大政党には「党首」が存在しないのです。

 それに近い存在としては、上下両院の各政党の院内総務がいますが、この職は文字通り議員団の代表であり、大統領とは直接的な関係はありません。議会が立法府であるのに対し、大統領はあくまで合衆国の元首であり、行政権の長なのです。そこには明確な3権分立の原則があります。

議院内閣制には党議拘束が必要

 要するに、アメリカでは、大統領と議会はそれぞれ国民の投票によって選ばれるのであり、別個に存立根拠をもっていることになります。したがって、仮に議会の支持をとりつけることに失敗したとしても、直ちに大統領の立場がなくなるというわけではありません。大統領は大統領で、「自分は国民によって選ばれたのだ」と主張することも可能です(それゆえに、両者がガチンコに対立した場合、話はなかなか進まなくなります)。

 これに対し、議院内閣制をとっている国では話が違ってきます。日本にせよ、イギリスにせよ、首相は国民によって直接選ばれているわけではありません。首相がその地位にあるのは、あくまで議会の多数派が彼/彼女を支持している限りです。それ以外に存立根拠はないので、議会の支持を失えば、政権は直ちに行き詰まります。残されるのは、議会を解散することであらためて民意を問うか、さもなければ総辞職という選択肢だけです。

 結果として、一般論としていうならば、議院内閣制をとっている国では、党議拘束をかける必要がより大きいということになります。内閣の命運をかけた法案について、首相は与党に何としても一枚岩で賛成してもらわないといけません。いろいろ不満はあっても、最後は党議拘束をかけることで、議員から支持してもらう必要も出てくるでしょう。

「党が強いイギリス」と「個人が強いアメリカ」

 興味深いのは、元来、英国政治の信奉者として知られてきた小沢氏が、今回党議拘束を否定したということです。すでに述べた理由から、イギリスの政党政治には党議拘束がつきものです。しばしば指摘されるように、小選挙区制に基づく議院内閣制の下では、有権者は個々の候補者というより、その政党、さらにはその政党の党首を選んでいることになります。事実上、選挙を通じて「首相を選んでいる」わけです。

 逆にいえば、個々の候補者の役割は、自らをアピールするよりは、党の政策を有権者に理解してもらうことにあります。ある意味で、議員は党の「道具」にすぎません。実際、イギリスの場合、議員の多くは「落下傘候補」であり、党の命令にしたがって、あちこちの選挙区を渡り歩くことも珍しくありません。

 これと比べるならば、アメリカの政治家はまさに、自らの力で選挙資金を集め、自らの人柄と能力をアピールするなど、いわば一国一城の主です。そのようなアメリカの議員たちに党議拘束をかけることがいかに難しいか、容易に想像がつくでしょう。議員にしてみれば、自らの選挙区民の意に沿わない政策に賛成した結果、次の選挙で落選してしまっては元も子もありません。

「党」よりも「派閥」が強かった日本

 日本の場合、自民党はかつて「選挙互助会」と呼ばれました。党といってもたいした重みはなく、せいぜいのところ、選挙の際に助け合ったり、あるいは、当選した議員が結果として同一会派を組んだりしている以上の意味はないというわけです。

 中選挙区時代、同じ選挙区に複数の自民党候補が立つことが普通でしたから(そうしないと、過半数をとれません)、各候補は党の政策うんぬんの前に、とりあえず自分をアピールするしかありませんでした。結果として当選した議員たちにとって、党の存在は希薄であり、むしろ直接支援してくれた有力議員の派閥との縁が深くなりました。田中角栄率いる田中派と福田赳夫率いる福田派に至っては、角福戦争と呼ばれたように、長く激しい対立を続けました。

 派閥があって党がなく、党の政策といっても何か明確なまとまりがあるわけでもない。そのような日本の伝統的な政党のあり方を嫌って、小沢氏は政治改革への道を歩み出しました。小沢氏が改革のモデルとしたのが、イギリスの政党政治であり、「責任ある政党」という理念でした。単なる議員のネットワークではなく、しっかりとした党の政策と、それを実現するための組織をもつ政党――これこそが小沢氏の目指したものであったはずです。

 そうだとすれば、小沢氏が今回、党議拘束を否定したことの意味を、どのように理解すればいいのでしょうか。民主党内の多数派工作に失敗し、党内世論を消費増税反対でまとめあげることに失敗した以上、党を割って新党を発足させたこと自体には矛盾はないかもしれません。党は政策的一体性に基づくものであり、もっとも本質的な政策的方向性を同じくできないなら、別の政党を作るしかない、というわけです。

英国政治の理念と決別?

 とはいえ、その新党においても党議拘束を設けないとなると、そこには何か、小沢氏のトラウマとでもいうべきものを感じてしまいます。小沢氏によれば、党議拘束よりは、議員の「信義」に期待するということです。しかし、議員の「信義」だけで、はたして政党をまとめていくことができるのか、定かではありません。

 あるいは、小沢氏にしてみれば、党議拘束などという形式的な制度ではなく、あくまで党員間で議論をつくし、1つの結論へと至るという、そのプロセスが大切だということなのかもしれません。そうだとすれば、党内民主主義のより徹底ということで、理解できなくはありません。

 しかしながら、党議拘束を根底から否定した場合、党を外から枠づける最終的な保証がなくなります。そうだとすれば、小沢氏が志向するのは、強固な一体性をもつ「責任ある政党」というよりは、個別的な議員の同志的結合となります。どこかで小沢氏は、自らの英国政治の理念と決別したのかもしれません。

 小沢氏は、田中角栄の派閥政治の直系という意味で、自民党のもっとも古い体質を受け継ぎながら、そのもっとも激しい批判者でもあったというように、つねに矛盾と両義性の政治家でした。今回、日本の伝統的な政党モデルを否定したはずの小沢氏は、新しい英国型の政党も否定してしまいました。新たな政党イメージをめぐって小沢氏が見せた葛藤と矛盾は、ある意味で現在の日本政治のもっとも揺らいでいる部分を暗示しているのかもしれません。

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宇野重規 Uno Shigeki
東京大学教授

1967年生れ。1996年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。東京大学社会科学研究所教授。専攻は政治思想史、政治哲学。著書に『政治哲学へ―現代フランスとの対話』(東京大学出版会、渋沢・クローデル賞ルイ・ヴィトン特別賞)、『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社、サントリー学芸賞)、『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書)、共編著に『希望学[1]』『希望学[4]』(ともに東京大学出版会)などがある。

※この記事はニュース解説サイト『Foresight』より転載させていただいたものです。 http://fsight.jp/ [リンク]

※画像:「国会模型」By chaojikazu
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