竹島も尖閣も日本人が開拓した歴史ある島…なのに?

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 ここにきて、大きく揺れている日本と隣国の間の領土問題。島根県沖に浮かぶ竹島は、韓国に武力をもって不法占拠されている。一方、沖縄県の尖閣諸島は日本、台湾、中国が領有権を主張している。
 いずれの島々も古来、日本の領土であり、韓国や台湾、中国が自国の領土であることを明確な形で主張してきたのは戦後に入ってからであった。さらに不思議なことに、日本ではこうした領土問題が広くは知られておらず、ここ数年の報道によってようやく関心が高まってきたが、それでも韓国や台湾、中国の過熱ぶりから見れば、無関心とも思えるほどに冷静だ。
 ここでは、竹島と尖閣諸島が日本の領土であるというれっきとした理由を『国境の島を発見した日本人の物語』(藤岡信勝、自由主義史観研究会/著、祥伝社/刊)から紹介する。

■なぜ竹島は自国の領土なのに上陸することができないのか
 自国の領土なのに日本人が上陸することすらできない島、それが竹島だ。そんなバカな話があっていいものかと思いたくもなるが、相手国が武力で不法占拠している以上、民間人が単独で上陸することは危険なのである。どうしてこんなことになってしまったのか。
 竹島は日本海に浮かび、島根県の隠岐諸島から北西へ約157キロ、東島、西島と呼ばれる2つの岩島と数多くの岩礁からなる。もともと人は住んでいなかったが、現在は韓国の警備隊が駐在しており、民間人が上陸する方法は韓国から船で渡るのみである。
 そんな竹島だが、国際的にも日本の領土であると認識されている。1951年には韓国が、日本が放棄する領土に対馬と竹島を追加することを要求したが、アメリカはその回答として「独島(ドクト、竹島の韓国名)、もしくは竹島、リアンクール岩として知られている島については、・・・韓国の一部として扱われたことはなく、1905年頃からは日本の島根県隠岐島庁の管轄下にありました。この島について、韓国によりこれまで領土主張されたことがあるとは思われません」と返している(これは「ラスク書簡」と言われている)。
 しかし、その直後、韓国も強硬策に出る。当時の韓国の大統領である李承晩が、事実上、竹島を日本の領土と決定づけたサンフランシスコ平和条約発効直前の1952年1月18日(条約発効は4月28日)に、一方的な形で竹島を韓国領に含めた「李承晩ライン」を引き、日本漁船を拿捕抑留しはじめたのである。
 その後、韓国は、1995年に鬱陵島に独島博物館を建設。さらに竹島の5000トンの旅客船が接岸できる大型ふ頭兼用防波堤を建設する構想をまとめ、基本設計を終えている。また、幼稚園では「独島の歌」が教えられるほか、小・中・高校でも「独島」について学ぶ。なんとも徹底した教育ぶりである。

■明治時代、尖閣に上陸した日本人
 かつて、尖閣諸島は「アホウドリの集まる無人島」として噂されており、1885年には当時の沖縄県令である西村捨三が調査を命じ、どの国にも所属していないことが判明した。しかし、ここで外務省が隣の大国「清」を恐れ、領有宣言は棚上げされた。結局日本の領土として正式に決定したのは1894年のこと。日清戦争が勃発し、清国の顔色をうかがう必要がなくなったのだ。
 福岡出身の商人、古賀辰四郎はアホウドリの羽毛を求めて尖閣諸島の魚釣島と久場島に上陸。集落を作り上げ、アホウドリ羽毛の採取に着手する。しかし、乱獲によってアホウドリは姿を消し、鰹節の製造や魚肉缶詰の加工に軸足を移した。辰四郎は1909年に尖閣諸島開拓によって藍綬褒章が授与されている。尖閣諸島のうち、魚釣島をはじめ、南小島、北小島、久場島の四島が古賀家の私有地になったのは1932年のこと。しかし、それから8年後、石油不足で尖閣での営業を撤退せざるを得なくなり、島々は再び無人島に戻る。
 サンフランシスコ平和条約締結後、アメリカは尖閣諸島を八重山群島に包括し、さらに久場島と大正島はアメリカ軍の爆撃演習所として使っていた。このとき、アメリカは久場島の所有者である古賀家に賃借料を支払っていたという。
 ここまでは良かった。
 石油や天然ガスが尖閣諸島周辺に大量に埋蔵されているという報告が上がった直後の1970年頃から、なんと中国や台湾が領有権を主張し始めたのだ。しかし、尖閣諸島は我々の土地だと沖縄の人たちが立ち上がる。彼らはかつてのシンボルだった「アホウドリ」を使ったのだ。絶滅したかに思われたアホウドリだが、南小島で発見され、琉球郵便庁が切手に南小島にいるアホウドリの絵柄を採用したのだ。本土復帰1ヶ月前のことである。

 こうしてみると日本の教育において、自国の領土について教えてもらうことは驚くほど少ない。ニュースの中で知ったり、自分で興味を持って調べたりしない限り、歴史の全容をつかむことはできない。
 石原慎太郎東京都知事は本書に対する推薦文の中で、「当たり前のこと」がおろそかにされてきた、と指摘する。本書では竹島や尖閣諸島のほかに北方領土や沖ノ鳥島などの国境の島々の物語をつづっている。どこからどこまでが日本なのか、国家とは何かを考える上で重要な示唆をもたらしてくれるだろう。
(新刊JP編集部)