『痕跡本のすすめ』というタイトルが、なんだか興味をそそる。ページをひらくと、衝撃的な写真が目に飛び込んでくる。

とある漫画の単行本が一冊。その表紙カバーの中央に、ダダダダダダダダッと針で突いたような無数の穴。カバーをめくると、針は中の頁にまで突き通っていて、紙は破れ、ところどころちぎれている。
何かの怨みを晴らしたのか、あるいは呪いを込めているのか、とにかく薄気味がわるい。おまけにその漫画というのが、よりによって怪奇漫画の巨匠、日野日出志の『まだらの卵』だったりするのだから、始末に負えない。

いきなり極端な例が出てきてびっくりさせられるが、この本は古書店の棚などに並ぶ古本から、「書き込み」や「貼り込み」や「切り抜き」、あるいは「針の穴」のような、前の持ち主の“痕跡”が残っている本──すなわち痕跡本を集めて、それらの痕跡から元の持ち主の行動や、その痕跡の意味を解読してみせる図鑑だ。


わたしも古書マニアなので、書き込みがされた本を見かける機会は多い。なかには、弁当の箸袋がしおり代わりに挟まれていたり、表紙の人物にメガネが落書きされていたりするのもしょっちゅう見かける。
ところが、本書に登場する痕跡本は、どれもこれもそんなレベルじゃない。

ある本の持ち主は、書名が印刷された位置が気に食わなかったのか、ここへ移動せよ! と言わんばかりに矢印を書き込んで校正を加えていた。

安楽死について書かれたある本には、元の持ち主のものと思しき仏壇の写真がはさまっていた。とても立派な仏壇だ。


あるビジネス書の中には、自身の就職→資格の取得→副業を展開→メルマガ発行→出版社から連載の依頼→講演会の依頼→独立→起業→収入倍増! みたいなトントン拍子の人生計画が書き込まれていたりする。

こうした珍奇な痕跡本を、ひとつひとつ見ていくだけでも十分におもしろい。けれど、この本は単なる痕跡本のガイドでは終わっていない。
著者の古沢和宏は、愛知県で古書店「五っ葉文庫」を経営している人物だ。古書というものへの愛着が普通のひとよりも深いことは容易に想像がつく。だからなのか、ときに痕跡を読み解く行動が観察者の立場から飛び出して、その本の世界に取り込まれてしまう瞬間があるのだ。


冒頭で紹介した穴だらけの『まだらの卵』を手にした古沢は、最初に「ヤバい!」という印象を抱く。これは誰もが同じ気持ちになるだろう。だが、そのあとに「もしかしたらこの本、最初からこういうものだったんじゃないか」などと言いはじめる。そんなわきゃあない。でも、日野日出志の本だったらそういうこともあるのかもしれないと思えてしまうから不思議だ。

傑作だったのは、お姑さんが息子の嫁とうまくやってゆくためのハウツーについて書かれた『わたしの嫁いびり』という本についてだ。
この本の痕跡は、頁の間にはさまれていた一片の押し花。すっかり乾燥して茶色くなった、どうということのないものだ。ところが、著者はこんなことを言い出す。

「かつての持ち主=おとなしめの性格の『姑一年生』が、来るべき嫁との生活にそなえて、その強気なタイトルに惹かれるにまかせて神頼みのような気持ちで買ったのではないか」

妄想全開。そしてさらに続く。

「本を何度も読むうちに、嫁と同居するにあたっての姑の不安は自信に変わり、そして自信は、嫁との関係にとてもいい影響を及ぼした」

まるで橋田壽賀子先生が憑依しているかのようだ。
まだ続く。

「いつしかこの本は実用書からお守りへと、得難い大切なものへと変わっていった。押し花は、この本への、ささやかな感謝のあらわれではないでしょうか」

単なる痕跡本で、朝の連続テレビ小説をフル視聴したような感動が!

本の楽しみは無数にある。けれど、ただの落書きひとつ、押し花ひとつで、本の中に書かれていること以上のおもしろさを味わえるなんて、考えたこともなかった。古本探しにまたひとつ、新しいよろこびをプラスしてくれた『痕跡本のすすめ』に感謝したい。
(とみさわ昭仁)