11日、TBS「ホンネ日和」では、2010年に26歳でバドミントンを引退した小椋久美子さん(現在は28歳)が、アーティスト・高橋優と対談した様子を放送した。

冒頭、「実家が三重県で4人兄弟で、好きでやり始めたというよりは、お姉ちゃん、お兄ちゃんの影響。4年生から中学3年まで東海大会っていう大会でずっと優勝してたの。でも、全国大会は優勝したことは高校まで一回もなかった。ペアの潮田玲(子)ちゃんは中学校(全国で)優勝している」と、競技をはじめたきっかけを説明した小椋さん。

腰に爆弾を抱え、ギリギリの競技生活だったことにも触れると、「腰のヘルニアを持ってて、ずっと練習できない時とかあって何回も辞めたいって思った。社会人で出来なかったら実家帰ろうかなって思ってた時に、山洋電気の監督から声をかけて貰って。声かけて貰えなかったら多分やめてたと思う。ギリギリだった」と振り返る。

また、オグシオブームのはじまりについて、「オリンピックの前の年の世界選手権で3位になった時、最初に行った時と帰ってきた時の報道陣の数が違い過ぎて、それは本当に自分の中で凄い戸惑ったし、国民全部の応援を背負っている感じはした」と明かした小椋さんは、「本当にこのままだと自分が潰れると思って、本来は多分この自分なんだけど、(当時は)凄い怖い顔してて、怖い人だと思ったってよく言われるんだけど、夜寝れないことも一杯あるし、御飯食べれないこともあるし、うまく自分をコントロールしないと試合に勝てないと思っていた」と、ブームの裏側で抱えていた苦悩を語った。

さらに「プレッシャーを感じてたのって、皆本当に心から応援してくれていたのに、勝手に自分の中でプレッシャーをこの人達のために頑張んなきゃいけないとか、負けられないとか、凄いプレッシャーをかけていたんだなって今は思う」と振り返る小椋さん。オグシオ結成には、「対戦しているの。小学校6年生の時に。そこで私が負けて。この人(潮田)は強い人、強い人って思いこんで、雲の上の存在くらい、小学校の時とか中学校の時にずっと思っていたのね。で、たまたま高校で組ませて貰う機会があって、こんなにもダブルスで合う人っているんだなって思って」と話し、同じ社会人チームに潮田を誘うきっかけになったエピソードを披露した。

そして、2008年のペア解散については、「(北京)オリンピック前は4年間、二人で死ぬ気で頑張ろうって、本当に話し合ってやっと行けた。(その後も五輪を目指すかどうかの選択で)私は4年間頑張ることに意味があるって思ってたから、そこの点で(意見が)違って、玲ちゃんは一年一年見たいって。目指す目標が違ったから別れましょうってなって。オリンピック終わったら、ちょっと疲れたなってやっぱり思うし、ちょっと休みたいなっていう気持ちになるのも分かる。一年間見たいって玲ちゃんが言っていた気持ちも分かるけど、結果、結局私は引退してて、玲ちゃんはロンドンオリンピックに向けて頑張ってるから、ペアをずっと組んでたとして、凄く応援しているし、メダル獲れなかった分、メダル獲って帰ってきてほしい。でも、今の私だったら、ずっと二人でダブルスをやってきたから、例えばシングルスに戻りますっていうのは無理かも。正直怖くて」と語った。

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