Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

戦争(戦場)を撮りたい by 本城直季氏

◇ 『AERA '06.9.4 No.40』より本城直季氏のコメント

いつか戦場を撮りたい
(略)
 その後、都市を俯瞰したいと思うようになった。都市の「作られた感じ」を出したかった。
「いつか撮ってみたいのは……不謹慎ですけど、戦場かな」
 国を、正義を、自由を守るために命をやりとりする戦争も、
「高いところからジオラマ風に撮ったら、すごくちっぽけなものに見えると思うから」

ひょんなことからバックナンバーを入手。
もちろん、中見出しの「いつか戦場を撮りたい」と地の文は、
記事を構成・執筆したライターの小西樹里氏あるいは加藤美穂氏(もしくは担当編集)によるものでしょうけども。


◇ 『見たことない実在の風景』 - bloglobe        pics=http://digitexp.net/index.html

AERA No.40(9月4日号)に”若手写真家”の記事。

マスコミの語り口(文体やストーリー展開)がチョー気持ち悪い。

まあそれにしても「戦争を撮りたい」ですかそうですか。

戦場とか言わずに南アのストリートを活写することを強くおすすめします。

戦争と日常はつながっているですかそうですか。

まあそりゃそうなんだけど、しかし一方でそれは風が吹けば桶屋が儲かる式の詭弁であってそれを口に出すこと自体幼稚であざとくて、

そんなこと思って撮ってるとすればそれは超ド級のアホか誰にも理解されない超天才かのどっちかだ。

結局なんだ、朝日を読むような大人が”若手写真家の人気っぷり”を理解するために、無理矢理「戦争」とか「世界の評価軸」とかを持ち出した詭弁がどっさりの記事。

どっさりはスリムドカンで十分。意味不明。


by RGBover | 2006-09-04 11:01

http://global.exblog.jp/5617195/
*1


◇ フォトグラファー 本城 直季 氏 - 読売ADリポート ojo:adv.yomiuri

 「依頼があれば、アフリカでキリンを空撮したり、スコアボードの上から野球を撮ったり、色々と挑戦したい。戦争をアオッて撮影すれば、人間の愚かさを客観的に伝えることもできると思います」

http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200607/07interview.html


◇ TS12 : 本城直季 - Tokyo Source

もし、戦争をミニチュアのように撮ったら…


サトコ:今撮りたいもの、これから撮っていきたいものはありますか?

本城:ずっと撮りたいと思っていた愛知万博をこの前、撮ってきました。観覧車から。

近藤:本城さんが万博を撮るってのは皮肉ですね……(笑)。

サトコ:各企業があれだけ力を入れているブースが全部、ミニチュアに見えるんですものね。

本城:あの、作られた、人工的な感じがうってつけだと思って(笑)。あとはハワイのワイキキビーチとか。それと今、戦争を撮りたいというのはあります。本当に皮肉で……。

http://www.tokyo-source.com/ts/12/naoki_honjyo/


>>>今さらのように「本城直季」「逆アオリ」や「小林伸一郎」「丸田祥三」「廃墟」「盗作」などの検索ワードでやって来るお客様が増えています。
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090110#p7


※過去の 本城直季氏 関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%cb%dc%be%eb%c4%be%b5%a8

*1:南アフリカといえば、たとえばガイ・ティリムのヨハネスブルクのシリーズとか。
  http://d.hatena.ne.jp/n-291/20061026#p2
  http://www.artthrob.co.za/05jan/artbio.html

飯沢耕太郎「写真家たちのステージ──「写真新世紀」と「ひとつぼ展」」より

 HIROMIX蜷川実花中野愛子に代表される、コンパクトカメラをまるで楽器を奏でるように扱い、「セルフ」とその周辺の「かわいい」イメージを拾い集めていく写真群は、九〇年代半ばに爆発的に流行し、一種の社会現象となる。たしかに、「ブーム」として上滑りにもてはやされた側面もないわけではないが、彼女たちのもろくも砕け散りそうな写真には、苛酷な高度消費社会(岡崎京子のいう「平坦な戦場」)を身体を張って生き延びようとしている者たちの、切実なリアリティが刻みつけられていた。

京都造形芸術大学編『現代写真のリアリティ』(2003年 角川書店)所収
http://www.amazon.co.jp/dp/4046515082


HIROMIX「Early Spring, Brighten of Your Mind」 - artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

写真作品は基本的に彼女の第二作品集『光』(ロッキングオン、1997年)の延長上にある。変わっていないというのが最初の印象だったが、会場にずっといるうちにその「光」の質がまるで違うことに気づいた。以前は子どもがはしゃぐように、さまざまな物理的な光の変化に感応していただけに過ぎないが、今回の展示にあふれているのはむしろ「内在的」といえるような感触の光だ。HIROMIX祈りのようにその輝きを抱きとっている。
ここでは書ききれないが、僕はHIROMIXの仕事を、1970年代に成立する「純粋少女漫画」の系譜の正統的な後継者と位置づけている(PHP新書で刊行した『戦後民主主義と少女漫画』を参照)。「乙女ちっく漫画」風の彼女のイラストを見れば、その影響関係は明らかだろう。写真や映像の中で、キラキラ瞬いている光は、少女漫画の主人公の瞳の中で輝いているのと同じものだ。

2009/05/07(木)(飯沢耕太郎

http://artscape.jp/report/review/1205679_1735.html


>>>【コラム】Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話 活躍する女性写真家たち - マイコミジャーナル
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090507#p11


>>>【コラム】Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話 (42) 写真家になるために【ポートフォリオ編】(1) - マイコミジャーナル
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090801#p15


>>>飯沢耕太郎戦後民主主義と少女漫画』関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090817#p5

NHKアーカイブス 保存番組検索: 未来潮流 写真評論家飯沢耕太郎が語る世紀末フォトグラフィー論

番組詳細
未来潮流
写真評論家飯沢耕太郎が語る世紀末フォトグラフィー論


放送日: 1998年3月21日
チャンネル: 教育


主な出演者
飯沢耕太郎 荒木経惟 橋口譲二 都筑響一 蜷川実花 宮下マキ 川内倫子


内容紹介

これまではほとんどが男性だった写真家の世界に,最近は若い女性の進出
が目立っているという。番組では,数々の著作を持ち,写真文化を幅広く
評論している飯沢耕太郎が,注目する若い女性写真家と話し合い,さらに
著名な男性写真家と対談を重ね,21世紀の写真や写真の可能性について
探る。
 語り 中村昇

http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10001200999803210130018/

裏日本工業新聞2000・2下

【2月27日】 まあそのうち誰かが言いだすだろーなとは思っていたけど、「Jブンガク」の本家たる河出書房新社に自ら堂々と「J−フォトグラファー」(KAWADE夢ムック、1143円)なんて言われてしまうと、これはもー確信犯としてやってるんだとしか見えず苦々しさよりも微笑ましさが先に立って、「どうぞどんどんおやりなさい」ってな投げ遣りな気分が沸き起こる。もう徹底的にすべてを「J」で括ってその現代性その独自性その都会性を存分にクローズアップしてやって頂きたい、かつて「若者たちの神々」と銘打って「朝日ジャーナル」が時の知的リーダーたちを持ち上げたよーに、今は「J」の冠を抱いて始めて若者たちに知と美のハイエンドとして認知され賞賛されるのだから。

 かつてはキラ星のよーに輝いている、よーに純朴だった10代の目には見えた「新人類」「若者たちの神々」とゆー言葉がやがて陳腐化し、「新人類」で「神々」だった人の凋落ぶり日和ぶりを目の当たりにしたことで嘲笑の看板でしかなくなったよーに、とりあえずは”最先端んーっ!”なイメージが今はある「Jなんとか」も、やがては言葉として消費されて、遠からずニッポンの不思議なブームを半ば自嘲気味に取りあげ括る言葉と位置づけられて行くんだろー。さっきの「J−フォトグラファー」の対談で飯沢耕太郎さんが「でもある種の幻想があるから載る載らないぐらいのことも多少は気になることなんじゃないななあ」と、「Jなんとか」に入れてもらえない人の気持ちの揺れを斟酌してて、なるほど今は確かに入ればカッコ良くって仕事も増えるかもしれないけれど、10年経って「ああJなんとかの人ね」と云われた時に受ける十把一絡げなイメージを考えると、かえって無視されてた方がラッキーな気もしないでもない、まあそのジャンルで食べてない人間の印象でしかない放言なんで、「Jなんとか」に入ってバンバン稼ぎたいって人には大きなお世話とお断りしておきましょう。

http://www.asahi-net.or.jp/~WF9R-TNGC/nikko200023.html

飯沢耕太郎さんと「少女」

飯沢耕太郎『少女古写真館』(ちくま学芸文庫

いつでもちょっぴり不機嫌で、どうにも手に負えない、小さな存在―少女たち。この捉えどころのない生きものは、幼児から女へと変貌するあわいの瞬間に奇跡のごとくたちあらわれ、やがて幻のようにうつろってゆく。かたや、写真というものは、つねに儚いものの姿を追い求めつづけてきた。だから、まるで捕虫網で美しい蝶をつかまえようとするように、写真が少女という一瞬の姿を捕らえてきたのは当然の成りゆきなのだ。洋の東西を問わず撮りつがれてきた少女写真を厳選し、小さなサイズに閉じ込めた、手のひらに載るコレクション。

少女のレトロな写真がいっぱい!, 2002/2/9
By ぽんぽんた
 著者が収集したレトロな、少女のポストカードや写真の写真集です。文庫サイズ。男性のコレクションのせいか、「かわいい」だけじゃなくて、そこはかなくエロティックで、ちょっと怖い気がします。定番ルイス・キャロルのとったものや、フリークの写真なども載っています。少女好きな方におすすめ。

5つ星のうち 1.0 学芸文庫??, 2009/2/3
By sw
若桑みどり『イメージを読む』と並べて売られていたので、てっきり少女写真の文化論や社会的背景、つまり美術史の本かと思って買ってしまいました。
内容はと言うと、作者が脈略もなく買い集めた写真を前に、特に根拠があるわけでもない感想のようなものを書き綴っているだけです。「〜のように感じる」だの「〜に見える」だのと、別に文化背景を解説するわけでもなく、単なる著者の印象を並べられても困ってしまいます。
技術論に一章を割いているにもかかわらず、被写体の少女達が揃って不機嫌な顔をしている理由を理解していないようだったり(初期の写真は撮影に長時間を要したので、笑顔を維持するのは困難)と、かなり疑問を憶える内容です。
しかも、掲載されている写真は著者が無秩序に買い集めたものであり、出展・年代すら不明の物が大部分。はっきり言って、古写真をネタにしたエッセイ程度の代物です。

別に、エッセイや妄想、感想文は構わないのですが、そんなものに学術文庫の看板をかけて、1300円(+税)で販売するのはやめて頂きたい。
これほど買って後悔した本は、久しぶりでした。

http://www.amazon.co.jp/dp/4480086676
ドジスン。。。


飯沢耕太郎[ed.] / deja-vu No.10 : 少女=コレクション - 書肆小笠原

deja-vu No.10 : 少女=コレクション / フォトプラネット, 1992 / A / \ Sold
ロバート・メイプルソープの特集と、少女=コレクションの特集。後者では、荒木経惟の作品 『少女世界』 が掲載されている。飯沢耕太郎伊藤比呂美の対談が面白い。デジャ=ヴュ各号のなかで人気の高いもののうちの1冊。状態良好。

http://www.book-oga.com/zimages/dejavu10.html


村田兼一オフィシャルサイト/Another Tales Of Princess「眠り姫」

【評論】 飯沢耕太郎「ヒメ」たちの秘めたる欲望
【評論】 飯沢耕太郎「暴な姫たち」によせて
【評論】 相馬俊樹「闇に棲む少女神」
【評論】 飯沢耕太郎「穢れとイニシエーション」

http://murata.main.jp/japa-index.htm


◇ 20061206_268844.jpg (JPEG 画像, 300x210 px)
http://amidacamera.img.jugem.jp/20061206_268844.jpg


◇ 大阪個展日記・飯沢耕太郎作ボディペインティングの胡子ちゃんを最強のアシスタント村田兼一氏を従えて堂々撮影敢行。 - sometimes in amidacamera

今日は、写真評論でお馴染みの飯沢耕太郎氏が来廊。
そして絵画展もこなす氏が目下没頭する、女体へのボディ・ペインティングを行ない、
その女体を私が撮影するという、新たなコラボワークを実践するという予定なのであった。

ペイントされたボディのコンポジションを撮り終え、今度は自らの欲望でロープで縛る。
と、当の胡子ちゃんが、自作の口枷持ってきました、と嬉しそうに言う。
彼女は写真家・映像作家・モデル・女王様・口枷作家と、いろんなことやってるのだ。
口枷はいろいろあり、飯沢氏と共に迷うが、いちばん顔が歪む形の透明な素材でできた口枷を選ぶ。

http://amidacamera.jugem.jp/?eid=133


夜想 26 特集:少女/ペヨトル工房|古書・古本の販売も買取もオメガスイーツ

解説:特集:少女|少女写真帖、少女アリス(飯沢耕太郎)、恢復期としての性/ある老・少女論試み(矢川澄子

http://www.omega-swiez.co.jp/detail.php?&serial=507080


夜想 26 (雑誌)特集:少女 古本買取・通販 古書ドリス

出版社:ペヨトル工房 発行年:1990年 (雑誌) 205ページ
■少女写真帖/少女アリス(沢渡朔)/エクリチュールと少女(金井美恵子)/ハンス・ベルメール/アナ・トレントのささやき/絶対少女を求めて

http://www.kosyo-doris.com/SHOP/cc0005.html


◇ 少女論 (本田和子・他)●版元ドットコム

 成女でもなく童女でもない、男でもなく女でもない──少女たちの蠱惑的な魅力としたたかな魔力を多彩に描き、少女の現在を読み解く刺激的な論考。都市に浮遊する記号、ナゾに満ちた彼女たちの身体に迫る。総勢13人による共同執筆。

2 写真・少女・コレクション  飯沢耕太郎

http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-7872-9013-7.html

飯沢耕太郎さんと安楽寺えみさん

◇ 露口啓二写真作品「ミズノチズ」の札幌の映像+新宿エプサイトでの安楽寺えみ写真展 - 林浩平の《饒舌三昧》/ウェブリブログ

 安楽寺さん、本格的に写真作品に取り組むようになるまでは長い期間、神経系?の病気でベッドの生活を余儀なくされていたとか。そして「長い眠りから醒めた白雪姫」(飯沢耕太郎氏)のごとくに写真の世界に登場したのです。

http://mignonbis.at.webry.info/200712/article_5.html


◇ 写真センター/現代写真論/特別ゲスト #005 - 東京藝術大学

平成18年度【現代写真論12】 飯沢耕太郎(6)
「 書を持ちて床に潜り込め。」


*2007年1月16日 東京藝術大学音楽学部内赤レンガ1号棟

 
*担当教員:飯沢耕太郎(写真評論家)

*特別ゲスト:安楽寺えみ(写真家)

http://www.geidai.ac.jp/pc/lecture/gendai/005.htm


◇ 第22回東川賞受賞者が発表されました。 - 「PHaT PHOTO」編集部日記

そういえば、ファットフォト連載でおなじみの飯沢耕太郎さんも、安楽寺さんの写真集に登場し、ストッキングをかぶらされていたような・・・、これ必見です。

http://www.kyururu.com/phatphoto/20060530


◇ 423492.jpg (JPEG 画像, 324x480 px)
http://landcruiser.blog.so-net.ne.jp/blog/_images/blog/LANDCRUISER/423492.jpg


安楽寺えみ写真展・・・・その2:こけもも山荘日記:So-net blog

場所は「千駄木」。駅で言うと「西日暮里」なのですね。
歩くこと5分少々
交差点を左に曲がると、『Gallery IMAGO』はあります。
1Fは喫茶店なのですが、地下にギャラリーがあります。

今回は、横浜の写真展とは異なり、点数も少なかったのですが、『TOAD STOOL』(毒キノコ=男性のナニ)の題はそのままに、前回の作品よりもっと現実的に『男性のシンボル』を写している写真が多かったですね。
まあ、まんま『屹立する男根』って感じです。
僕なんかそれを見るとガックリ・・・・です(笑)何で?って聞かないで?

相変わらず『安楽寺不思議モード』全開の写真展です。

何でも、企画・構成は飯沢耕太郎先生とのこと。
飯沢先生とは、6月下旬から横浜BankART1929のワークショップ『ポートフォリオを作る』でご一緒させていただく予定なのですね。
ちなみに、この下の写真でストッキングを被っている怪しい男性は、「飯沢耕太郎先生」です。

http://landcruiser.blog.so-net.ne.jp/2005-06-04-1
飯沢耕太郎さんの局部を撮った写真も展示されていたという話ですが。。。


◇ こけもも山荘日記:So-net blog

彼女の写真のテーマは「労働と快楽」だそうで、自身の名前の「安楽寺」もアンラッキーをもじって付けたとのこと。本当は「安楽死」でもよかったけれど・・・ともお話しされていました(^_^!

写真のモチーフも今回のテーマ「TOADSTOOL(毒キノコ)」(毒キノコはあちらの国では男性器の隠喩)ということで、男性器を主に撮って展示されていましたが、説明されなければ、そうとは分からない写真になっていました。
まるで、万華鏡の写真が曼陀羅のよう・・・
これが、彼女の言う「快楽」なのでしょうか?

http://landcruiser.blog.so-net.ne.jp/archive/20050507


安楽寺えみ Snail Diay - pop nomad

被写体は写真家自身なのでしょう。エロス&タナトスで押しまくる安楽寺飯沢耕太郎先生は虜になったようで、確かに彼女の作品に惹かれる男性の気持は分からないでもないですが、同性からすると、この分かりやすさが哀しみを誘います。1963年生まれの彼女をこうさせる約10年間の闘病生活とはなんだったのか、作品よりもそちらの方が気になりました。安楽寺という名前も自ら名付けたそうで、安楽死でも良かったと口にしてしまうキャラ設定の先に何を目指しているのか、切なくなります。今さらの不思議キャラで先生方にかわいがっていただくなくても・・・などと余計なことを思ってしまいます。女性として40代をどう生きるか、これは忌々しき問題です。

ギャラリーに置いてあった作品集『HMMT?』に強く引かれました。印象的な作品集でした。それに比べると今展は退屈です。表参道向きに分かりやすくしたのでしょうか。これこそファッションなのでしょうか。それとも、安楽寺えみの前でドギマギする先生方をからかってみせたのでしょうか。あるいは、作品以外の情報のために目を塞がれてしまったわたしの偏見でしょうか。嫉妬でしょうか。

http://pop-nomad.jugem.jp/?eid=312

飯沢耕太郎「写真とフェティシズム」 - まんだらけ 通信販売

http://ekizo.mandarake.co.jp/shop/ja/item_s-94444.html
副題は「写真装置が記憶したフェテッシュとソドミー図像学」だそうです。


飯沢耕太郎 / 写真とフェティシズム - 書肆小笠原

写真評論家・飯沢耕太郎による評論集。その方面の該博な知識を存分に披露。個々の写真家別にパートがまとめられており、読みやすい。状態良好。

http://www.book-oga.com/artimages/fetichisme.html


◇ 写真とフェティシズム: 飯沢 耕太郎: 本 - Amazon.co.jp

死体性愛症からサディズム・マゾキズムまで。〈至高の性的呪物崇拝〉と〈全面的怪異性〉を欲望する夥しい背徳のイコノロジーをあまねく跋渉した、エロスとタナトスの写真誌。

http://www.amazon.co.jp/dp/4845705168


◇ CLAUDE ALEXANDRE クロード・アレクサンドル写真集 - 古本屋 ON THE BOOKS オン・ザ・ブックス - カラメル

■SM、ボンデージ、フェティッシュ、レザー、ラバー、金属・・・。過激な内容の写真集。飯沢耕太郎によるテキスト。定価6,695円。
■TREVILLE / 1992年 初版 / ハードカバー / 35.7 x 24 x 2 cm / 日本語 / 状態

http://calamel.jp/CLAUDE%20ALEXANDRE%E3%80%80%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E5%86%99%E7%9C%9F%E9%9B%86/item/12909345


飯沢耕太郎氏証人調書 - メイプルソープ写真集税関訴訟のページ
http://www.erde.co.jp/~masaru/mapple/iizawa.html
http://www.erde.co.jp/~masaru/mapple/indexj.html


飯沢耕太郎『危ない写真集246』(夜想・Baby)

写真という表現媒体が孕んでいる、最もいかがわしくスキャンダラスでありながら、どうしようもなく魅惑的なあり方は、私たちの存在原理を揺さぶり、危うくする-。著者の秘蔵・愛蔵本である「危ない写真集」を厳選して解説。

これらの写真集の一体どこが危ないのだろうか??, 2005/8/13
By カスタマー
この本に紹介されている写真集は、どれも人間生活の普遍的でありきたりな欲求や題材を取り上げていて全然普通だと思う。例えばBELLOCQの写真だが、彼の写真のどこが危ないのだろうか?今はもう亡くなっていないが、本人がそれを聞いたら怒るのではないか。

本当に危ない写真とは、日本で今やたらと元気のあるしょうもない動物写真、ネイチャー写真、ネイちゃん写真(女の子の水着写真)、広酷写真(広告写真)、開発途上国つぶらな瞳の子供写真、そしてバカな写真家の痴生活(私生活)写真など、今の救いのない日本の写真の状況の方が、世界的な視点で見れば、ある意味よっぽど無気味で危ないのではないだろうか??

http://www.amazon.co.jp/dp/4902916037
この本では、あえて危なさをひかえめにしたとか?


◇ 危ない写真集246 飯沢耕太郎さん新刊 - 渋谷で本とウェブデザイン作ってます。 ウインバレーブログ

写真評論家の飯沢耕太郎さんの新刊には、こういう定義が書いてある。

「それは見ることによって、われわれの存在感が揺さぶられ、危うくされるような写真集ということだろう。わかりやすくいえば、社会的にタブーとされている写真集である」

「危ない写真集246」では、いままであまり飯沢さんが評論してこなかった写真集が246点掲載されています。


医学フリークス、タトウー
ボンテージ
狂気のポートレート
グロテスクの劇場


などのテーマで写真集が紹介されています。
ジル・ベルケ、ラリークラーク、ナダール、ハンスベルメール
シンディシャーマン、メイプルソープなど、
写真展等みたことがある写真家もいましたが、
しらない写真家も多かったです。

でも、美しい写真も胸が打たれますが、
別の意味で心が揺さぶられる写真家が多いような気がします。

ある意味、そういう写真を好んで買う人がいるのも事実。
そういう意味では、
裏写真集の百科事典
ともいえそうです。

http://blog.win-valley.com/?eid=319949

対談:ホンマタカシ× 大竹昭子 (3) | WIRED VISION

大竹 3月号の「アサヒカメラ」で、谷川俊太郎さんと飯沢耕太郎さんがホンマさんの写真集のことを話しているでしょ。風景と人の写真がまじっていると、つい人のほうを見てしまうとか、対象をつき離して見る力が弱いとか、人や犬の写真を入れるところに恨みつらみが出ているとか。あれってどう思いました?

ホンマ あー、あれに関しては、なんでそんなに写真というか表現に対して鈍感な人が評論家なんていってんのかなーと思いますね。

http://wiredvision.jp/archives/special/interview_visual_artists/199903090300.html

「写真新世紀2006」 - Mort de Sardanapale

しかし、今回、私がこうした並列性の関係を一番強く感じたのは、実は、高木の作品でも、山田の作品でもなく、喜多村みかと渡邊有紀による、お互いを撮り合った写真の組み合わせ作品からなのですが、私は、この2人が(喜多村と渡邊が)作る、お互いが共有しあえるというような世界が大嫌いです。

何故なら、ここでは、お互いを撮り合うことで、他者だけでなく、自分すらも見ることが巧妙に回避されているからです。確かに、ここではお互いが「見る」立場である同時に、「見られる」立場であるのですが、しかし、ここでは互いが並列的で対等で等価な立場であるのを前提とし、一方が、一方的に「見る」立場になることが許されていません。
もちろん、この2人の視線のあり方を、従来的な「画家」と「モデル」という男性による一方的な視線に対するアンチ・テーゼと解釈することは可能です。しかし、ここでは、一方だけが、一方的に「見る」立場に転じえない為に、暗黙裡に、お互いが共有しあえる領域以上には決して踏み込まないという並列した関係で視線が展開していくだけという退屈さがあります。つまり、ここでは、視線が「見る」者と、「見られる」者とを、鏡面的にパターン化して並列して展開していくので、そこでは、視線が、他者だけでなく、自分の姿すらも捉えることが出来ないのです。
もちろん、将来的には、こうした関係が崩れていく可能性もあるでしょうが、私には、こうした「女の子的」な「共有し合える」という視線の世界には嫌悪しか覚えません。


※※※※ ※※※※ ※※※※
ところで、この「嫌悪」というのは、私の主観的な感想でしかないのかも知れませんが、驚くことに、この公募展の審査員の一人である飯沢耕太郎は、私が、ある種の「嫌悪」を見た。この喜多村と渡邊による互いを共有しあえるという世界を「気持す良い」と評しているのです。
驚くことに、この評論家は、この20代前半の2人の女性が互いを撮り合った写真から「時間」の経過を感じるとさえコメントしているのですが、私は、飯沢という人が、一体幾つなのかは知りませんが、多分、この人は、馬鹿な大人としか思えません。

何故なら、20代の女性が互いを撮り合った写真から「時間」の経過を感じるだけでなく。それを見て、「気持ち良い」などと評するというのは、どう考えても。飯沢がそこで見ているのは作品ではなく、自己のくだらないセンチメンタリズムでしかないからです。
飯沢が、そこで何を「気持ち良い」と感じているのかといえば、それは喜多村と渡邊による私小説的な世界に、自己の私小説的なセンチメンタリズムが気持ちよく投影することが出来るからでしかありません(でなければ、20代の女性が互いを撮り合った写真から、どう「時間」を感じとれると言うのでしょう)
しかも、ここで誇示されているのは、実は、作品ではなく。そこから「時間」の経過を感じとれることが出来るという飯沢の感性の方だという馬鹿らしさがあるのです。

しかし、こうした自己のくだらないセンチメンタリズムを気持ちよく反映させてくれるのに適した心地よい作品が、写真だけでなく、絵画の世界でも、席巻しているというのが、昨今の批評の事実でもあるのです。

http://yukinomatusima.blog66.fc2.com/blog-date-200703.html

Dystopia Photographersのブログより

◇ Dystopia Photographers 090128

新納です。DystopisPhotograpers,流れに身をまかせるようにできた暗黒集団。みたいな、なにかアウトローな写真家達。このブログが今後どのように展開して行くかさっぱり分らないけど、なにか始めなければ建設的な事もでてくるはずがない。挨拶文じみたことを書いても仕方ないのでちょっと写真の話でも。

今の写真の流れってはっきり言って飯沢なる人を含めた評論家が作っている。最近名の通った会場で名作にでくわす事はほとんどない。名作が生まれている事はたしかなのにそれがどこかに埋もれているのである。現代美術はかならずや過去のものと比較され、それを超さなくてはいけない定めにある。このいかがわしい流れをどうにかせんと思うのだ。なーる、自分で名作を撮ればいいわけだが、難しい。しょっぱなからこんな話ですいません。

http://dystopia21.blog53.fc2.com/blog-entry-1.html
メンバーは、新納翔さん、渡邉奈臣さん、後藤健太郎さん。


◇ 個展へむけて - NERORISM

ちらちら時間があれば個展みているんですが日本の写真界は飽和状態みたいで、なんでウメカヨが売れているのかさっぱり分からない。飯沢耕太郎は処刑したほうがよい!

http://nerorism.jugem.jp/?eid=59
過激です。

クリスチャン・マークレイ「ギター・ドラッグ」

YouTube - Christian Marclay - Guitar Drag (2000)
http://www.youtube.com/watch?v=2PYefPW1ZOU
http://www.youtube.com/watch?v=kzF8n1pnWWs


>>>Christian Marclay interview
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090621#p4


※過去のクリスチャン・マークレイ関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%A5%AF%A5%EA%A5%B9%A5%C1%A5%E3%A5%F3%A1%A6%A5%DE%A1%BC%A5%AF%A5%EC%A5%A4

電気グルーヴ 20周年記念アルバムから流れる、 歌って踊れる摩訶不思議ニューウェイブ歌謡!? - iLOUD

http://www.iloud.jp/interview/denki_groove/


>>>YouTube - [PV] 電気グルーヴ - 電気グルーヴ20周年のうた

http://www.youtube.com/watch?v=GxPSnKJGB2M


電気グルーヴ、いつの間にか20周年!記念アルバムに宇川直宏天久聖一らMV収録 - white-screen.jp
http://white-screen.jp/2009/08/20mv.php


天久聖一電気グルーヴ新曲PVに読み切りを描き下ろし - コミックナタリー
http://natalie.mu/comic/news/show/id/19207

      • -


◇ 第4回 ─ DVD2タイトル発売記念! ピエール瀧天久聖一特別対談 - bounce.com 連載
http://www.bounce.com/interview/article.php/1709/ALL/


電気グルーヴ X 天久聖一 「ニセンヨンサマー」 - いかんともしがたい
http://music.cocolog-nifty.com/001/2005/01/denki_dvd.html

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090811#p3
リンク切れ修正。