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深尾光洋の金融経済を読み解く

2012年11月21日 安倍自民党総裁の金融政策論

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日本経済研究センター参与 深尾光洋
さらなる金融緩和の限界

 安倍晋三自民党総裁は、デフレからの脱却を図り景気を回復するために、日銀はもっと強力な金融緩和策をとるべきだと論じ、3%程度のインフレ目標を設定し、建設国債を日銀が引き受けることでマネーサプライを増加させるべきだと主張した。また政権交代が実現すれば日銀法を改正してでも、この実現を果たすと主張している。本稿では、中央銀行と政府の関係や金融政策手段とその有効性についてまとめておきたい。

 筆者は1974年から1997年まで日銀に在籍していたが、97年に慶應義塾大学に移籍して以来、日銀の金融政策に関する論評は、日銀の公式見解とは距離を置いて、極力客観的に行ってきたと自負している。実際、1997年秋の金融危機以降、量的緩和を実施すべきだと主張し続けた。速水総裁の時代の2000年8月のゼロ金利解除の時には、衆議院議員の山本幸三氏、渡辺喜美氏らと一緒に解除反対の声明を出している。また、日経センターから年二回発表してきた金融研究班報告書と経済教室による解説でも、常にデフレが終わっていないことを強調し続けてきた。1997年以降の日銀の金融政策は、経済の実態が十分改善する前に金融を早めに引き締めようとする一定のデフレバイアスがあったと判断している。

 こうした中で、デフレの元凶として日銀を非難する意見が強まっている(文末注参照)。 

 こうした論調については、正直「日銀の能力を買いかぶりすぎている」といわざるを得ない。すでに金利がゼロに近づいた今日の状況で、日銀が景気を刺激してデフレを止める能力については、さほど強くないからである。こうした誤解が生ずる理由は、金融緩和が実体経済に影響するチャネルが十分理解されていないためである。国債の買いオペをすれば民間金融機関が保有する国債が減少し、日銀当座預金が増加する。現在は補完当座預金制度により、準備預金制度により決められた最低限を上回る当座預金には0.1%の金利が払われている。銀行はこの金利と比較して、貸倒損失や審査費用を差し引いた貸出金利のほうが有利であれば貸し出しを行う。中小企業向けに金利2−3%で貸し出しを行っても、貸倒損失や管理費のほうが高いと判断すれば、銀行貸出は増加しない。デフレのもとでは、企業収益もあまりよくないので、量的緩和を行っても貸し出しを刺激する効果は少ない。

個別政策の評価

 現状で日銀は何をすべきか。日銀は補完当座預金制度をやめて市場金利をゼロに近づけ、量的緩和を継続すべきだと考えている。この政策実施による副作用もほとんどなく、若干の景気刺激効果も見込める。しかし残念ながら、この政策でデフレから脱却できる可能性は、さほど大きくない。以下では、実施可能な政策の例をあげて、その効果に限界がある理由を説明する。

 一つは、米国のバーナンキFRB議長のように、「金融政策にはもっともっとやれることがあり、量的緩和や信用緩和政策には絶大な効果がある」と、いわば虚勢を張ることで市場の期待を大きくしておいて、緩和を実施してみせることが考えられる。これは、市場の期待をうまくコントロールできれば、株価や為替相場の変動を通じて、金融緩和効果を高めることが可能である。安倍総裁の発言により、株価上昇と円安が発生しているが、これが期待を動かすことによる効果(アナウンスメント効果)である。私は、この効果を偽薬効果と呼んでいる。薬効のない薬であっても、医者が有効な薬だと言って処方すると、相当の効果を持つ場合があるのと同じだからである。この偽薬効果は金融市場の参加者の多くが効果を信じている場合には、それなりに有効であり、日銀はタイミングを計ってそれを使うのが賢明であろう。しかし、実際に政策を発動しても効果があまりないことが市場に理解されると、それ以後の効果は大幅に削減されることになるだろう。実際、量的緩和や信用緩和を行ってきた米国や英国でも、バーナンキ議長やキング総裁は、その効果の限界を認める発言をし始めている。

 二つ目には、2003−04年当時のように財務省によるドル買い円売り介入と連動した量的緩和を発動して、円安誘導を行うことである。これはイェール大学の浜田宏一教授が提唱する政策手段である(2010年10月の本コラムを参照)。しかし、欧米諸国も景気回復が思わしくなく、多くの国が実質的なゼロ金利政策を採用している状況での円安誘導には、問題が多い。円安誘導を行うことは、外交上も非常に困難であると考えるべきである。日中関係が懸念される中で日米の経済関係を悪化させることは、当然日本の安全保障にも悪影響を与えるという認識が必要である。

 三つ目の方策として、日銀が株式や社債を大量に購入して、企業の資金調達を容易にすることが考えられる。しかし、日本企業の投資水準は減価償却費と内部留保の合計を下回っており、企業部門は内部資金だけで投資をまかなえる状況にあるため、その効果は限定的である。日銀が株式や不動産投資信託(REIT)を大量に購入すれば、一時的に株価・地価は上昇するだろう。しかし、その効果は一時的なものにとどまる。その理由は、株価・地価は中長期的には必ず企業の利益や不動産の賃貸料というファンダメンタルズによって決まってくるからである。これを思考実験で検証してみよう。

 仮に日銀がある企業の発行済み株式を全て買った場合を考えると、市場の株価は観測できなくなる。しかし、その企業が新株を一般投資家向けに発行する場合の株価は、企業の将来の利益を反映して決まるはずである。このため日銀の株式買いオペによる企業の資本調達コストの低下幅は、市場のリスクプレミアムを多少引き下げる程度に止まると考えるべきである。また日銀による民間企業の国有化の弊害を避けるためには、日銀は購入した株式をいつかの時点で売却するという難問を抱えることになる。

日銀による国債引受の問題点

 四つ目の方策として、日銀が建設国債を引き受けて、政府がそれを公共投資に使ってはどうだろうか。まず財政支出面をみると、公共投資の拡大は財政政策であり、当然景気刺激効果を持つ。公共投資は、統計の上ではGDPの支出項目に計上されGDPを拡大するが、日本の生産水準を中・長期的に引き上げて将来十分な所得と税収を生むプロジェクトでなければ、国債償還のための税負担が累増していく。これは、すでに積み上がった巨額の国債をさらに増加させて、政府に対する信頼を低下させるという副作用を持つ。

 次に日銀による国債引受について考えてみよう。中央銀行が国債を買い入れること自体は、買いオペで日常的に行われていることであり、政府から直接国債を買うか、市場から買い入れるかの違いである。これは中央銀行が引き受ける国債の金利が国債の流通市場金利と同じ水準であれば、さほど重大な問題ではないとみることも可能である。現在の日本では、長期国債でも1%以下の非常に低金利で発行できており、国債引受は必要でない状況にある。政府が公共投資を拡大して建設国債を市場で発行し、他方、日銀が量的緩和を拡大すれば、日銀の国債直接引き受けによるマネタリーベース(銀行券と金融機関の日銀当座預金の合計)の拡大と全く同じ効果が期待できるのである。

 国債発行の日銀引き受けが問題になるのは、政府の信用力低下で国債金利の上昇が懸念されている状況の下で、政府が中央銀行に国債の引受を要請することにある。このような状況であれば、国債価格の値崩れを防ぐために、中央銀行に発行する国債を一度全部買って(引き受けて)もらい、中央銀行は国債を市場で徐々に売りさばくことで、政府の金利負担を軽減できるだろう。しかしこれを行うと、政府は金利上昇という財政規律を無視して、財政赤字を野放図に拡大できる立場に立つことになる。また政府が中央銀行に対して国債の引き受けを強制する権限がある場合には、政府は日銀による金融引き締めを実質的にストップできる権限を持つことになる。例えば日銀が金融の引き締めが必要だと判断し、政府から引き受けた国債を市場で売却してマネタリーベースを回収しようとしても、政府は日銀に対して売りオペと同じ額の国債引受を強制することが可能であり、実質的に日銀の金融引き締めを相殺する権限を持っていることになる。

インフレ目標の水準

 中央銀行は国会が定めた法律で設立された機関であり、国会が金融政策の最終的な目標を決めることが出来るのは当然である。その意味で筆者は、金融政策の最終目標は、政治家が日銀、財務省、学者の意見・アドバイスを十分聞いた上で、国会の議決で決めるべきだと考えている。リスクや副作用をも理解した上で、国会でインフレターゲットを3%にすると決めるのであれば、日銀は与えられた目標を出来る限り達成する最大限の努力をすべきだと考える。

 しかし以上で説明してきた通り、ゼロ金利の下では取り得る政策手段に限界があり、そもそも高めのインフレ率を実現するための、副作用の小さい金融政策の手段が無くなっている。日銀が企業向けに低利貸出を行ったり株式の購入を行ったりすると、特定企業に対する補助金の供与と同じ効果を持つことになり、実質的には日銀から政府への納付金を流用して、財政政策による景気刺激を行っていることになる。

 また、現在の日本の非常に高い政府債務の水準を考えると、期待インフレ率を引き上げることに成功した場合、長期金利がそれに近い幅で上昇するリスクがある。その場合には、政府による利払い負担が巨額となり、政府に対する信用をさらに低下させ、財政危機の引き金を引きかねないことにも十分留意する必要がある。

現在行うべき金融政策

 日銀が補完当座預金制度により行っている、日銀当座預金に対する0.1%の付利は停止すべきである。また日銀当座預金の超過準備に対して0.1%程度のマイナス金利を課すことも検討すべきである。これは、銀行貸出を刺激し、短期市場金利を若干のマイナスに押し下げることで、円為替相場を多少なりとも押し下げることが可能である。この金利押し下げと平行して、中長期国債の市場買い入れによる金融の量的緩和を強化し、株価の押し上げと円安誘導を行うのが望ましい。

 これに対してインフレ目標については、長期的には政策上の目標値を現在の1%から2%に引き上げるのが妥当だろう。これは少し高めのインフレ率が実現できれば、将来デフレに陥らないようにする糊代として機能することが期待できるからである。しかし政府債務GDP比率が200%を超える現状では、期待インフレ率が上昇して長期金利が押し上げられるリスクがあるため、性急に目標インフレ率を引き上げることには副作用が大きい。むしろ財政再建の目途が明確になり、GDPデフレータインフレ率のプラスが定着してから、日銀の金融政策目標である消費者物価の目標値引き上げを検討すべきである。

(注)例えば2010年に出版された、浜田宏一、若田部昌澄、勝間和代『伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本』(東洋経済新報社)、田中秀臣『デフレ不況 日本銀行の大罪』(朝日新聞出版)、山本幸三『日銀につぶされた日本経済』(ファーストプレス)、などである。

(2012年11月21日)

(日本経済研究センター参与)

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