■オーディションで思うこと | たかみゆきひさオフィシャルブログ「shadowcube」Powered by Ameba

■オーディションで思うこと

さてさて、
初めてこの業界に片足つっこんだのが1983年なので、いよいよ来年で30年ビックリマーク
会社も来年で15年目に突入!!
ということで、また、いろいろと書いて行こうかと思います。



僕らはマネージメントという立場でもそうですが、制作という立場でも声優さんを使うことが多い。

オーディションが行われて、その結果、声優はお仕事に繋がっていくわけですから声優にオーディションはつきものです。

うちの子たちが声優としてアニメのオーディションで審査を受けることは普通によくあることですが、実は僕らがオーディションで声優を審査をする機会もあるわけです。

そんな中で新人オーディションの場合、養成所で勉強中だったり、あるいは卒業してたり、一度事務所に入ったけど辞めた子だったり、まったく素人で初めての子だったりとまぁ、色々な人たちをオーディションで見る訳ですよ。


そこでよく感じることがある。

「あ~、はい、お上手ですねぇ」と


そして、そんな皆さんは一様に演技が同じだったりする。

みんな養成所で何を勉強して、一体何になろうとしているのか?

殆どの場合、そういう子たちは落ちる。


養成所も含めて専門学校というのは技術を学ぶことができるところだ。
(技術だけじゃないけど)
(ちょっとまわりくどい言い方になるが、その理由は後で分かる)
これは声優だけで無く、デザインだったり映像だったり、その他色んな専門学校の全てがそうだろう。


僕は専門学校で教わる技術をクルマに例えて話すことがある。
要は卒業して仕事に就く為にはクルマを手に入れないと、ってことです。


技術を得ると言うことはクルマを手に入れるに等しい。
クルマには色々な技術がつまってる。
フレーム、エンジン、タイヤ、クラッチ、ギア、サス…、様々な技術のカタマリです。

だから学校で学んでる子たちは将来クルマを駆って走り続けるためにエンジンや、タイヤなど様々な技術を手に入れるワケだ。


そんな卒業生たちによくあるんだけど、面接ではとにかく技術を見てもらおうとするんですよ。


例えば

「俺、カウンタック乗ってるんですよ!」

「私はポルシェ!」


みたいな感じ。

わかるかなぁ。

そして僕らは「で?」ってなる。


これは以前ブログで書いた、デザイナー志望の子が「僕、IllustratorやPhotoshopが使えるんです!」って力説するのに近い。



さて、ここで重要なポイントが3つある。

技術っていうのは五体満足であれば殆どの人がある程度のものを手に入れることができる。
きちんと真面目に臨んで挫折すること無く努力すればね。

でもね、技術だけに注力して追求するとクルマが工業製品であるのと一緒でみんな一様に一緒になっていくんですよ。
先日ブログで書いた歌が上手いってどういうことだ絵が上手いってどういうことだ ?ってのと同じ。

我々は大量生産品を欲してるわけじゃない
!!

というか、声優も歌手もデザイナーも映像作家もそれを仕事にするってことは5年後も10年後もそれで食っていくってことなワケですよ。
声優なら5年後も10年後もオーディションで勝ち残っていかなければならないワケですよ。
それはつまり取り替えが利く人じゃ困るってことです。
取り替えが利く人じゃやっていけないのが当たり前の世界なのに、なんでこんなに判で押したように同じような人が大量生産されているのか。
個性が物を言う仕事なのに学校行ってる時にそんな簡単な事に気がつかないのだろうか。

僕は某専門学校で教鞭を執っていた時、学校ってなにか勘違いな価値観を植え付ける空気があるんじゃないかと思ったことがある。

専門学校の学生ってなぜか技術至上主義だったり、知識があることが価値が高いと思っていたりする雰囲気がある。
技術は必要だしそれが無ければ将来走ることはできない、
が、それは走るために必要な手段に過ぎないんですよ。
本当はもっと大切なものがある。
それを学校で教えてないのか?
それとも教えているのに学生が学べていないのか?

専門学校には勝手に作り上げられた「こうあるべきだ」みたいな気持ち悪い勘違いが存在する。
そんなこと現場では求められてないんだけど…とよく感じる。

さっきのクルマで言えば

「俺、カウンタック乗ってるんですよ!」
「私はポルシェ!」



で、君たちはサーキットでスピード比べをするつもりでいるのかい?

君たちが走るこの先の道はサーキットじゃなくてオフロードなんだぜ?
オフロードをカウンタックで走るのかい?


てなふうに何か勘違いをしてませんか?と思うわけです。

オフロードだっていろんな道がある。

砂漠かも知れないし
湿地帯かも知れない
雪道かも知れない
ゴツゴツした岩山かも知れない

そしてそんな悪路を走破するための手段としてサスやタイヤなど様々なパーツを手に入れるべきなんだけど、これから走る道がどんな道か知らなければパーツの揃えようが無いよね。
でも技術至上主義になるとなぜかサーキットを走るつもりになってしまう。
いや、サーキットを走ることもあるんだよ、実際はね。
だからサーキットを走る技術も必要。
でも基本はオフロードなんですよ。
どのタイヤにする?どういうセッティングで臨む?
その選択のセンスが必要。

となると、つまり、色んなパーツが必要だし、色んなクルマも必要なワケ。
そしてそれをどう選択するか。


そんなところで、最後に3つめ、一番大事なポイント

クルマを手に入れることも大事だけど、君自身がドライバーであることを忘れちゃダメ



ここで「技術」ということばが2つ出てくる。
クルマの製品としての技術、
そして運転技術

一番大事なのはみんなはドライバーだってことなんですよ。
カウンタックに乗ってきて「いいでしょ!どうですか!」って言われても、それを運転するだけの技術はあるの?ってことです。

ごめん、僕らはクルマを見に来た訳じゃないんだ

どんなに高度な技術を手に入れてもそれを適切に制御できなければ意味が無い。
そこを司るのはドライバー。
同じクルマでもドライバーが違えば走り方はみんな違う。
「どうやって走る?」ってのが大事なわけです。
それはその人その人の個性がベースになる。
乗るクルマの選択やパーツのセッティングのセンスもある程度のお約束はあるにせよ、個性に基づく部分がある。

クライアントのオーダーが「A地点からB地点まで走ってください」だったら、

この人はどうやって走ってくれるのか

これがオーディションで見るところです。
また、多くの場合、同時に将来性も見るから、

この人は今はこういう走りだけど、
この後成長してどういう走りになるか


そういう可能性も見るわけです。
つまりそれはその人固有のいわゆる「個性」です。


ドライバーがドライバーであることがきちんと見えればどんなクルマでも運転できるだろうと言うことが見えてきます。
そういう場合は技術が伴っていなくても(クルマを持って無くても)オーディションで残れるワケです。
声優だと声質など、元々持っているものももちろんあります。

ただし、間違っていけないのは「個性」が単に他人と違えばいいというものじゃ無い。

その個性をどうマーケットに活かしていけるかがプロとしての仕事なのだ。

プロってのは大変なんだよビックリマーク