おにぎりとリバティ | DNA of DeNA

おにぎりとリバティ

ひとさまにはどうでも良い話だが、私たち夫婦は結婚記念日など祝ったこともなく、正しいひにちも絞り込めていないし、互いの誕生日は覚えていないのでおめでとうの一言もない。

ましてやクリスマスなとどいう他人様の誕生日を祝うはずもなく、すべての家族が身動きできなくなっている記念日の呪縛からあらかじめ解放されて生きている。


からと言って互いに思いやりがないかと言えばそうでもない。


昨晩などは生まれて初めて旦那のためにおにぎりをつくった。1年ほど前から週末になるとときどき料理を作るようになった私は昨日の晩御飯に新米を炊いて、残りを翌朝早く出発する旦那のためにおにぎりにすると発表したら旦那もちょっと喜んだ様子だった。


かたちがほぼ完成してから、たらこがちゃんとセンターに納まっているか気になって、ぱかっとふたつに割ってみたらやはり片方に遍在していたが、どうにも修正がきかず、そのまままたひとつの球に併合させ、のりで完全におおった。


「あら、ご飯が足りなくて一つしか作れない。お友達の分ができないわ~」

最初に「あら」、語尾に「わ」や「ね」をつけるとぐっと良妻っぽくなる。


できあがったおにぎりをホイルにくるんで忘れないように玄関の前の床に置いた。


一緒にでかける友達に「いやぁ、女房がよなべしておにぎり作ってくれてね」なんて言っている旦那の姿を想像したが悪いもんじゃないね。その旦那、床に置いてあるおにぎりに一瞥をくれて「まんまるだな」と感想を述べた。


明けて今朝、さくら(駄犬)の催促で目覚め散歩に出かけようと玄関口に向かった私は「あっ」と声をあげた。床にポツンとおにぎりが取り残されているではないか。横に置いてあったカバンはなくなり、おにぎりだけひとりポツネンと、しかも常時空腹状態のさくらにもなぜか愚弄されることなく、完全球のまま床に鎮座していた。


ケータイを確認すると「おにぎり忘れた。気を悪くしないでくれ」と旦那からメールが入っていた。


拾ってむいて自分で食べながら犬の散歩をした。


やぱセブンイレブンの方がちと美味い。



こうしてわれわれ夫婦は愛妻弁当という呪縛からも永遠に解放されることとなった。