11月10日に亡くなった女優森光子さん(享年92)の本葬が7日、東京・青山葬儀所で営まれた。関係者約1000人が参列し、ファン約1300人が献花した。大ベテランからジャニーズ事務所の若手まで芸能界のオールスターが集まった式場は、誰からも愛された「日本のお母さん」を失った悲しみに包まれた。

 晴れ女だった森さんらしく、快晴だった。だが、式場は涙でいっぱいになった。冒頭でしのぶ映像が流された。2歳ころの写真から2017回上演の「放浪記」名場面、「おもろい女」「雪まろげ」など代表作に続き、今月5日に亡くなった中村勘三郎さんとの共演舞台「寝坊な豆腐屋」で勘三郎さんに背負われた森さんの姿が映し出されると、2人の名優を同時期に失った悲しみが広がった。

 弔辞は6人が読んだ。40年来の親交がある福岡ソフトバンクホークス王貞治会長(72)は「誰もが森さんと会うとファンになった。私もその1人です」。「放浪記」共演者の俳優山本学(75)は「上から目線でなく対等に話してくれた。『日常で幸せいっぱいじゃ、芝居はうまくいかない』という言葉を聞いた。やっぱり寂しいんだと思った」。

 舞台中のためメッセージを寄せた奈良岡朋子(83)は「周りを温かく包む、ぬくもりのある太陽でした。夜は必ず空を仰いで、好きな月をながめた。孤独だけど、りんとしていた」と話した。50年以上の付き合いの黒柳徹子(79)は「放浪記」の舞台衣装で弔辞に立ち「『あなたとお食事に行きたいからリハビリしてます』が最後のメッセージでした。こんなつらいお別れはありません」と泣き、遺影に向かって手を振った。

 優しく、気配りがあり、一方で芸に厳しく、孤高の人だった。それらすべてをひっくるめて「女優森光子」だった。プロデューサーの石井ふく子さん(86)は10月に見舞った時の最後の言葉を明かした。「ごめんなさい」と「悔しい」だった。「もう差し入れができなくてごめんなさい、『放浪記』が続けられなくて悔しい、という意味と思った」と石井さんは振り返った。

 最期まで女優だった森さん。王会長は「全力疾走の一生でした。少し安らかな気持ちになって、ゆっくりお休みください」と言った。森さんを愛するみんなの思いだった。

 戒名は「恵光院放誉花雪逗留大姉(けいこういんほうよかせつとうりゅうだいし)」。森さんが放った恵みの光は多くの人の心に留まるという意味で、村上家(森さんの本名)の墓がある京都・阿弥陀寺の住職がつけた。母を13歳で亡くした森さんは、年明けにも母の待つ墓で永遠に眠りにつく。【林尚之】

 ▼主な参列者

 笑福亭鶴瓶、ビートたけし、みのもんた、北大路欣也、市村正親、三浦友和、西郷輝彦、堺正章、五木ひろし、谷村新司、石田純一、段田安則、富司純子、三田佳子、浅丘ルリ子、司葉子、岸本加世子、野際陽子、佐久間良子、草笛光子、浜木綿子、八千草薫、山本陽子、大地真央、榊原郁恵、有森也実、多岐川裕美、朝丘雪路、和田アキ子、渡辺えり、うつみ宮土理、工藤静香、木村佳乃、仲間由紀恵、米倉涼子、森喜朗、野茂英雄、篠山紀信、秋元康、ジェームス三木、関口宏、小倉智昭、海老名香葉子、林家三平(順不同、敬称略)