topcolumns[美術散歩]
美術散歩

「ヴィデオを待ちながら」展を見る

TEXT 菅原義之

     東京国立近代美術館で「ヴィデオを待ちながら―映像、60年代から今日へ」展を見た。映像作品展である。これまで映像作品は進んで見る方ではなかった。この展示を見てとっぷりヴィデオ作品に浸ることができた。
 ヴィデオ作品は1960年代からスタートしたそうである。そう長い歴史があるわけではない。一方1960年代から70年代にかけて美術は追求し尽くされ(還元化の進行)、行き詰まりを招きそれを超克する意味で内容が変わっていった。と、言われている。どのように変わったのか。美術が絵画と彫刻とに大別されていた時代から、ハンドルが大きく切られアイディア、コンセプト中心の時代へと変わっていった。その結果美術が対象とする領域もおのずから広がったが、その時期にヴィデオ作品が登場した。
 スタート当時の作品群を見て当時の美術の変容ぶりがよくわかった。アイディア、コンセプトが分かりやすいもの、そうでないものなどあったが、それだけにこの作品群の表現内容はそのまま20世紀後半の美術の流れを考えるのに大事な役割を果たしているように思えた。ここに取り上げたのもそんな理由からである。
(注)「ヴィデオを待ちながら」展では「YouTube」にて一部映像を下記URLにて公開しています。
http://www.youtube.com/watch?v=mT60sWfvjhM


 内容は大きく5つにわかれていた。
1.「鏡と反映」
 ヴィデオ・カメラの登場により誰でもカメラをモニターにつなげば、撮影した映像をリアルタイムで見ることができるようになった。そこで多くのアーティストは自分を映す鏡のように考えヴィデオ作品を制作したそうである。
 
    ヴィト・アコンチ(1940〜)の作品≪適応についての3つの研究≫(1970)の中のpart1≪目隠しキャッチ≫。目隠ししたアコンチに外からボールが投げられ、それをアコンチが捕ろうとする。目隠ししているので捕れるはずがない。本来見るべき映像の中にアコンチ自身が見られる人物として登場する。映像作品の最も基本的な「見る/見られる」という関係を題材に使った作品だそうである。1970年当時としては興味のあったことだったのだろう。左の写真は作品は異なるが狙いは同様であろう。
 

 

ヴィト・アコンチ《センターズ》1971年 
Courtesy Electronic Arts Intermix (EAI), New York.

 
      トーマス・デマンド(1964〜)の≪カメラ≫(2007)も同様の内容である。左右にゆっくり首を振り作動している監視カメラを別のカメラが映したものである。監視カメラが見ている世界を別のカメラが写す。これも「見る/見られる」の具体例だろう。人物がいない空虚な室内風景でいかにもデマンドらしい作品である。
 40年近くも制作時期が異なる両作品の違いが面白い。前者はヴィデオ機能そのものの持つ面白さに関心を持って制作したよう。熱意がそうさせたのかやや長い。後者は監視カメラの機能を別のカメラで撮る。シンプル、冷静さなどがあてはまりそう。面白さ、分かりやすさ、発想の良さなどが目立った。非常に現代的。

2.「芸術の非物質化」
 絵画、彫刻のように形のあるものからアイディア、コンセプト中心の作品が登場する。
 デニス・オッペンハイム(1938〜)の作品はデニスと息子が上半身裸で登場する。息子が父デニスの背中に太いペンで何かの図形を描く。父親は背中に感じた図形を壁面に貼られた紙に描く。この光景が映像で流れる。二人の描く図形は必ずしも同じにならない。これが≪二段階の伝達ドローイング(未来の状態への前進)≫(1971)である。
 息子と父親が入れ替わり、父の描く図形を息子が背中で感じとって壁面の紙に描く。これも描かれた図形がなぜか異なる。こちらは≪二段階の伝達ドローイング(過去の状態への回帰)≫(1971)である。発想が面白い。「芸術の非物質化」の典型例かもしれない。
 泉太郎(1976〜)。≪裏の手 手の裏≫(2009)と題していくつかの作品が展示されていた。その中の小作品。テレビ画面は戸外の様子。テレビの前中央に大きな水の入った瓶が置かれている。人物が画面を通り過ぎる。ビンの前を通り過ぎるとき、その男は両手を広げて泳ぐまねをする。ビン部分を通り過ぎるとまた元通り歩く。それだけの作品である。何ということはないが、真顔(失礼!)でこのような作品を制作する発想が実に面白い。以前水戸芸術館のマイクロポップ展で見て印象に残っていた。前者に比べて内容が軽くより現代的か。

3.「身体/物体/媒体」
 映像表現の中に「身体」が取り扱われる。絵画、彫刻時代の鑑賞の主役である「視覚性」に代わって「触覚性」を思考する「ボディ・アート」などの登場である。これまでの見方の批判的発展系であろう。
 
ブルース・ナウマン《スロー・アングル・ウォーク(ベケット・ウォーク)》1968年
Courtesy Electronic Arts Intermix (EAI), New York. 
(C) Bruce Nauman / ARS, New York / SPDA, Tokyo, 2009
 
 ブルース・ナウマン(1941〜)の≪コーナーで跳ねる No.1≫(1968)は人が部屋の片隅で倒れ込み手で壁を押しながらもとの姿勢に戻ろうとする動作を繰り返す映像である。始めからカメラを90度横にして制作。人物の首から下だけを映し人の行動を一見そうでないように見せ、抽象化しているそうである。見ていると面白いが60分間である。なぜあんなに長時間同じ行為をやり続けるのか?制作当時の意欲と熱意がこうさせたのかもしれない。筋書きのないこの種のヴィデオ作品、一般鑑賞者としていつ見切りをつけるかが大事かも。左の写真は作品は異なるが身体を異化する点で同様であろう。
 野村仁(1945〜)の≪カメラを手に持ち腕を回す:人物、風景≫(1972)はフィルム・カメラを手に持った野村を正面と側面から撮った映像が映る。そのあと野村は肩を中心にして自分が持ったカメラを腕ごとまわし始める。そこに映った映像は手に持ったカメラが撮った思いもよらない周りの風景である。逆さまになったかと思うと別の風景が映るなど瞬時に代わる光景である。タイトルに書かれた「人物」とは野村自身のこと、「風景」は野村の持つカメラが撮ったものである。ここでも「身体」の登場である。
 
     両者の作品は突飛なものかもしれない。これまでの芸術観では考えられない世界を表現していた。今から見ると面白いが、分かりづらい。アートがアイディア、コンセプトを問う時代に入った時期の典型例かもしれない。

4.「フレームの拡張」
 絵画や彫刻と異なり、ヴィデオ・アートは「時間の経過」の中で作品が展開される。いつまでたっても物事が進まない状態を表現したり、「時間経過」の異なる映像を合成して不思議な世界を表現したりしている。
 
   フランシス・アリス(1959〜)の作品≪リハーサル1≫(1999〜2004)。舞台はメキシコとのこと。キューバの音楽に合わせて車が坂道を登り始める。登り終わらないうちに音楽が終わる。終わると車は坂をそのまま下りてくる。坂の下まで来るとまたリハーサルがはじまり音楽が再開される。車はまた坂を登り始める。これを何回も繰り返す。この繰り返しで、いつまでたっても車は坂を登りきれない。はじめは結果がどうなるかを期待したが、そのうちにそのプロセスが面白くなり見続けてしまった。
 

 

フランシス・アリス(ラファエル・オルテガとのコラボレーション)《リハーサル1》1999-2004年
Courtesy the artist and Galerie Peter Kilchmann, Zurich

 

   ビル・ヴィオラ(1951〜)の≪映り込む池≫(1977〜79)は最初森の中にある小さな池が映る。一人の人物が登場し池のふちに立つ。そのうちに気合とともに池に飛び込むかのように飛びあがる。その瞬間この人物像が停止状態になり池に落ちないまま浮いているかのよう。人物は時間の経過とともにかすかに当初の姿勢を変える。他に気をとられているうちにいつの間にか人物は消えてしまう。プールの水は風に吹かれ終始普通の速さで動いている。映像の合成作品だと気づいた。不思議な感じの作品だった。
 

 

ビル・ヴィオラ《映り込む池》1977-79年 
Courtesy Electronic Arts Intermix (EAI), New York.  
(C) the artist
photo: Kira Perov

 
  5.「サイト」
 美術館から外に出て制作するなども美術領域拡張の一例だろう。この時期「ランド・アート」、「アース・ワーク」などが出現した。「サイト=場所」の問題である。巨大な作品が登場する。これらは辺鄙なところでしか制作できない。ここでは映像による紹介である。
 
    典型例としてロバート・スミッソン(1938〜73)の≪スパイラル・ジェッティ≫(1970)が紹介された。アメリカユタ州にある塩水湖グレート・ソルト・レイクに作られた巨大な螺旋状の突堤である。幅約4.6メートル、全長約460メートルだそうである。「ランド・アート」の代表的例として知られている。この制作過程がすべて映像で表現される。制作のための下見、制作中、完成後の空からの映像だった。これまでは写真だけで理解していたが、映像を見て制作プロセスがよく分かった。見ると凄い。人力の想像を超える作品に思えた。
 

 

ロバート・スミッソン《スパイラル・ジェッティ》1970年
Courtesy Electronic Arts Intermix (EAI), New York. 
(C) Robert Smithson / VAGA, New York & SPDA, Tokyo, 2009

 


 ここに記したほかにも見るべき作品は何点もあった。全般に見てヴィデオ作品の特徴をある程度つかむことができた。すべてを時間通り見ると12時間ほどかかるそうである。いかに速やかに内容を察知して早く切り上げるかを改めて感じた。作品によって説明なしでも分かる発想の分かりやすさに感心した(デマンド、オッペンハイム、泉太郎、アリスなど)。映像作品でしか味わえない素晴らしさを実感する(スミッソン、ヴィオラなど)こともできた。美術の大きな転換期にスタートしたヴィデオ作品群を通して20世紀後半の美術の流れの変貌ぶりを見ることができた。示唆に富んだ参考になる美術展だった。


 
   
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社勤務、退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室作品ガイド)を行う。

ウエブサイト ART.WALKING

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。

 

 

topnewsreviewscolumnspeoplespecialarchivewhat's PEELERwritersnewslettermail

Copyright (C) PEELER. All Rights Reserved.