SFに賞味期限はあるか

久々に懐かしいタイトルを見た。

とうとう読んでしまった、SFの最高傑作として名高い『月は無慈悲な夜の女王』。大事にとっといた一品を食べてしまった、充実感と喪失感で胸一杯なところ。

なつかしい未来『月は無慈悲な夜の女王』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

月は無慈悲な夜の女王」は言うまでもなく傑作だし、ガジェットの細かい部分を除けば確かに今でも通用する話だ。電子投票で不正をするなんてネタもあるし、面白い。
ただ、もうしばらくすると賞味期限切れなんじゃないか、とも思う。コンピューターが革命的に世界を変えた結果が反映されていないSFの賞味期限が切れるのはもうすぐだろう。
SFはもとよりテクノロジーのみに縛られるものではないけれども、そのストーリーの根幹がテクノロジーそのものを扱っている場合、どうしても賞味期限が発生してしまう。
未知の世界、端的に言って宇宙SFにおいてはなんとなればスペオペという言葉で現代から見た荒唐無稽さをあえて無視して楽しむことができるのだろうけど、すでに現実のテクノロジーで実現されてしまっているものについてはどうしても陳腐さが拭えない。ウェブがもたらしたコミュニケーションの革命は、古いSFのいくつかを滅ぼしているように思える。
1975年生まれというのはテクノロジーのボーダーラインに位置しているようだ。中高生の時期に古典SFに出会えたことは幸いだ(もっとも、SFの楽しみを教わってから行った図書館で最初に手にとったのがディックの「ザップ・ガン」だったのはある意味不幸としか言いようが無い)。当時貪るようにして読んだ名作の数々も、今読むと色々と引っかかりがあるのは確かだ。
少なくとも、ディテールを楽しむ人達にとっては、SFというのは極めて賞味期限の短いものなのではないか。

でも、僕はそうでもないかな、と思っている。SFとはマインドであり、想像力であり創造力だ。賞味期限が早いものほど、それが書かれた当時、人々は何を思い、何が問題でどう脱却しなければならないかと考えていたかがよくわかるものであるし、想像力を駆使することで現代から見ると非常識なその創造物を楽しむことができるはず。何しろ、書かれた当時には現代には存在するそのガジェットがなかったわけだから、当時の読者は僕たちよりもはるかに想像力を必要としただろうし、そのことを楽しんでいたんじゃないだろうか。