Derrida, Jacques ed. Patton, Paul and Smith, Terry 2001 Deconstruction Engaged, The Sydney Seminars, Power Publications, Sydney
=20051025 谷徹・亀井大輔訳,岩波書店,201p.
■Derrida, Jacques ed. Patton, Paul and Smith, Terry 2001 Deconstruction Engaged, The Sydney Seminars, Power Publications, Sydney=20051025 谷徹・亀井大輔訳,『デリダ、脱構築を語る――シドニー・セミナーの記録』,岩波書店,201p. ISBN-10: 4000240161 ISBN-13: 978-4000240161 2205 [amazon] ※ b d/p d/d08
「私は、通常の規則にのっとって無条件の歓待をつくり上げることができないのです。だからこそ、原則的に、私は自責の念(a bad conscience)をもつわけです。私は、やましくない気持ち(a good conscience)をもつことができません、なぜなら、私の家、アパート、国家、お金、土地などを私と共有したいと思う多くの人がいることを知りつつ、私は自分の家の扉の鍵を閉めることがわかっているからです。けれども私は次のように言います。無条件の歓待は、原則的にではないが、ときに、例外的に、起こるかもしれないと。私はそれが起こる瞬間を統制し、支配し、確定することはできませんが、それは起こるかもしれません。それは赦しの行為とちょうど同様です。なんらかの赦し、純粋な赦しが起こるかもしれません。確定的な、規定的な判断を行なって、「これは純粋な赦しだ」とか「これは純粋な歓待だ」と言うことはできません。認識の行為として見ると、規定的判断に相当する行為はありません。こういうわけで、行動や実践理性の領域は、ここでは、理論および理論的判断とは絶対的に異質なのです。しかし、たとえ私がそれ(=無条件の歓待)を知らなくても、それを意識しなくても、それを設定するための規則をもたなくても、それは起こるかもしれません。無条件の歓待は制度ではありえませんが、それは奇蹟として起こるかもしれません……」(p.124)