(Japan's Trap: クルーグマンのホームページで 1998.05 初公開)
ポール・クルーグマン
山形浩生訳
日本の経済的な重病は、だれよりもなによりも日本自身にとっての大問題だ。でも、ほかの人たちにも、これは問題となる。機関車役を死ぬほど求めてる苦境のアジア経済にとっても、日本の貿易黒字のおかげで仕事がやりにくくなってる西側の自由貿易支持者にとっても。そして最後に(いちばんどうでもいいけど、でも無視できる存在じゃあない)経済学者たちにとっても、日本は問題なんだ。なぜなら、こんなことは起きないはずなんだもの。
ときどき象牙の塔から出てくるマクロ経済学者の多くと同じく、ぼくも実際のビジネスサイクルはリアル・ビジネスサイクルじゃないと思ってるし、一部の(いやほとんどの)不況は、全体としての総需要が落ち込むせいで起こるんだと思ってる。ぼくをふくめほとんどの学者は、こういう落ち込みは、単にお金をもっとすれば解決できるもんだと考えがちだった。でも、いまの日本は、金利はほとんどゼロだし、日銀も最近は、バランスシートを年率 50% くらいでふくらませてる——なのに経済はまだ不況続き。どうなっているんだろう?
もちろん、日本がどうしてこんな、文字通りの意味でも比喩的にも不景気な状態におちいってしまったのかを説明しようとするこころみはいくらもあったし、どうすればいいかについても日本政府は、無料アドバイスを山ほどもらってる(議論の要約として便利なのは、Nouriel Roubini のメモの束。John Makin のエッセイは、この論文と同じ結論に向かっているようなのに、最後の最後になって脱線する)。でも、こういう説明や提案のほとんどは、よくてもゆるゆるの分析に基づくもので、最悪だとまったく根拠レスな暴論ばかり。ぼくたちが聞かされたの話だと、日本が不況なのは会社の負債が大きすぎるせいだとか、銀行が損失(不良債権)に直面しようとしないからだとか、サービス部門の規制が多すぎるからだとか、高齢化のせいだとか。で、回復の方法はといえば、減税が必要だからとか、派手な銀行改革が必要だとか、いや経済が過剰のキャパシティをさんざん苦労して始末しきらないかぎり、回復なんかありえないんだとか。こういう提案の一部、いやすべては、事実かも知れない。でもそれを判断するにしても、まずはいまの窮地を理解するための明快な枠組みがなければどうしようもない。
ある世代——というのはおおむねぼくより上の世代——は、この状況を分析するための理論的な枠組みを持ってはいる。日本はあの恐怖の「流動性の罠」に陥ってるんだ。ここでは金融政策が効かない。金利はゼロ以下には下がらないからだ。ヒックスの 1937 年の名論文は、 IS-LM モデルを導入していて、このモデルを論じる中で、不況状態では金融政策が効かなくなるかもしれないことを示してるんだ。そしてマクロ経済学者はながいこと、流動性の罠をだいじな理論的可能性として念頭にはおいていた。実際にお目にかかることになるとは思っていなかったにしても。
でも IS-LM モデルは、現実のマクロ経済政策分析ではバリバリ利用され続けているんだけれど、専門の経済学者からはいささか一家の恥みたいな扱いを受けている。上品な知的環境ではいっしょのところを見られたくない存在なんだ。というのも、そもそもIS-LM分析は価格がなかなか変わらない(硬直的である)という急場しのぎの仮定がなければ成立しないし、それは大目に見るにしても、結局のところはこのモデルはどんなによく言っても、貯蓄とか投資のような、期間と期間の間での問題を静的な枠組みに押し込もうという、かなり荒っぽい試みでしかない(ちなみにこの点は、ヒックスもはじめから指摘していた)。
結果として IS-LM はマクロ経済学の教科書の後ろのほうに押し込められて、あんまりページも割かれないようになって、流動性の罠みたいな風変わりな現象は、ほとんど忘れ去られてしまったというわけ。
でもいまここで、世界第二の経済がいかにも流動性の罠らしきものにはまっているわけだ。どうしてこんなことに? 政策面でどんなことが言える? というのもある意味で、IS-LM に対する批判は正しいんだ。あまりに急場しのぎだし、仮定そのものが、ほしい回答を引き出すためにたてられている観もあるし。実際問題として多くの経済学者たちは、もっとまともなミクロ経済的基盤のあるモデルでは、流動性の罠みたいなものは実は起きないんではないかと思っているはずだ。
この論文の目的は、流動性の罠が本当にあり得るんだということを示すことにある。ミクロ経済的な i と、期間の間の t を交差させるようなモデルでも、ヒックス流の流動性の罠そっくりなものは実際に起きてしまえる。さらに、そうしたトラップが生じる条件というのは、少なくとも粗っぽく見れば、実際の日本経済の特徴と対応しているんだ。
結論を先にざっと述べると、長期の成長見通しが低い国——たとえば人口トレンドが明るくないとか——では、貯蓄と投資をマッチさせるために必要な短期の実質金利は、マイナスである可能性が大いにある。名目金利はマイナスにはなれないので、その国はインフレ期待が「必要」になる。もし価格が何の制限もなくすぐに変われるなら(硬直的でないなら)、経済は金融政策なんか関係なしに、必要なインフレを実現できる——必要とあらば、いま価格を下げて(デフレして)でも将来価格があがるようにするだろう。でも価格があまり気軽に下がれない(下方硬直的である)とすれば、そして同時に世間が、価格は長期的には横這いだと思っているなら、経済は必要となるインフレ期待を得られない。そしてそういう状況でなら、経済は不況におちいる。しかもこれに対しては、短期的な金融拡大は、どんなに大規模なものであっても効果はない。
もしこの図式的な分析が、日本の直面している真の問題とすこしでも対応しているとしたら、これが持つ政策的な意義はすさまじいものになる。長期的な成長率をあげるような(あるいは価格とは関係ない資金の制約をゆるめる)構造改革は、問題を軽減はするかもしれないし、赤字国債による政府支出だってそうかもしれない。でも、この不況を脱するいちばん簡単な方法は、必要とされてるインフレ期待を経済に与えてあげることだということになる。これはつまり、中央銀行はほかの状況でなら無責任きわまる金融政策になるものに、真剣で説得力あるかたちで取り組まなくてはならないということだ。その無責任な政策とはつまり、物価があがりはじめてもいまの金融拡大方針が続くということを、民間部門に納得させるということ!
この論文は六部構成になっている。はじめは、マネー、金利、物価について、すごく図式化された完全雇用モデルを描いてみる。これは Lucus (1982)の簡略版だ。次の部分では、ふつうの状況ではこのモデルの物価がマネーサプライに比例するけれど、価格が完全に自由に動けるときでさえ、中央銀行が何をしようと超えられない、デフレの最大値があることを示す。そしてこのデフレの最大値はマイナスかもしれない——つまり、ある特定のはっきり定まった状況のもとでは、経済はインフレを必要とするのであって、価格が自由に動くなら(硬直的でないなら)金融政策がどうであれ、インフレが起こってしまうんだ。
第三部では、短期的な価格の硬直性を導入する。そして、経済がインフレを「必要」とするときには、一時的な金融拡大——これは、長期的な価格水準を押し上げないような拡大と定義する——は産出増大にまったく効果がないことを示す。経済が流動性の罠で苦しむことがあるというのは、まさにこの意味での話。第四部は、この分析の図式性を少し減らしてみても——つまり投資と国際貿易を導入しても——基本的な結論は変わらないよ、と主張する。第五部は、この分析がきわめて図式的なものではあっても、それが日本の窮状をかなり明るみに出すものなんだと論じている。そして最後の部分では、その政策的な意味を考えてみる。なかでも、日本政府はいまの責任ある人物がだれも提案したがらないくらいインフレっぽい政策を採用する必要があるかもしれないという一見して読みとれる政策について。
この論文の目的は、現実的になるよりはむしろ、可能性を示して思考をはっきりさせることだ。だからここでは、4つの主要マクロ経済指標の関係を示す一貫性のあるモデルとしていちばん簡単なものをみてやることにする。4つの指標とは、産出、マネーサプライ、金利、価格水準だ。このモデルでは、個人はすべて同じで永遠に生きるので、各世代の中や、世代の間での配分にかかわる現実的でややこしい話はない。産出は単に与えられる(つまりほどこし経済なのだ——この前提はあとでゆるめる)。そしてマネー需要は、純粋に「現金払い」の前提から生じる。つまり、人々は財を買うときに現金を要求される。
個人は、無限の時間で見たときの期待効用を最大化するものと仮定する。効用関数の具体的な形はどうでもいいのだけれど、ここでは便宜上、対数関数を想定しよう。つまり、各個人はこんなUを最大化することになる。
U = ln(c1) + D ln(c2) + D2 ln(c3) + ...
ここでct は時間 t での消費で、 D<1 は割引率。各時点で、各個人は yt のほどこしを受ける。これは財が一つしかない経済だと想定するけれど、でも個人は自分がもらったものをそのまま消費することはできないとしよう。みんなそれぞれ、自分が消費する分は他人から買わなきゃならない。
財を買うには現金がいる。各時点の頭で資本市場ができて、そこで各個人は現金を1期間満期の債券(名目金利 it)と交換できる。その期間の各個人の消費は、この取引で手に入る現金の量に制約される。つまり消費の名目価値 Pt ct は、手持ちの現金 Mt 以上にはならない。資本市場を開いたあとで、各個人は好きなだけ消費をして、同時に自分のほどこしを売って現金を受け取る。さらに、政府からの移転——正でも負でも(負なら一定額の税金)——があり得る。
最後に、マネーは公開市場での操作で各期間ごとに政府が生み出したり破壊したりする——つまり政府は資本市場にのりこんで、債券を買ったり売ったりする。政府は移転を行ったり税金を集めたり(この段階ではまだ政府消費はなし)して、それ自身の期間にまたがる予算制約にしたがわなくてはならない。これは時間につれてのマネーサプライ増大から出てくる、お金を刷る権利も考慮する。
このモデルを分析するには一般に、個人と政府の予算制約と期間にまたがる選択を慎重に決めてやる必要がある。でも、いくつか仮定をおいて単純化してやれば、このモデルからの示唆はほとんど数学なしで引き出せる。
第2期以降の産出(ということは同時に消費も)は y* で一定としよう。そして政府はマネーサプライを
M* で一定に保つとしよう。すると時期2以降の答はすぐに見当がつく。価格水準も
P* = M*/y* で一定になるし、金利もやっぱり i* =
(1-D)/D で一定だ。だからこれが均衡しているのはすぐにわかる。実質金利に1を足したものが、連続した2期間での限界効用の比率に等しくなる。名目金利はプラスだから、各個人はどうしても必要なだけの現金しか手にしないようにする。だからマネーはすべて消費に使われる。
ということは、第1期の価格水準と金利を決めればすべて決まってしまうわけだ。期間1の産出や消費や金利なんかをあらわすには、添え字のない変数を使うことにしよう。
最初の関係は、金融のほうからくる。ふつうの状況でなら——つまり名目金利がプラスなら——個人は自分の消費分を買うのに必要な以上は現金を持たない。だから、現金払いという制約に縛られて、価格はこうなる:
Pc = Py = M, つまり P = M/y
だからふつうの状況でなら、マネーサプライと価格水準は単純な比例関係になる。
第二の関係は、期間をまたがる選択からくる。第1期である個人が 1 円少なく持ったとすると、その人は第 1 期に1/P の消費をあきらめることになるけれど、でも第 2 期には(1+i)/P* だけ余計に消費できる。最適化された状況では、この個人はどっちでもかまわないと思うはず。でも、期間 1 での消費の限界効用は、ここで想定した効用関数から、1/c になる。期間2の限界効用は D/c* だ。ということは、こんな関係が成立しなきゃならない。
c/c* = D-1 (P*/P)/ (1+i)
ちょっと移項して、
1+i = D-1 (c*/c) (P*/P)
そして、最終的には各期間で消費と支出は同じになるから:
1+i = D-1 (y*/y) (P*/P)
これはつまり、いまの価格水準が高ければ高いほど、名目金利は低くなる、ということを言ってるわけだ。これをいちばん簡単に考えてみると、つまりは均衡となる実質金利 D-1 (y*/y)-1 があって、実質価格の動きがどうだろうとこの経済はこれを提供する。でも、将来の価格水準 P* は一定だとしているから、現状の価格があがればデフレ期待が生まれる。だから P があがれば i は下がる。
この2つの関係は、図 1 でそれぞれ MM と CC で示されてる。ここで描いたように、それが点 1 で交わって、金利と価格水準が同時に決まる。期間 1 でマネーサプライが増えれば、MM が右に動いて、価格水準があがって名目金利が下がる(でも実質金利は同じ)ことがすぐにわかる。
ふつうは確かにこうなる。でも、ほかの可能性がある。次にそれを見てやろう。
さて、図 1 の点 1 であらわされる均衡点にある経済から出発しよう。そして最初に公開市場でやりとりがあって、期間1のマネーサプライが増えたとする。(この論文ではずっと、期間2以降のマネーサプライはずっと変わらないものと考える——あるいは同じことだけれど、中央銀行がありとあらゆる手をうって期間 2 以降の価格を安定させると考える。)最初は、すでにみたように、こういうやりとりは価格水準をあげて金利を下げる。そしてこういう金融拡大は、明らかに経済を CC に沿って下げて、図 1 の点 2 にまで動かす。でも、もしマネーサプライがもっと増えたら? MM と CC の交点が 3 あたりの、名目金利がマイナスのところにきたら?
こたえは明らかに、金利はマイナスにはなれないってことだ。だってもしそうなったら、資産として債券よりお金のほうがいいってことになるから。だからそうなったら起きてしまうのは、金利をゼロにする以上のマネーサプライの増加はすべて、個人のポートフォリオ内で金利ゼロの債券に交換されて(その債券は、公開市場での売買で中央銀行が買うことになる!)、価格水準にも金利にも、まるで影響しない。そして支出はもうマネーに制約されていないので、MM曲線はどうでもよくなる。経済は、マネーサプライがどんなに大きくなっても、点 2 にじっとすわったままだ。
たぶんここで強調しておくべきなのが、点 2 での金利がゼロなのは 1 期間ものの債券だけだってことだ。永久債みたいな長期の債券の利率はゼロにはならない。これは日本の現状とか、それを言うなら 1930 年代のアメリカとかにこのモデルをあてはめようとするときには大事。日本の長期金利はプラスだけれど、短期金利はホントにほとんどゼロに近い。
マネーがどうでもよくなるとどうなるかを考えるには、長期的なマネーサプライが M* で固定されてて、だから長期的な価格水準も P* で固定されてることを頭にいれとくといいだろう。だから中央銀行がいまのマネーサプライを増やすと、マネー増大率の期待値 M*/M を下げてるわけで、さらに——それが価格水準をあげるのに成功すれば——期待インフレ率 P*/P も下げる。さて、ここでわかっていることとして、この完全雇用経済では中央銀行が何をしようと実質金利は変わらない。でも、名目金利はマイナスにはなれないので、この経済にはインフレの最低値かデフレの最大値があることになる。
さて、中央銀行がこの値をこえるデフレを引き起こそうとするとどうなるだろう——具体的にはいまのマネーサプライ M を、未来のマネーサプライ M* にくらべて大きくするわけだ。すると起きるのは、この経済は現金に制約されなくなってしまって、過剰なマネーはなんの影響も持たない。デフレの率は、名目金利がゼロになったときの最大値と同じになって、それ以上にはならない。
さて、いまの思考実験はまぬけに思えるかも知れない。なんだって中央銀行がすごいデフレなんか起こしたいわけ? でも、デフレの最大値はそんなに大きくないかもしれないし、プラスですらないかもしれない! もし必要な実質金利がマイナスなら、経済はインフレを「必要」とする。そして中央銀行が価格を安定させようとすると、名目金利はゼロになり、手持ちの現金が過剰になるだけだ。
必要な実質金利がマイナスになる条件は、この簡単なほどこし経済では単純明快だ。期間 2 の消費の限界効用が、期間 1 の消費の限界効用よりも大きい場合には、金利がマイナスでないと市場がはけない。経済の将来の産出が、いまよりかなり低いと期待されればこういう事態になるだろう。もっと細かくいえば、ここでの効用関数を考えた場合、以下の条件が満たされれば必要な実質金利はマイナスになる。
y/y* > 1/D
この条件はヘンテコに見えるかもしれない。だって、ぼくたちはふつう、経済は成長するもので縮小するものじゃないと思ってるからだ。でもあとで、このほどこしが減るという考えがそんなにおかしくない現実の状況があることを論じよう——そしてその条件が日本にあてはまってることも。
もちろん、価格がすぐに変わる経済では、マイナスの実質金利が必要になっても、失業はおきない。この結論で、流動性の罠についての過去の激論を覚えている数少ない読者のみなさんはびっくりするかもしれない。過去の議論はほとんどが、賃金と価格の変わりやすさ(非硬直性)が完全雇用を回復する手段として有効かどうかをめぐってのものだったから。このモデルでは、その問題は生じない——でも、理由がちょっと風変わりだ。何が起きるかというと、経済は後にインフレを作り出すためにいまデフレを起こすんだ。つまり、いまのマネーサプライが将来のよりあまりに巨大で名目金利がゼロになって、でも実質金利がマイナスにならなきゃいけなかったら、P は P* より下がる。そうなったら、世間は価格水準があがるものと期待して、これが必要となるマイナスの実質金利を提供する。そして繰り返すけれど、この価格低下はいまのマネーサプライと無関係に生じる。過剰のマネーは支出に貢献しないままため込まれるだけだから。
この時点で、なにやら流動性の罠らしきものが手に入ったわけだ。マネーは限界のところではどうでもよくなる。でも、中央銀行は頭にくるだろうけど——かれらは価格安定を狙ってるのに、何をしようとインフレになるわけだから——この罠は実体にはなんの害もおよぼさない。だからこの分析を本当の問題(理論的にも、現実的な意味でも)にするため、ある程度の硬直性を導入してみよう。
さて仮に、消費財は単にわいてくるんじゃなくて生産されることにしよう。そして期間 1 の最大生産能力を yf としよう。さらに、この生産容量は完全に使い切らなくてもいいとしよう。そして特に、期間 1 の価格水準があらかじめ決まっているとする——これでこの経済はケインジアン的になって、金融政策が産出を左右できる(期間 2 以降は、産出はまだ y* となるものと仮定する)。
こういう価格が変わりにくい(硬直的な)世界でも、期間 1 の消費量と産出量は同じでなきゃダメだけれど、いまでは産出のほうが消費にあわせてくれる。効用関数と、期間 2 の消費が y* になるという仮定から、すぐにいまの実質消費を示す式が書ける。これは実質産出を決定する「IS 曲線」になる。
c = y = D-1 y* (P*/P) (1+i)-1
図 2 は、この場合の金利と産出量の同時決定を示したものだ。IS 曲線は、いま示したとおり、産出が消費需要によってどう決まるか示す。これは金利があがると減少する。一方、名目金利がプラスなら、現金払いの制約がきいてくるから、MM 曲線が出てくる。
y = M/P
こうなると、マネーサプライをふやせば産出も増える。ただしこれにも限度はあって、増えても点 2 までしかいかない。でも、生産容量が点 3 みたいなところにあったら? すると前節と同じ議論がなりたつ。名目金利はマイナスにはなれないから、それ以上のマネー増加は単に債券になって、支出にはまったく影響しない。だから公開市場での売買は、どれだけ派手にやっても経済を完全雇用にはもっていけない。一言で、この経済は古典的な流動性の罠にはまったわけだ。
流動性の罠はどんな状況で起こるだろう。一つの可能性は、P が P* に比べて高い——つまり人々がデフレを期待するので、名目金利ゼロでも実質金利としては高すぎる場合だ。でももう一つの可能性として、価格が安定だと期待されていても、もし yf が将来にくらべて高かったら——あるいは別の言い方をすると、人々の期待将来実質収入が、強の容量を使い切るのに必要な収入量にくらべて低くても、トラップは起きる。この場合は、みんなにいま支出をうながすには、マイナスの実質金利が必要となる。そして価格は下がる方向には動きにくい(下方硬直的)なので、これは不可能かもしれない。
あるいはまた別の言い方をしよう。もっと応用マクロ経済学のことばに近い言い方をすれば、もし人々が将来収入についてあまり期待していなければ、金利がゼロでもみんな貯金したがって、それは経済が吸収できる以上になるかもしれない。(この場合にはもちろん、経済はまったく貯蓄を吸収できないわけだ——が、この点については後述)。そしてこの場合には、中央銀行がいまマネーサプライをどうしようとも、経済をふくらませなおして完全雇用を実現することはできない。
というわけで、マネーの役割や、期間にまたがる選択の必要性をごまかさないきちんとしたモデルにおいても、流動性の罠は生じ得ることがわかったわけだ。
流動性の罠は、非常に簡単な経済では起きうる——投資がないから、消費者が全体として現在と未来とのあいだでトレードオフを行う手段がないような経済でなら。でも、いまの生産を使って未来の消費を変えるようにしたら——地元で投資したり、外国の資産を買ったりして——それでも流動性の罠は生じるだろうか。
一見すると、投資や貿易をできるようにしたら、じゅうぶんな需要をつくるのにマイナスの実質金利がいるという考えはナンセンスに見えるかもしれない。収益が逓減する場合といえども、資本の限界産出はかならずプラスだ。そして貿易黒字にしてそのあがりを使い、プラスの実質リターンを持つ外国資産を買うことだってできる。これで流動性の罠は、ただのおもしろい可能性として排除されてしまうだろうか。
投資をふくんだ厳密なモデルをつくるには、もっと長くて入り組んだ論文が必要になる。でも、もし「トービンの q」式の投資を考えたとしたら、ここでは投資の多い時期は資産も高価格になるから、資本の限界産出がプラスだからといって個人の投資リターンがプラスになる保証はない。なぜかを理解するため、何らかの理由でいまの消費者たちが収入のかなりの部分を貯金したがってるとしよう。それに相当するだけの投資を企業にさせるには、 q は高い必要がある。さて、いま資本を買う投資家は、その資本に対する賃料(レント)を集めることができる——資本の限界生産がプラスなら、この賃料もプラスだ——一方で、 q がいまの高みからもっとふつうの水準にまで下がるときに、実質資本ロスが生じる可能性も考えなくてはならない。結果として、一時的な高貯蓄率を吸収するだけの投資を確保するには、投資家は実質リターンがマイナスになってもいいと思わなくてはならない。したがって実質金利もマイナスでなくてはならない。
貯蓄を輸出しようとする場合にも、基本的には同じ議論があてはまる。もし貿易されない財があったら、資本の輸出は通常は、実質為替レートの低下をもたらす。つまり、国内価格水準は外国にくらべて、同じ通貨ではかっても低下するということだ。だからもしある国がいまたくさんの資本を輸出して、あとで回収しようと思っているなら、かれらの観点から見れば外国資産を高値でかって安く売ろうとしていることになる。外国の財でみれば、実質リターンは確かにプラスだけれど、国内消費から見た実質リターンは、じゅうぶんマイナスになれるというわけ。
以上のどちらの点も、それがいまの日本の状況でどういう意味を持つかざっと考えてみれば、もっとはっきりするはずだ。仮に、実質金利がゼロでも、日本の消費者はいま大量の貯蓄を続けたがって、でもおそらく未来の時点では、貯蓄もずっと減ると考えてみよう。国内企業に貯蓄分を少しでも投資させるには、非常に高い資本コストが必要になる——たとえば日本株の P/E がすごく高いとか。でも、実質金利がゼロでも、そんな PER は得られないかも知れない。株価は、いずれ下がるだろうという期待で抑えられるからだ。同じく、貯蓄分を全部輸出してしまえるくらい巨額の貿易黒字をつくるには、円の実質レートがすごく低い必要がある。でも、実質金利がゼロでも(そして海外の金利がプラスでも)、通貨は十分に下落しないかもしれない。いずれ戻すだろうという見込みのせいで、いまのレートが上がってしまうから。
だから国内や外国での投資を認めると、流動性の罠は起こりにくくはなるけれど、不可能にはならない。
さてここまでぼくは、もともと準静的なモデルから生じた流動性の罠の考え方が、動的にもきちんと解釈できるということを示そうとしてきた。でも、なにかが可能だからといって、それが現実に関係あるわけじゃない。ぼくたちは本当に日本が流動性の罠にはまってると考えるべきなのか——そしてはまってるなら、どうしてはまったんだろう。
経済が流動性の罠にはまっているというのは、短期の名目金利がほぼゼロなのに、総需要が常に生産能力を下回っているということだ。日本はこの金利の基準は明らかに満たしている。執筆時点で、一日ものの資本市場金利は 0.37 %だった。そしてこの経済は確かにキャパシティよりかなり下で動いてるようだ。もちろん OECD と IMF の産出ギャップ推計は、この経済が 1991 年以降は実質成長してないことを思えば、おどろくほどつつましやかだ。でも、こういう数字は経済分析ではなく、平均化プロセスに基づいていて、不況が続けばそれを産出ポテンシャルの推計トレンドに折り込んでしまうんだ(同じ方法を 1930 年代のアメリカに適用すると、1935 年のアメリカはキャパいっぱいで動いていたことになる)。日本の潜在的な成長を低く——たとえば2%くらい——見積もったとしても、この経済は確かにドツボの不況にはまってる。
でも、なぜ日本は流動性の罠にはまってるんだろう。
この論文の第 1 部から 3 部までのモデルでは、未来の生産力がいまの生産力より低い場合にしか流動性の罠は生じない。この制約条件をゆるめる前に、まず考えてみよう。日本の未来の生産力がいまに比べて相対的に低くなると予想すべき根拠ってなんだろう。答はすぐにわかる。人口構成だね。日本の出生率は低下してるし移民はない。するとこの先数十年は、労働力は増えるどころか減っちゃう。生産性が向上しない限り、たとえばこの先 15 年とか 20 年とかの潜在的な産出——モデルでの y* ——はまさにいまのキャパシティより低くなる。さらに、人口が高齢化するので労働力は人口より落ち方がはやい。だから、将来的にいずれ、一人あたりの生産キャパシティが本当にいまより低くなると論じるのはすごく簡単だ。
実質金利をマイナスにしなきゃならないという議論は、個人間の差を考えて資本市場が不完全だってことを考慮すれば、もっと強化できる。どこかの時点で、一部の人は自分の未来の収入が今より高いと思い、一部の人は低いと考えるとする。完全な資本市場では、収入が上がると思う人は貯蓄をせずに金を借りる。でも、これがむずかしかったとしよう——消費ローンがあまりないとか。すると、収入があがると思っている人は、資金需要にあまり貢献できない。一方で、下がると思ってる人は資金供給には貢献できる。だから均衡実質金利は、もっと効率的な資本市場でのものより低くなる。ここで、日本の資本市場がことさら非効率だと論じる必要はないことに注意。これは単に、総キャパシティが実際に下がっていなくても、マイナスの実質金利が必要となる理由の一つとして見てもらえればいい。でも、日本の組織的な特徴の少なくとも一部——クレジットカードの利用が比較的少ないことや、高い家を買うのに必要な巨額の頭金(Ito 1992 参照)はこの問題に貢献しているかもしれない。
図式化されたモデルを離れてみると、流動性の罠の見込みは投資需要にも関係する。ここでもまた人口構成が関係してくる。労働力減少の見通しは、投資の期待利回りを下げる。そして銀行システムの問題など組織的な問題も、資金不足につながって投資がおさえられるかもしれない。それに企業が過去の負債のせいで財務的に制約されていて、投資したくてもできない状況にあるかもしれない。
全体として、日本がほんとに流動性の罠にはまってるんだと論じるのは非常にたやすい。でも、なぜはまってるのかをうまく説明のはずっとむずかしい。人口構成がいちばんの候補だ。ほかの「構造的」な理由もいろいろ挙がっていて、なかなか壮大な罪状一覧ができあがってはいる。でもそういうのは、ただの他愛のないミクロ経済的な非効率を引き起こすのはわかるけれど、需要が不足してることの説明にはならない。構造問題と目下の問題とのはっきりした結びつきがないというのは、政策面でだいじな意味を持ってるんだ。これは後で見てやろう。
日本はほぼまちがいなく、その生産キャパシティのかなり下で動いてる経済だ——つまり、日本が直面してる目下の問題は、需要の問題であって供給の問題じゃない。そしてあらゆる面からみて流動性の罠にはまってるらしい——つまり、従来型の金融政策をとことんまでやってみても、経済はまだ不景気のまま。なにができるだろう。答は大きく分けて3つあるようだ。構造改革、財政拡大、そして従来型でない金融政策。これを順番に見ていこう。
構造改革:みんな、日本は構造改革が必要だとってことには同意する。銀行をきれいにしなきゃだし、サービス部門を規制緩和しなきゃ、企業の会計方式を変えなきゃとか。でも、こういうのは経済のミクロ経済的な効率を上げはするけれど、経済回復には役にたつんだろうか。図2で示したトラップを思い出してほしい。yf を増やすような政策、つまり点3を右に動かすような政策は、経済がどのみち 2 で糞詰まってるんなら何の効果もないってことだ。日本の供給力だけ挙げて、需要はそのままにしておくような政策は、状況の役にはたたない。それどころか、効率があがって失業が増えたりすれば、国としてはかえってひどいことになるかもしれない。
いまの状況で役にたつためには、構造改革はなんとかしてみんなにもっとお金を使うよう仕向けなきゃならない。これが実現する可能性はいくつか考えられる。金融セクターが改革されれば、いまは資金制約で動けない人や企業にお金を貸せるようになるかもしれない。規制緩和は新しい投資機会をつくりだして、投資需要をあげるかもしれない。そして改革で将来の収入があがるという期待が生まれるかもしれないから、そうなればいまの支出も増えることになるだろう。
でも構造改革に関する議論でびっくりするのが、「これでどうやって需要(供給じゃなくて)が増えるんだろう」というのをよく考えてみると、その答は実はかなりあやふやだってこと。少なくともぼくは、日本で提案されてるいろんな構造改革なんかぜんぜん需要は増やさないと思うし、ものすごい大改革をしたところで、経済をいまのトラップから押し出すのに十分だと考えるべき理由はまるで思いつかない。
財政政策:流動性の罠に対する古典的なケインズ流の見方はもちろん、金融政策はある状況では無力だから、唯一の答は財政的にポンプをまわして公共事業することだ、というもの。この論文で検討したフレームワークは、金融政策的にはちょっとちがった示唆を示すものではあるけれど、一方で確かに、財政拡大でもうまくいくかもしれないことは示している。もちろんこのモデルはリカードの中立命題にしばられているので、減税はなんの効果もない。でも、期間 1 で政府が財やサービスを買ったら、それは部分的には民間消費支出が減って相殺されるけれど、でも確かに需要と産出を増やすかもしれない。
この政策はうまくいくかもしれないけれど、日本にとって正しいものだろうか? 日本はすでに、ものすごい公共事業支出で経済を刺激しようとしたけど、失敗してる。しかも事業のほとんどは、どうしようもなく無駄なものばかり。どうでもいいところにかかる橋や、だれも使わないような空港などなど。確かに、経済は供給に制約されてるんじゃなくて、需要に制約されてるんだから、無駄な支出でもないよりましではある。でも、政府にも予算の制約ってものがある。日本はたぶんこれを口実に使いすぎてるところはあるけど。だいたい、経済の資源を使って、人々が本当に求めているものをつくれないなんて、ホントにほんとなわけ?
金融政策:選択肢として金融政策に戻ってくるのは変に思えるかも知れない。だって、いまさっき、それが効果がないことを見てきたばかりじゃない? でも、ぼくたちがやってきた金融上の思考実験には、特別な性質があることを認識しなきゃならない。どれもすべて、マネーサプライを一時的に変える話しかしてない、ということだ。
この点はもっと詳しく述べておこう。従来のIS-LMの枠組みは静的で、一時的な政策変化と恒久的な政策変化をまったく区別できない。そして一部はその結果として、このモデルからだと流動性の罠は永久に続くものだと示しているように見える。でもここでの枠組みは、えらく基礎的だけれど、かなりちがった見方を示してる。このモデルで価格がすぐに変わる(硬直的でない)ときには、期間1でお金と債券が完全に代替可能なときでさえ、マネーは中立的だ——つまり、すべての期間でマネーサプライを同じ割合で増やしていっても、価格はやはり同じ割合であがる。
では、価格が期間1で決まっちゃってるときに、マネーサプライを恒久的に増やしたらどうなる? 名目金利がゼロにはりついて流動性の罠にはまってるとしても、金融拡大は未来の期待価格水準P*をあげて、結果として実質金利を下げる。言い換えると、一時的なのはダメでも恒久的な金融拡大は有効なんだ——なぜならそれは、インフレ期待を引き起こすから。
じゃあ、いまの話を現実に落としてみよう。特に日本に。もちろん、日銀はベースマネーの変化が一時的かこの先も続くのかなんて発表しない。でも、民間のプレーヤーはその行動が一時的なものだと見ている、と考えていいかもしれない。みんな、中央銀行は長期的には価格の安定を目指すだろうと思ってるから。そして金融政策に効果がないのは、このせいなんだ! 日本が経済を動かせないのはまさに、中央銀行が責任ある行動をとると市場が見ていて、価格が上昇しだしたらマネーサプライを引き締めるだろうと思ってるからだ。
だったら金融政策を有効にするには、中央銀行が信用できるかたちで無責任になることを約束することだ——説得力あるかたちで、インフレを起こさせちゃうと宣言して、経済が必要としてるマイナスの実質金利を実現することだ。
これは、おかしな議論どころか、倒錯した話にきこえる。でも忘れないでほしいんだけれど、基本となる前提——名目金利がゼロでも、十分な総需要を作り出すには不足だという事態——は仮定なんかじゃないってこと。これはまさにいまの日本の実状そのもの。だから、構造改革や金融拡大が必要なだけの需要をもたらすという説得力ある議論が展開できないかぎり、経済を拡大するための唯一の方法は実質金利を下げることだ。そしてそれをやる唯一の方法は、インフレ期待をつくりだすことだ。
もちろん、日本は何もしなくたってかまわない。流動性の罠の準静的なIS-LM
版では、不況は永久に続くように見える。でも動的分析をすれば、これが一時的な現象でしかないのがわかる——モデルでは、一時期しか続かない。ただし、その「一時期」がどのくらいなのかははっきりしないけれど(3年かも知れないし、20 年かもしれない)。政策的な動きがなにもなくても、価格調整やいいかげんな構造変化がやがて問題を解決してくれるだろう。長期的には、日本はなんとかこのトラップを脱することになる。でも一方で、長期的には、われわれみんななんとやら……