ベルリンの壁崩壊20年

残る格差、強まる東独懐古

 東西冷戦の象徴だったドイツの「ベルリンの壁」が崩壊してから9日で20年を迎える。国内の東西経済格差は残ったままで、分断時代を懐かしむ旧東独出身者も少なくない。「心の壁」の解消にはなお時間がかかりそうだ。

 ◇西への人口流出止まらず
 ドイツ統一後に旧東独地域の経済状況が改善しているのは間違いない。IFO経済研究所によると、旧東独の可処分所得は統一翌年の1991年は旧西独の60%にすぎなかったのに対し、2007年は78.6%。耐久消費財は普及し、インフラ整備も進んだ。
 しかし、1人当たり国内総生産(GDP)は旧西独の71%で、この10年間、ほとんど変わっていない。今年10月の失業率は旧西独が6.6%、旧東独が11.8%で、依然として大きな開きがある。有力企業の本社は西に集中し、東は小規模事業所ばかりが目立つ。このため、東から西への人口流出に歯止めが掛からない。
 ベルリンの壁に関する文書や映像を収集、分析している「ベルリンの壁資料センター」のクラウスマイヤー館長は「東の人口流出を防ぐには、経済面で魅力を高めなければならない」と述べ、旧東独地域に対する政府の一層の支援を促した。(ベルリン時事)

ニュースワード「ベルリンの壁」
 1961年、当時の東独社会主義政権が西ベルリンへの国民の逃亡を防ぐために建設した。全長155キロ。8月13日未明に有刺鉄線による建設を始め、昼までに西ベルリンを包囲。15日に石壁の建設に着手した。逃亡者を摘発しやすくするため、壁を二重にめぐらせ、間に無人地帯を設けた。民主化のうねりが高まった89年11月9日、東独政府スポークスマンが海外渡航制限の即時緩和を発表したのを受け、市民が検問所に殺到。警備兵が門を開き、壁は事実上、崩壊した。最近の調査によると、壁崩壊までの28年間で、逃亡しようとした市民ら136人が射殺されるなどして死亡した。(2009/11/01)

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