今回、二期目出馬(まぁ、出馬しても当選するかどうかは分からないことだが・・・)にご期待頂いた方々には本当に申し訳ありませんでした。県議会・県民・県職員の皆様には、今後何かとご迷惑・ご心配をお掛けするかと思いますが、何卒ご理解を頂ければと思っております。

 

今回の苦渋の選択は、記者会見等でも申し上げましたが、多くの行政課題を抱える本県の課題を解決し、その浮揚を図り、疲弊する地方の衰退に歯止めを掛けるためには、この国の仕組み・形・統治システムを変え、それによって国民意識を変える必要があると考えたからです。どうかご理解を頂ければと思います。

 口蹄疫復興は最重要課題でありますが、他にも深刻な行政課題は山積しております。それらの行政課題に対して抜本的な解決策は、やはり国家構造・国の統治システム・中央集権を変えることだという結論に達しました。

 地方には、地方政府としての確固たる財源や権限を付与すべきであり、自主自立・創意工夫・責任が付帯されるべきであります。


 昨年6月~7月、国政転身騒動(騒動って?)があったとき、県民の8割の方が僕の国政転身について反対という報道があった。全国紙も国民の8割が反対であると報じた。

 その時、その8割の中の大部分の方の反対理由が「せめて一期務めてから国政に行くべきだ」だった。僕はその意見を今まで重く受け止めて来た。


 兼ねてからの指摘にある口蹄疫の責任の取り方・果たし方の問題であるが、政治行政の責任の取り方・果たし方は、その政治家によって様々であろう。今回の口蹄疫でウィルスは県外に出ることはなかったが、結果的に約29万頭にも及ぶ牛や豚を殺処分するに至った。また、非常事態宣言により県内経済に大きな影響を及ぼした。政治は常に結果責任を伴う。

 僕の責任の取り方は、残り任期の中でキチンと検証し、被災畜産農家に十分な補償をし、再生・再建計画を立て、それに基金等を創設し予算付けをする。退任までに県としての指針や方針を決定し、その道筋を明らかにしなければならない。それが僕の責任の取り方である。

 いずれにしろ、「責任を取って辞めろ」という人がいるかと思えば、実際辞めると「逃げるのか」と批判される。「復旧復興に付き合う」と言うと「居座るつもりか」と批判される。何をやっても批判される立場である。

 

 もし仮に僕が二期目をやり(やれるかどうか?選挙で決まるのだが・・・)、三期目直前に、仮に今回の口蹄疫のような不測の事態・未曾有の緊急的劇的行政課題等が発生し、それでも三期目不出馬だったらまた「放り出した」「逃げ出した」と言われるのだろうか? それとも、「二期務めたのだからもういいよ」と言われるのだろうか?

 同じケースで、4期とか5期とやらざるを得なくなった場合、それは多選と言われないのだろうか?


 今回の決断をする際、「二期目に取り敢えず出て、二期目の途中で国政なり何なり転身すればいいのでは?」という意見が相当数あった。

 これに対しては違和感を覚えた。「二期目途中で辞めるかも知れない」というマニフェストは僕には書けない。それは県民の皆様に対する冒涜であり、それこそ裏切りであり、民主主義の否定である。二期目をやるなら、4年間キッチリ務めあげなければならないと考える。


 今回、僕の出処進退に係る決断に対して、各報道等によると、当然だが賛否両論がある。4年前、県知事選に出馬したときは「否」しかなかったので、今回、賛否の「賛」があるだけでも大きな前進かも知れない。

「もっと大きなステージで宮崎代表として頑張って欲しい」「宮崎からいなくなるのは残念だがどこに行っても宮崎に貢献して欲しい」・「裏切られた思いだ」「宮崎を踏み台にした」・・・・・・様々な意見がある。

 

 「裏切られた」とか「宮崎を踏み台にした」とかいう意見を聞くと、本当にがっかりする。家族のいない僕にとって宮崎は故郷であり家族であると思っていた。

 家族の一員が夢と希望と理念と情熱を持って、その家族のために、家族から巣立ち、家族を離れて働く(行動する)ことに対して、「裏切られた」「家族を踏み台にした」と言われているのと同じ気がする。

 ショックだったのは、いつも朝会う度に挨拶を交わす中年女性に、今日、明らかに無視された。恐ろしい民意である。


 僕の携帯や後援会に来るメッセージは殆ど「これからも頑張って欲しい」という温かい激励・応援のメッセージである。まぁ、当然と言えば当然だろうが、後援会の方々や友人知人からは力強い応援を頂いている。有難い。家族のいない僕にとっては彼等が家族であり、故郷である。