次はちょっと珍しい版相を持った近世活字版をご紹介しましょう。『落くぼ物語』[★図20]という大本です。通常の匡廓ではなく飾り罫が用いられています。行草と仮名だからといって,これも庶民の手にする本ではありません。大本という判型自体からして,豪華で贅沢な特別な存在であって,庶民の日常とは無縁の存在だったのです。
 近世木活〈もっかつ〉には古活字版のような美本はあまりありません。ここでお見せするのは幕末の『欧西紀行』[★図21]という,ヨーロッパ紀行を記録した書物です。近世活字版としては出色の凝った版相です。お見せしている丁は草体を使っていますけれども,別の部分は明朝体の漢字だけだったりします。それから,一部の仮名は連続活字,文字いくつかで一本の活字となっています。匡廓に切れ目がないじゃないか,と思われるかも知れないですけど,こういう書物の場合でも何十丁も匡廓の隅を見ていきますと大抵どこかに切れ目が見あたります。先ずそもそもが匡廓の切れ目がほとんど見えない活字版自体,非常に珍しいものです。『近世活字版図録』とか『近世活字版目録』,これは活字版を研究するための基本文献中の基本文献でして,これらにまるで眼を通すこともなしに木活について云々するという人がいたら,そもそも論外なのですが,だいぶ昔にその版元である青裳堂書店の御主人後藤憲二さんと話をしていて,私がときどき匡廓の切れ目が見えない木活字版があると申しましたら,イヤそんなことはないよとおっしゃる。じーっと何丁も何丁も見ていくと必ずどこか見つかるものだと言われて,確かにやっていくと,大抵の場合,見えてくるんです。
     
★図20(左)
『落くぼ物語』……最終丁末尾に「くはん政六つのとし神無月初三日」という刊記がある。『近世木活―青裳堂書店古書目録』(青裳堂書店,平成2〔1990〕年初夏)より。
★図21(右)
『欧西紀行』……見返「慶応三丁卯新刊/欧西紀行/誠求堂蔵梓」,版心下部「高島家蔵」。半紙本。
 
     
     木活字版は明治になっても作られ続けました。相撲の勝負附は大正のものが残っています。実は昭和の10年代にも木活字版はありますし,昭和20年代にも出されています。ただ,それはもう完全に趣味の世界で,実用のものではありません。実用のものとしては,普通の鋳造活字による組版の中に不足字,つまり外字のみ木活字が使われるということが近年までありまして,精興社タイプを手掛けた君塚樹石の甥の君塚孝雄さんなどはその彫刻師でした。
 明治初年の官員録や職員録の木活字版,これをいくつかお見せしたいと思います。これらは整版と木活とを見分ける訓練には実に好適なものです。
 まずは明治八(一八七五)年の『滋賀県官員録』[★図22]。中本を横倒しにした横本です。木活というのは一筋縄でいかないもので,いろんなものがあります。この資料はどういうふうになっているかと言いますと,おそらく「庶務課」とか「租税課」「出納課」の3字1組で1本の活字です。それから「戸籍専務長心得」「土木専務長心得」,これもおのおの1組です。それからどうも住所身分と個人名を含めて1本になっているように思われます。明治初年の官員録や職員録には,こういう連続活字,ブロック活字を使っているケースが多い。なぜかといいますと,個人名と住所身分というのは一体で,それと職務との組み合わせがあるだけですから,一体に作っておけば来年も再来年もずっと使い廻しがきくと考えているわけです。匡廓の切れ目もはっきりと水平もしくは垂直に抜けています。
     
★図22
『滋賀県官員録』……琵琶湖新聞附録。明治8(1875)年5月改正。
 
     
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