Wikipedia:コメント依頼/Tomos 20100120

来月から、就任(解任投票の結果留任となった方、ビューロクラット・チェックユーザ係として信任された方はその時点)から4年以上が経過した管理者に対し、1週間に1人のペースで順次解任動議を提出いたします。各管理者の解任動議提出の4週間前には、このように、告知を兼ねたコメント依頼を提出する予定です。この計画についてはWikipedia‐ノート:管理者/任期制導入の提案をご覧ください。今日から4週間後の 2010年2月17日(水) に出すのは、Tomosさん 会話 | 投稿 | ブロック | 保護 | 削除 | 移動 | 権限変更 に対する解任動議です。ここでは、管理者としてのTomosさんの活動について、コメントをお願いいたします。

経緯[編集]

Tomosさんは、2003年3月17日に日本語版最初の管理者の一人として就任され[1][2]、翌2004年3月6日にはビューロクラットに就任されました。管理者・ビューロクラットとしての活動は2007年までで、記録に残るような業務はこの2年間一度も処理されていません。投稿ブロックやコメント依頼の対象となるようなことは、簡単に探したところではコメント依頼が1件あっただけです。--氷鷺 2010年1月20日 (水) 14:20 (UTC)[返信]

コメント[編集]

コメントTomosさんに特に問題のある権限行使があった記憶はありませんが、再信任の意思表示の場としての解任投票の実施には賛成します。--Himetv 2010年1月20日 (水) 16:21 (UTC)[返信]

コメント 解任投票が目的なんですか? じゃあやればいいんじゃないかな --- Tomosさんは管理者の権限を行使するひととしてより、ファシリテート (議論の随所でまとめ役を演じる) の面で成果を挙げてこられたとおもうので、システム上の権限がどう変化しようとかまいません。 --Hatukanezumi 2010年1月20日 (水) 16:31 (UTC)[返信]

コメントTomosさんは見知っている方ではありませんが日本語版草創期よりご活躍されてきた管理者のおひとりで感謝しております。当該ノートページの議論を見ましたが再信任のためにはコメント依頼におき十分だと考えており、私は動議発動には反対です。--市場破壊戦略 2010年1月22日 (金) 00:54 (UTC)[返信]

コメントTomosさんにおかれては、解任投票が目的なのであれば当コメント依頼を提議することで充分と感じております(私は解任動議発動の暁には反対票を投じます)。なお冒頭で『ここでは、管理者としてのTomosさんの活動について、コメントをお願いいたします。』と仰っている方(つまりコメントを依頼をされた主(ぬし)の方)の、文書直後に署名が無い事に違和感を強く感じました。--やすとし 2010年1月23日 (土) 01:39 (UTC)[返信]

動議への反対票というのは、現在の制度の上では、存在しません。動議には賛成票を投じることのみが可能なのであり、動議への賛成票の絶対数で投票に移行するかどうかが決まることになっています。--Nekosuki600 2010年1月23日 (土) 17:00 (UTC)[返信]

コメント 解任動議を出すことを前提としてのコメントを述べて欲しいということなのでしょうか?管理者、ビューロクラットとしては信任するに十分な活動をなさっており、ことさら信任/解任の是非を問うようなことはされていないかと思います。--アルトクール 2010年1月23日 (土) 03:46 (UTC)[返信]

コメント Tomosさんが管理者権限を持っていることについて特段の否定的評価は持っていませんが、動議には賛成するつもりです。なお、管理権限がなければやれないことをどの程度やっておられるかという観点からは、率直なところ「管理権限はいらないんじゃないか」という印象を抱いています。管理権限を持っていることが「上位の証拠」だと思う方には意外な見解かもしれませんが、おれ的には「議論のまとめ」などは管理権限などの背景権力を持たない方がやりやすいのではないかという思いがあり、そういう観点からはいまひとつ「Tomosさんが管理権限を持っていることの意味」が見えにくいと感じている部分があります。だからって、これは「解任票を投じる予定である」ということを意味しませんが。--Nekosuki600 2010年1月23日 (土) 17:00 (UTC)[返信]

コメントTomosさんの投稿などについては、特に何も言うことはないです。管理者権限は依頼に応じるためだけにあるわけではなく、管理者権限は、それを濫用せず、ブランクの後に行使する際には慎重な判断をしてくれる人であれば、誰もが持っていてよいものだと考えます。議論の状況を把握したり、ライセンス変更などに対応させるための方針改訂などでは、削除版を含めて閲覧できることは有用なことがままあります。動議提出に反対はしませんが、不要だと考えます。--Ks aka 98 2010年1月23日 (土) 18:05 (UTC)[返信]

コメントこうしたコメント依頼を出すこと自体は、関心のある人しか巻き込まないし、一人では集められない意見を集めるという意味でも悪くはないと思います。が、Nekosuki600さんが言う程度の「不満」しか聞かれないのであれば、投票にもちこむことには反対です。コメント依頼は関心がある人限定の呼びかけだけれど、解任投票は広く一般の(理想的には大部分の)ウィキペディアンに対する招集でしょう。単なる儀式のためにそういうことをして欲しくはないです。もし儀式ではなく実質的な意味がある投票をするつもりなら、不信任を求める人がまじめに理由を示していただきたいです。事前の討議で不信任理由が出されない状態で投票に入り、投票中に不信任の票と意見が集まるのであれば、それはコンセンサス方式に反するもので、ウィキペ的には悪い投票です。絶対にそうならない、と私は信じることができないし、本当に絶対そうならないのだとしたらやはり無意味な儀式でしかありません。そして、気軽に配置転換を指示できると思っている人がいるなら、ウィキペディアは特定個人に向かっておまえはああしろこうしろと指示を出せるような組織ではないことを、忘れないでほしいと思います。管理者とても、やりたいことをして、やりたくないことはしないのであり、この仕事をやれ、と強制されることはありません。そうした自発性がウィキペディアの力なのです。解任という方法を通じて他人を思い通りに働かせることができると考えるなら、間違っています。--Kinori 2010年2月5日 (金) 14:36 (UTC)[返信]

個人的には、あまり管理権限を行使しないでいる方々には、一般利用者に戻ることをご検討いただきたいと思っていることを否定しません。それは、「一般利用者でもやれることはある」ということをうまく見せてくださる方が増えてそれがお手本になれば、一般利用者の中から管理的機能の一部を上手にこなしてくれる方が出てきてくれるのではないかという期待があったりするからです。
おれは、さまざまな仲裁や(これはまあ反感を抱く方もおいでになりますのでうまくいっていると胸を張って言えるようなものではありませんが)ガイダンス文書の整備(これは、そんじょそこらの管理者以上にWikipediaにとって有益な結果をもたらしていると思います)など、いろいろやっています。しかしそういうことをやっても、一部管理者あたりからは「一般利用者のクセに」と見下され、「悔しかったら管理者に立候補しろよ」などと挑発されたりしてて、いいかげんそういう感覚にはうんざりしているんですよ。
Tomosさんに関しては、おれはほとんど批判を耳にしていません。しかし管理権限の行使が極端に少ないということを考えると、「管理者を降りた上で、その高いユーザとしての評価を、仲裁や方針策定の合議などに使ってもらえないものだろうか」と思っている部分があります。Tomosさんに対してなら、なんぼなんでも「一般利用者のクセに」と見下すやつはいないだろうし、「悔しかったら管理者に立候補しろよ」などという挑発がなされることもないでしょうから。
別段、あえて「管理者を降りて欲しい」と思ってはいません。しかし「管理者から一般利用者になって、ひさしぶりにしばらく一般利用者というステイタスを感じてみてもいいのではないか」みたいな感覚はあるわけです。信任投票に至ったときおれが不信任票を投じることはたぶんないだろうと思うのですが、このあたりの擬似的任期制を通じて、そういうことをひとりひとりの管理者に考えてもらえるとうれしいなあ、なんてことは思っています。--Nekosuki600 2010年2月5日 (金) 15:05 (UTC)[返信]
コメント 個人的には、あまり管理権限を行使しないでいる方々には、一般利用者に戻ることをご検討いただきたいと思っていることを否定しません。
なんかなあ、……。
管理者権限ってそんなにすごいもんか? わたしゃ仕事 (お金をもらえるほうの) でいろんなサーバの管理者やらされてるが、管理そのものについて実質的に発言権ないぞ。ウィキペディアだってそうで、本来の目的である「記事の作成」について、管理者は特別に発言権を与えられていたりしないよ。
いっぽう、ウィキペディアの管理者って、そんなに利用者にとってすごい権限もってるのか? わたしなんか、サーバの電源スイッチを押す権限まで持ってるときも、たまにはあるぞ --- 「たまには」というのは、もっと偉いひとにお伺いを立てて、機会限定で与えられる権限だからだが。普段はむしろ、電源が切れたりしたら懲戒解雇ものだったりもする。それにくらべたら、MediaWiki上での利用者ごとの権限の差異なんて問題にもならない。どんなにがんばってもシステムそのものを変えることはできないんだから (できたらそれはMediaWikiに重大なセキュリティホールがあるということですよね)。
Nekosuki600さんにこういうことを言うのはまことに不本意なんだけど、--- 政治ごっこに耽溺してないで、自分が管理者に立候補して信任されなさい (わたしは支持するよ)。そして、コミュニティでの声望を獲得なさい (あなたなら、確実にそれを得られるだけの働きをできるはずだよ)。
ウィキペディアは民主制ごときではないんだ。たかが民主主義イデオロギーに洗脳されたひとの演説は、お呼びでない。 --Hatukanezumi 2010年2月5日 (金) 15:54 (UTC)[返信]
酔ってるときには書かない方がいいんじゃないだろうか(なぜだろう、胸が痛い)。--Nekosuki600 2010年2月5日 (金) 16:53 (UTC)[返信]
コメント「一般利用者でもやれることはある」ということを見せる必要はないと思いますよ。執筆を専門としたり、権限行使を伴わない運営関係の作業を担ってくれるような利用者を含め、一定期間の活動で方針文書などに慣れ親しんだところで多くの利用者が管理者となり、権限はめったに行使しないけれども、必要に応じて権限を行使することができる利用者という存在が一般化すればよいのですから。よほど執筆に専念したいという強い意志を持つか、自説を曲げないなど権限行使に不安があるならば別ですけれど。--Ks aka 98 2010年2月6日 (土) 07:58 (UTC)[返信]

コメント いまさらですし、Kinoriさんのコメントに対するものでもあるので、ここに書きます。Kinoriさんの仰る意見には賛同できませんが、Tomosさんに対しては、個人的には「不信任を求める」理由を持っているので、一応書いておきます。
ごく個人的な意見として、私は、誰であれ、それが日本語版の創始期から多方面で貢献されていた方であれ、2年もの間、削除依頼における削除・特定版削除・その確認・存続終了、即時削除、復帰依頼、ページの保護とその解除、投稿ブロックとその解除、移動依頼、保護ページの編集依頼、MediaWiki名前空間の編集、といった一切の管理者業務から離れている方には、管理者権限を持ち続けて欲しくありません。自動退任とならなかった(2年間、投稿間隔が3ヶ月以上空くことがなかった)こと、即時削除のうち特に判断や対処に問題のないものは、対処するのに1分もかからないこと……この2点を考えると、一度の権限行使さえする余裕がなかったとは到底考えられず、意図的に管理者業務から距離を置いていたと理解するほうが自然でしょう。
もし月に一度とか、年に数回だけでも、それが即時削除でしかも判断も対処もごく簡単な案件ばかりであっても……それは管理者としてなんら問題のない活動・貢献のひとつの形だと考えますし、そういう方がいること、そういう管理者が増えることを望んでさえいます。「管理者権限を行使できる管理者」の「人数」の増加はそれ自体に価値があると考えます。しかし、管理者業務から離れた管理者は、百人いようと、管理者としての意味がありません。ゼロは、何を掛けてもゼロなのです。したがって、私は、Tomosさんには解任賛成票を投じる予定です。
おそらくこういう意見は少数派でしょうし、逆の意見、たとえば「問題を起こしていないのなら解任する必要はない」という考え方も、そういう人がいることは納得できますし、それはそれで「正しい」「間違っていない」と思います。ただ私はそういう考え方をしない、というだけです。--氷鷺 2010年2月5日 (金) 22:26 (UTC)[返信]

コメント 信任プロセスとしての動議提出に反対するものではありませんが、Tomosさんを「管理者業務から離れた管理者」と形容するのは正鵠を得ていないと感じます。Tomosさんにはいつも、管理者でなければ対処できない(あるいはしにくい)情報提供やメディア対応をしていただき深く感謝しています。また「方針策定の合議」にしても管理者でないと確認できない情報を把握できないと片手落ちになるケースも多々あるでしょう(その意味では方針策定に主体的にかかわる方には管理者権限の取得をお勧めしたいところです)。--miya 2010年2月6日 (土) 04:43 (UTC)[返信]

コメント 管理者として不適切な行動は見当たらないので、解任動議の提出は不要だと思います。条件を満たした管理者全員にこのようなコメント依頼を出すの自体は問題ないですが、集まったコメントの内容によって解任動議を出すかどうかは変更すべきです。Tomosさんの最近の管理行為は僅少ですが、問題を起こさず自動解任されないのなら、「ゼロではない」と考えます。ただし、過去はとにかく現在のTomosさんは、議論に参加する等ウィキペディアに参加する時間がそれなりに取れるようですので、その時間のいくらかを管理行為に割り振っていただけるよう、どうかお願いいたします。--119.245.127.118 2010年2月6日 (土) 07:34 (UTC)[返信]
コメント管理者は一部の操作を物理的に行える利用者であって、執筆者、編集者としては管理者は特別な存在ではなく、一般の利用者の意見よりも管理者の意見の方が重要だということもなく、それでも法的問題が起こったときに責任を負わされるリスクは管理者の方が多少高い。管理者は、管理者にしかできない操作を行なうことができる利用者であって、依頼を対処することが義務付けられているわけではありません。雑用係やボタン押しという表現はしばしばありますが、これは「その操作を行うかどうか決定する利用者ではない」ということを強調するためのものだと理解しています。ウィキペディアの管理者は、そのようなものであって、作業をしなければならないという義務を負うわけではなく、現在および将来において、あたかも特別の権利を持っている者であるように振舞ったり、権限の濫用をしたりはしないという点について信頼できるなら、権限を持ち続ければよいと思います。
管理業務を目に見える範囲では行っていないとしても、管理者権限を要するかたちでの貢献はあります。また、権限行使をしない管理者が100人いるとしても、権限行使をする管理者がそれとは別に100人いればいい。手が足りない時や、それぞれの人の知識や判断力が必要となった場合には、その100人はゼロではなく、「意味」とやらを持っています。
なお、即時削除のうち特に判断や対処に問題のないものでも、対処するのに1分もかからないってことはないと思いますし、即時削除は比較的対処が進みますから、見る機会が少なければそういう案件に出会わないでしょう。そもそも、即時削除を見ようと考えないこともあります。
管理者に対して、目に見える形での一定の作業量を義務的に求めるのであれば、「Wikipedia:管理者」のノートで提案されるべきです。少数派を自覚し、ウィキペディアの方針を変えることができないと考えるのであれば、方針やガイドラインが求めていないことを承知の上でそれを根拠にして、個々の解任投票の場で実力行使として票を投じることは避けていただければと思います。--Ks aka 98 2010年2月6日 (土) 07:58 (UTC)[返信]

解任動議提出の報告[編集]

予告しました通り、2月17日 (水) に Tomosさんの解任動議を提出、昨日投票フェイズへ移行しましたので、ご報告いたします。--氷鷺 2010年2月19日 (金) 13:10 (UTC)[返信]

依頼に対するコメント[編集]

コメント 依頼者へ、ひとつめの質問。このコメント依頼は、なんのためにやったのでしょうか。
Wikipedia:管理者の解任には、「他の利用者の理解を得るためにも先にコメント依頼を出すなどの努力」(強調引用者) として、事前のコメント依頼をすることが例示されています。しかし、依頼趣旨もろくになく、常にほとんど同文で自動的に提出されるコメント依頼などというものは「努力」とは言えません。
逆に、「例えば『管理者に就任してから一定期間が経ったから』といった理由で解任規定を利用することも可能です」との一文もあり、氷鷺さんもこれを自分の計画の正当性を主張するのに用いられました。しかし理由がそれなら、コメント依頼は特に必要ありません。「一定期間が経った」ことに対してコメントを依頼するというのは無意味です。 --Hatukanezumi 2010年2月19日 (金) 16:13 (UTC)[返信]
ふたつめの質問。このコメント依頼は今回の解任動議提出に関連しているのでしょうか。つまり、コメントの内容次第では氷鷺さんは動議提出をみおくったかもしれない、ということでしょうか。
そうだとしたらおかしなことです。「任期制」を提案しているにもかかわらず、任期を区切る手続きを、ときによってしたりしなかったりすることになるし、しかもその判断にコメントを依頼した当の氷鷺さんの意志が大きく反映することになるからです --- 逆に今回の場合は動議提出がなされたわけですが、やっぱりおかしい。なぜなら、コメント依頼に対して「任期制」そのものへの疑義もだされており、解任投票実施に対しても反対のコメントがあるにもかかわらず、氷鷺さんはそれを考慮しなかったことになるからです。 --Hatukanezumi 2010年2月19日 (金) 16:13 (UTC)[返信]
みっつめの質問。氷鷺さんは「任期制」の提案理由のひとつとして、「定期的に(少なくとも、5年や10年に一度くらいは…)コミュニティの意見を再度問う必要がある」と述べていますが、その方法として解任投票が適切だとおもっているのでしょうか。
議論の流れを見る限り、とにかく「任期制」が形式的に成り立つことを目的に、既存の制度を用いているだけに見えます (関連する議論では「擬似(的)任期制(度)」という表現も見られますね)。
わたしは、「意見を問う」には、コメントの形式が制限される解任投票は不向きだと考えます。だいたい、対象者に「辞めてもらうかもしれない」と脅しをかけながらやるって、どんな意見聴取ですか。
意見聴取の過程で投票を導入するにしても、管理者信任投票の「推薦」規程を準用するといった方法もありうるでしょう。この場合は当事者の同意を得て行うことになり、「脅し」のニュアンスは薄まってより有意義な意見聴取ができるかもしれません。--- これは一例です。とにかく、「任期制」なるものを実体化したいがゆえのなりふりかまわぬ判断だったのではないか、ということを問うています。 --Hatukanezumi 2010年2月19日 (金) 16:13 (UTC)[返信]
よっつめの質問。管理者の「任期」を切るということは、同時に管理者が任期いっぱい勤めることを要求することにつながるということに、お気づきですか。
現在、管理者はいつでも --- 解任投票の最中でさえ --- 自ら辞任することができます。ボランティアである以上、歳費を受ける国会議員のような義務を課されないのは当然だと、わたしはかんがえます。いたずらに制度を厳格化してコミュニティの一部の人間により重い責任を負わせることは、適切なことなのでしょうか。 --Hatukanezumi 2010年2月19日 (金) 16:13 (UTC)[返信]
いつつめの質問。今回実施されつつある「任期制」について、定期的あるいは明示の条件に合致した場合の見直しの計画が提示されていないのは、どういうわけでしょうか。
この「任期制」なるものは、「制度」によって選ばれたことを見直そうという「制度」なのですよね。だったら、その制度自体も見直しの対象にならなければおかしいじゃないですか。氷鷺さんは事前の議論の場で「根拠のない想像を主張したり発言するのは控えてください」とおっしゃいましたが、制度自体が見直しの機会を得ないものであれば、制度に反対したり有益性に疑問を投げかけたりするような主張を「根拠のない」と決めつけることは独善でしかないと考えます。 --Hatukanezumi 2010年2月19日 (金) 16:13 (UTC)[返信]
わたしはWikipedia‐ノート:管理者/任期制導入の提案の議論に参加してきませんでした。繰り返しコメントしてきたように、「どうでもいい」とおもっているからです。しかし、これは「どんなことをしても黙っている」という意味ではありません。ともあれ、質問は以上です。依頼者はお答えください。 --Hatukanezumi 2010年2月19日 (金) 16:13 (UTC)[返信]
このコメント依頼の依頼者ではありませんが、「擬似任期制」に賛同している者として、Hatukanezumiさんの質問に対する感想として回答させていただきます。私は、Wikipedia‐ノート:管理者/任期制導入の提案においては、任期制導入案の一本化に向けて尽力してきたと自任しています。管理者の任期制に関しては今までも何度かアイデアが出されてきましたが、そのたびごとにうやむやになってきたと、私は考えています。これに関しては導入するならする、しないならしないで、一旦投票の形をとってコミュニティの総意をあらわすべきものだったとも考えています。しかしながら、直近の論議でもそういった形はとられることなく、結局は提案にすら至りませんでした。Hatukanezumiさんをはじめ多くの方が「どうでもいい」と考えた結果でもありましょうし、内心導入に反対されている方が「守旧派」と呼ばれたくないために積極的に論議に加われなかった結果でもあろうかと思います。コミュニティの総意が「任期制を導入すべきでない」と考えるのであれば、導入すべきでないと、私自身は考えています。現在の解任制度を含む諸制度の整備を理由として、任期制を導入しなくても管理者制度にまつわる諸問題は解決できるとの立場から任期制の導入に反対する論理は十分に納得いくものであり、そうした案が十分な数の利用者による賛同を集めたならそれは支持するに足るものだと私は考えます。しかしながら、そうした提案によって任期制導入の提案が正式に否定されることもなく、今回の任期制提案当初、述べられていた「管理者制度の信頼性の向上と、根拠のない管理者(制度)批判の抑止、過去に何度も出ている(そして有耶無耶になっている)任期制の議論に終止符を打つこと、など」については有効な対策のないまま現在に至っています。擬似任期制は制度として採用された制度ではないものの、これらの懸念を一時的に解決するには適切なものとして、私は支持しています。Hatusukanezumiさんの質問「依頼者へ、ひとつめの質問。このコメント依頼は、なんのためにやったのでしょうか。」に関しては「管理者制度の信頼性の向上と、根拠のない管理者(制度)批判の抑止、過去に何度も出ている(そして有耶無耶になっている)任期制の議論に終止符を打つこと、など」の為に行った、ということができるでしょう。勿論現在の解任制度のもとでは「特に問題がある管理者に依頼の対象者は限定すべき」という指摘も成り立つと考えますが、こうした場合依頼の対象者を個人の価値観によって選別する必要があり、これが先に挙げた論点(管理者制度の信頼性の向上と、根拠のない管理者(制度)批判の抑止、過去に何度も出ている(そして有耶無耶になっている)任期制の議論に終止符を打つこと、など)を解決するに当たって不透明な部分になる懸念があります。そうした中「就任から4年が経過し、直近の4年間で解任投票の留任やビューロ/CUの信任を受けていない人物」という明文化された基準は適当だと考えます。次にHatukanezumiさんのふたつめの質問「このコメント依頼は今回の解任動議提出に関連しているのでしょうか。つまり、コメントの内容次第では氷鷺さんは動議提出をみおくったかもしれない、ということでしょうか」に関しては動議提出を見送った可能性はあると考えます。少なくとも動議提出に伴い動議提出者や賛同者に身体上の危険やこのプロジェクト(Wikipediaの編集)に参加する権利を阻害される危険があった場合は動議の提出は見送るべきでしょうし、私の方からそうするべきだという提言をすることも考えていました。もちろんそうした行為は糾弾すべきものですし、そうしたことが起きた場合は何らかの行動をとるべきだとも考えますが、現状ではそうしたことは起きていないようですし、その意味では全てのコメント依頼を無事に終了することができそうです。しかしながら解任動議の提出が見送られる見込みがほぼないことと、論理的に解任動議の提出が行われる可能性がないこととは別のものです。そうした意味では私はコメント依頼の提出なしに直接解任動議を行うことに少なくとも現在は反対します。次にみっつめの質問として「氷鷺さんは「任期制」の提案理由のひとつとして、「定期的に(少なくとも、5年や10年に一度くらいは…)コミュニティの意見を再度問う必要がある」と述べていますが、その方法として解任投票が適切だとおもっているのでしょうか」と述べられていますが、これに関しては氷鷺さんの頭の中を覗けないので断言は出来ませんが、少なくとも最善の案(任期制)ではなく次善の案と考えていることがWikipedia‐ノート:管理者/任期制導入の提案からうかがい知ることができますし、当初の提案でもたれていた懸念「管理者制度の信頼性の向上と、根拠のない管理者(制度)批判の抑止、過去に何度も出ている(そして有耶無耶になっている)任期制の議論に終止符を打つこと、など」を解決する方法が任期制、擬似任期制以外にあるのであればそれを導入するに如くはないとも考えていたと思われます。次にHatukanezumiさんの「よっつめの質問。管理者の「任期」を切るということは、同時に管理者が任期いっぱい勤めることを要求することにつながるということに、お気づきですか。」ですが、この「勤める」が「仕事をする」ということであれば、これには「管理者はその任につく限りその仕事を行わなくてはならない」前提が予め含まれていると考えます。氷鷺さんもそのように考えられているように思いますが、私はそうは考えていません。特に問題を起こさないが「仕事」もしない言わば「休眠管理者」を排除することは、権限を持つものが不足している現状では適切でないと考えていることも、理由のひとつとして挙げられます。また当然、この擬似任期制のもとでも旧来の制度は変更されていませんから、「いたずらに制度を厳格化してコミュニティの一部の人間により重い責任を負わせる」ことにはあたらないと考えます。また「務める」の誤字だった場合につきましては現行の制度下では自動退任または解任の条件を満たさない限り、あるいは自発的辞任を行わない限り管理者はその任につき続けますし、擬似任期制は勿論、任期制を施行したとしても自発的辞任をする権利が阻害されると聞き及んでおりません。次に「いつつめの質問。今回実施されつつある「任期制」について、定期的あるいは明示の条件に合致した場合の見直しの計画が提示されていないのは、どういうわけでしょうか。」についてですがまず、現在「任期制」は実施されていません。今回合意に至っているのは提案時点で4年を経過した等の条件に合致した管理者についてコメント依頼及び解任動議を提出することまでであり、それ以降のことは未定だと考えていますし、もし仮に現状でそれも決定事項だと氷鷺さんが考えているならそれは行き過ぎだと考えています。さらに、Hatsukanezumiさんの懸念している「根拠のない想像を主張したり発言するのは控えてください」という文言ですが、これは任期制の提案について堂々巡りや非建設的な議論に陥ること、及び特定の管理者に対するアジテーションによって適切な議論が行われなくなることを回避する、任期制案(あくまで案です)の作成における申し合わせ事項であると考えています。「具体的には『任期制を導入すると管理者が減る』または逆に『任期制を導入すると管理者への立候補が増えるかもしれない』といった類のものです。」とあり、任期制導入賛成者・反対者双方に対してそれを戒めていることからも伺えます。一連の依頼提出にあたりHatukanezumiさんが懸念を抱いていることは「どうでもいい」と考えていたため、そのコメントに対しては今まで特にフォローしてきませんでした。ある提案が行われた際にそれに反対するものがいたり、懸念を持つものがいることは当然のことだと考えているからです。勿論これは「どんなことをしても黙っている」ということではありませんが、Hatukanezumiさんが「『どんなことをしても黙っている』という意味ではありません」というコメントをするに至り、破壊的な結果を招かないためにも何らかのコメントが必要だと考えコメントしました。--Himetv 2010年2月19日 (金) 18:31 (UTC)[返信]
コメント えーと。まずあまり関係ないことなんだけど、わたし、かつて「まったく古参は」などと放言したらえらく怒られたことがあります。そりゃ、ただ長く活動しているだけで悪いように言われたら、怒るわな。「内心導入に反対されている方が『守旧派』と呼ばれたくないために積極的に論議に加われなかった」などという、だれにむけられたのかもわからないような敵意のみをふりまく暴言は、さっさと謝って撤回したほうがいいですよ。今回の「任期制」に興味がなかったり、疑問をもっていたり、反対していたりするひと全員を、敵にまわしたいというのなら別ですが。
わたしの言った「どうでもいい」というのは、一連のコメント依頼での (被依頼者の)「システム上の権限がどうなろうとかまいません。」という見解のことです。「任期制」なるものが提案されるにいたった背景を「どうでもいい」とおもっているのなら、そもそもコメントなどしません。それを「俺たちの正しい主張をどうでもいいとおもっている連中は意識が低いのだ」みたいにおもっているとしたら、そりゃまっとうな思考ではない。単なるカルト思想ひとりよがりでしょ。
それはともかく率直に言うと、一連の依頼・動議に対して、わたしは不快感をもっています。どこが不快かというと、タイムリミットをあらかじめ切って実施を一方的に宣言しているところ。そして、発案者が重視しない意見を本質的でないこととして退けるか黙殺するかであるところです (実際、依頼者はコメント依頼に対してでたコメントの大半に応えなかったいっぽう、当初宣言したとおりの手続きは定刻どおりおこないました)。ほかのことにより強く興味を向けている (かもしれない) ひとびとの顎先をつかんで「ほれ、これは大事だ。こっち向いて読め」と言いながら、当初のスケジュールをこなすだけというものは、議論でも意見聴取でもない、ただの儀式です。そんなものは民主主義でさえない。だいぶ以前に書いたけど、解任投票は子供のおもちゃではないです。
そしてHimetvさんのコメントを読んでも、当コメント依頼がなんのために提出されたのかはわかりませんでした (説明に相当する叙述をみつけられなかった、ということ)。解任動議を出すことの告知だけなら、ほかにどういう手段だってある。単に形式的な重厚さをねらっただけなのではないかとさえ想像します (この想像がまちがっていたら訂正してください>>依頼者)。わたしは、個人が解任動議を提出することは自由にやったらいいし、むしろ「事前にコメント依頼しないと動議を提出してはいけない」といった形式主義に陥るべきではないとおもっていますから、内実のないコメント依頼であるのならば抗議したいと考えます。
Himetvさんのコメントのほかの点については、Himetvさんの考えはわかりましたし、とりたててわたしと対立するような見解はありませんでした (つまり、この種のことに解任投票を用いることの有効性もわからなかったということ)。繰り返しますが、やっぱりななんのためにこれをしているのかわかりません。 --Hatukanezumi 2010年2月22日 (月) 13:28 (UTC)[返信]
Wikipedia‐ノート:管理者/任期制導入の提案で話した方がいい話題かもしれないと思いました。--Ks aka 98 2010年2月22日 (月) 13:35 (UTC)[返信]
わたしもそうおもいますが、「動議権の乱用ではないか」(大意) といった疑問に「もう充分議論したから問題ない」(大意) ですまされるような場で、なにを話せばいいのやら。具体的なアクションに対して意見を言うしかないのかとおもっています。 --Hatukanezumi 2010年2月22日 (月) 13:56 (UTC)[返信]
ひとつめの回答
私自身が解任に賛成/反対のどちらであれ、解任を目的に解任動議を出すわけではありませんので、「解任にまで持ち込む努力」などはしませんし、する必要はありません。「一定期間が経った」ことに対してコメントを依頼した覚えはありませんが、コメント依頼が必要になるかどうか、私が判断するものではありませんし、あなたが決めることでもありません。
ふたつめの回答
コメントの内容次第で動議提出を見送ることはありません。もし仮に、投票権を持つ方が何百人も「解任動議も投票も必要ない」と主張されたとしても、それならそれで安心して解任動議を出せます。
みっつめの回答
その方法として解任投票が適切だとおもっているのでしょうか。』『とにかく「任期制」が形式的に成り立つことを目的に、既存の制度を用いているだけに見えます 』→ どちらも肯定です。
コメントの形式が制限される解任投票は不向きだと考えます。』→ そうですか。コメント依頼というものをご存知ですか。
だいたい、対象者に「辞めてもらうかもしれない」と脅しをかけながらやるって、どんな意見聴取ですか。』→ 辞めさせる権利を持っていない私では、脅しになりません。どういう考え方をすれば、私が脅しをかけられるのですか。
意見聴取の過程で投票を導入するにしても、管理者信任投票の「推薦」規程を準用するといった方法もありうるでしょう。』→ ありえません。それが何故かはご自分で考えてください。
とりあえず「みっつめ」までお答えしました。これは本当に質問なのかと疑問に思いましたが。--氷鷺 2010年2月26日 (金) 21:32 (UTC)[返信]
ひとつめの質問にお答えいただけていません。このコメント依頼は、なんのためにしたのでしょうか。
ふたつめの質問へのお答えはお答えになっていません。「もし仮に、投票権を持つ方が何百人も「解任動議も投票も必要ない」と主張されたとしても、それならそれで安心して解任動議を出せます」というのは論理の遊戯にすぎないと考えます。効果のないことだからやってもかまわないというのは、実施した場合に多くのひとの労力が費やされることを度外視しています。
みっつめの質問に対してもお答えいただけていません。コメント依頼を提出しているから解任動議を提出することは問題ないと言いたいのですか、あるいはほかのことを言いたいのですか。はぐらかすのではなくきちんとしたお答えをお願いします。また「管理者信任投票の『推薦』規程を準用するといった方法」(これは単なる一例ですが) が「ありえません」というのは氷鷺さんの意見ですから、それにもとづいて行動を起こす以上は周囲を納得させるだけの説明が必要です。
以下にも質問を追加しましたが、いままでの質問でお答えいただけていない点も含め、ひとつひとつに対して誠意あるご回答をお願いいたします。 --Hatukanezumi 2010年2月28日 (日) 02:30 (UTC)[返信]
コメント むっつめの質問を追加。形式的なコメント依頼を乱発することは、適切な対話姿勢と言えるでしょうか。
コメント依頼とは、なんらかの問題を解決するために広く意見を募るためになされるものだと理解しています。しかし、「任期制」なるものに対する一連のコメント依頼では、解決したい問題は提示されていません。なにをコメントしたら問題の解決に役立つのか不明です。
議論したいこともないのに意見を求めるというのは、依頼者の自己満足ではないでしょうか。--Hatukanezumi 2010年2月28日 (日) 02:30 (UTC)[返信]
コメント一読しただけでは何をしたいのかさっぱりわからない。解任動議で終わってもいいのかそれとも投票までいきたいのか依頼者の意思が見えない。任期制を制度化したいなら多くの人が参加すべきだしそれができるように簡潔に説明文を付けるべきでしょう。今の状態は数人の方が内輪でやってるイベントにしかみえません。一旦中断して客観的に見ることを試みてはいかがでしょう?--いんでぃご 2010年2月20日 (土) 17:04 (UTC)[返信]