14日付朝日新聞の宮崎版で、鳥飼県議が「(次の知事選の立候補者の)手が、副知事以外に挙がって無いのは知事の責任」と発言されておられた。

 公的言論機関である新聞で堂々と批判された。まぁ、名前を出して堂々と批判される姿勢には敬意を表する(たまに、「ある議員」とか、名前を出さないで批判される方がいる)。

 僕は、その新聞上で反論する機会を与えられていないので、この場を借りて反論をさせて頂く。

 この鳥飼議員の発言が事実なら、誠に遺憾であり、由々しき事態であると言わざるを得ない。

 どういう意味・根拠で指摘・批判されたのか分からない。というか正気なのだろうか?

 

 これが事実であれば明らかに、被選挙権に関する法規定と民主主義の否定・冒涜であろう。

 鳥飼氏には、就任してからこれまで、非論理的かつ無根拠的な批判(例えば、僕が国と対立したことが基金創設を遅らせた・この知事を許している県民に問題がある・・・・等)をされ続けて来た。それはそれで訓練・勉強にはなったが・・・・・・

 しかし、氏のこれまでの批判・非難は、僕のやること成すこと全て批判・否定するもので(時には僕の存在すらも全否定するもので)、それは極めて低次元・不快で、批判のための批判めいたものだった。

 あの御仁がどれだけ立派・高潔・見識の高い方かは存じ上げないが、いつも上から目線で人を小馬鹿にしたような、蔑んだような批判・非難をされる。


 今回の「立候補者が今のところ元副知事しかいないのは、知事の責任である」という発言・・・・・・県知事立候補は30歳以上の男女(日本国籍)であれば誰でもその権利を有する。何方が立候補されても、法でその権利は守られている。それが民主主義の根幹である。

 なのに、立候補者が出ないことがどうして僕の責任なのか? 意味が分からない。高い志やビジョンや愛郷心を持ち、「宮崎をこうしたい」という確固たる政策や情熱を持っておられる方、「我こそは」と思われる方がおられるのなら、どんどん立候補されるべきであろう。僕は、それらに対して一切の妨害も抵抗も批判等もするものではないし出来るものでもない。

 

 もっと言わせてもらえば、他に立候補者がいないのは、鳥飼氏が県連代表をされておられる政党の責任でもあるのではないのか? 人に責任転嫁などしないで、氏若しくは氏の意中の方、若しくは政党から責任を持って立候補者をお立てになればいいことではないだろうか?

 そんなに僕の政策や理念や行動に反対なのなら、氏自身が早い段階で手をお挙げになれば良かったのではないのか? そして、民意を問う。それこそが政治家として、民主主義に則った正当な政治行動であるし、手続きであるし、民主主義の使用である。

 そこまでの度量や能力や自信は持ち合わせていないのか? 持ち合わせていないのに、文句だけは一人前以上に仰るのか?

 あれ程度の批判(殆どイチャモン)なら誰でも出来る。そこまで仰るのなら、ご自身が立候補し、政策や理念をお示しになる行動こそが、これまでの東国原県政に対する最高でかつ高次元の批判ではなかろうか? それこそが批判を信条とされる真の政治家のやることであろう。

 

 私が誰かに「立候補するな」とか「立候補しろ」と言ったことなど一切無いし、また言う権利も無いことなど十分に承知している。

 民主主義も理解されておられない方が宮崎県議会にいること自体が、僕が国と対立することより、県にとって大きな損失であろう。ああいう方が今でも議会におられることが、これまでの宮崎の発展を阻害して来た要因の一つではなかろうか? とも思えてしまう(主観・所感)。

 9月にもここで書いたが、氏は僕のブログやツィッター等は一切読まないと議会で断言されているので、このメッセージは氏には届かないだろうし、当然反論も無用である。

 別に氏に届けるつもりはないが、こういう議員が県議会にいることを県民の皆様はどうお考えになるか? それを問うことが、ここに取り上げた理由でもある。