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これまでのお話(5)

史上最大級の台風が東京直撃である。軟弱な大学は朝から全面休講だ。 ところで私、台風が大好きなのですな。裏日本には滅多に来てくれませんでしたが、嵐、雷、大雨、強風といった類の自然現象に遭遇すると何となく元気が湧いて来ますです、はい。一遍でいいからいいからフロリダでハリケーン・パーティしたいです。よくコンドミニアムごと吹っ飛ばされて死人を出してるやつですが、いいだろうなあ、盛り上がるだろうなあ。

ところで。

関係のない話だが、君はタチャンカを知っているか! とまた軍オタ疑惑を招きかねない記述をしてみる。長編書きながら、そうだよなあ、タチャンカはいるよなあ、ロシア内戦だもんなあ、とかぶつくさ言っている――と書いたところで、まあこの日記をご覧になる九十九パーセントの方には判るまい。

タチャンカ、tachanka(このシンプルな綴りを発見したのは亭主である。頭でっかちな大蟻食は、カタカナからキリル文字経由でローマ字綴りに移行しなければなるまいが、それには高野氏のまじにロシア語堪能な亭主にご相談しなければ、とか悩んでいたのだ)はウクライナ語(ないし方言)のtachka=荷車から来た語であるらしい。そこから先は誰だって考え付くことだ。つまりここに荷車がある(いや、屋根剥いで無理矢理そういう状態にした馬車のこともある)、で、ここに重機関銃がある、となれば機関銃搭載の馬車で突っ走りながらばりばりやればいいじゃん、というのは必然である。ほんとに荷車で、藁積んで中に潜って、そこらの百姓のふりして接近してばりばりやる、というのはよくある手であった。基本は後衛である。突っ走りながら掃射、という、誰でも考え付きがちなカラフルな光景も、まあ、たまにはある。御者一名と機関銃要員二名が標準だが、後者は一名しか確保できないこともある。問題はだ。

社会主義リアリズム時代のお馬鹿モニュメントにタチャンカが結構あった。ウクライナの野っ原にそびえ立っていたらしい。社会主義リアリズム時代の絵にも結構あった。どれもあんまり大仰なんで笑っちゃう訳だが、この馬の繋ぎ方が変なのである。最小限トロイカ形式であり、つまり、あんまり幅の広くない荷車や馬車に並列で三頭繋ぐ。で、何しろ社会主義リアリズムなんで、馬は全部猛り立っており、御者は腰を浮かせており、つまりはっきり言って暴走している。時としては四頭なんてこともある。普通四頭も繋ぐのはかなり大きなお馬車だ。大抵は二頭並列を前後二列に繋ぐものだと思うのだが、四頭を並列である。両側の二頭は頭を振り立てながら明後日の方向への逃亡を企てている。古代の戦車にもよくある構図だが、基本、あれは移動用であって戦闘用ではない。打ちまくってる最中にあんなに荒れられたら転覆必至だな。

でまあ、はっきり言って、これはなかろうと思うんである。機関銃一丁と御者とあと精々二人なら、二頭で充分ではないかと。三頭なら地方風俗としてまだ理解できるが(しかし特異な繋ぎ方ではある)、ほんとに四頭繋いだのかね、それも並列で。写真も見た。どこかの博物館で記念撮影する中年カップルの背後にある現物(思わずブラウザ上の写真に向って「どけっ」と叫ぶ)のさらに後ろに、騎兵の真ん中で走行中のタチャンカの写真があるのだが、残念ながら御者台から前は切れている。二頭だと思うんだけどなあ、普通は。四頭繋ぐんでも2x2だろう。ちなみにツーシーターのスポーツ用馬車も存在はしている筈で、幌とっ外して機関銃据えて、と言う方がスピードは出そうだし操作性も良さそうだと思う。

ちなみに、改造する連中が特に熱を入れるのはスプリングであったという。スプリング次第で命中率に格段の違いが出るそうな。リュック・ベッソンの「ジャンヌ・ダルク」に投石機エンスーが出てきて笑わせてくれたが(というか、あの映画、今やそこしか覚えていない)どこにでもその手合いはいるものである。

ドニエプル川を遊弋して砲撃かましてくるスチームボート(でも屋根は防水帆布だったりする)、もよかったけど、タチャンカもよいよね。何と言おうか、人類の叡知の限りを傾けた馬鹿さ加減全開なので、この類のものは見ると限りなく嬉しいのである。


2004/9

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