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「直ちゃんと一緒にいると、”障害者”って誰のことなのかわからなくなる」と友人たちから評されるという小島直子さん。24時間介護が必要でありながら、そう思わせてしまう小島さんの魅力や強さは一体どこからきているのか。今回は現在に至るまでの道程や「障害」「福祉」に対する思い、そして将来の夢を語っていただきました。

まちや環境に与えられた「障害」をなくしていきたい 小島直子さん

大学で嫌いになった「福祉」

小島さんは、日本福祉大学で社会福祉を学ばれたんですよね?専門知識を持っているというのは、当事者として「障害」を語るうえで強みですか?

 私、大学へ行って「福祉」を学んでいくことがわからなくなったの(笑)。たとえば「障害者福祉論」という授業があるんだけど、そこで教えられたもののひとつに「障害の受容のプロセス」があってね。まず「障害」を否認して、次に「障害」を解決する努力をするらしく、その度に迫りくる葛藤を繰り返しながらも、最後に「障害」を受容するという流れが、4段階のプロセスとして説明されていたんですよ。「先天障害者」である私には理解しがたいものでした。「現実には、そんなにきれいな経過は辿れない」という抵抗かな? 私自身を振り返ってみても、同じような落ち込みを何度も繰り返しながら、見えない「受容」を重ねてきたから。
 すごく天気のいい朝、「よし、がんばろう」と思えても、駅で駅員さんとトラブルがあって嫌な気持ちになると「なんで歩けないんだろう」って自分が情けなくなるし、相手に対しても「この人はどうしてわからないんだろう」と頭にくる。そんなことを一日のうちでも何度も繰り返しているんです。これは「障害」がある人に限ったことではありません。ちょっとしたことで自信を持ったり、なくしたりっていう経験は、誰にでもありますよね。
 だから、「機能的にできないことも持ち合わせている」人間を認めるという意味での受容なら理解できるけど、「障害」だけを受容するという考えにはとても違和感を感じました。そのあたりから、微妙な感情まで型にはめて説明したり分析しようとする「福祉という学問」に対して、反発を感じるようになり、しまいには福祉を勉強していることすら怖くなってしまいました。「これは”勉強”するもんじゃない」と思ったんですよ。大学という閉じられた空間のなかで、「障害」の問題に限らず人種差別や部落問題などを幅広く、社会福祉の観点から社会における問題のあり方みたいなことを勉強していくなかで、「こんなことがなんで”学問”になるんだろう」と思ったのね。
 同じ地球を生きていく人間として、世の中のさまざまな問題を多様な視点でとらえるということは、本来ならば小・中・高校という教育のなかで学ぶべきなんじゃないか、と。特別な人たちが勉強して、スペシャリストとしてその世界に生きるというのは絶対におかしくて、少なくとも私はその一人になりたくないと思ったから。

そもそもなぜ日本福祉大学に進学されたんですか?  

 養護学校の先生になりたかったんです。私は8歳の時、養護学校から普通校へ転校したんだけど、それはどうしても家族と一緒に生活したい、地域の学校で近所の友達と勉強したいという思いが強くなってきたから。そして念願かなって普通校での学校生活が始まってみると、養護学校とは想像以上に違う環境だったんです。
 笑顔の小島さん普通校で学んだのは、学問だけではありませんでした。社会生活を一緒にしていくわけで、「あいさつをしましょう」から始まり、「自分の意見を言いなさい」とか「本を読みなさい」とか、次々にいろんなことを要求される。することがいっぱいあって、忙しかったですね。そのなかで緊張でドキドキしたり、自分の意見を整理したりという経験を積み重ねて成長していくんですよね。
 だけどそういった経験は、養護学校ではなかなかできませんでした。むしろ私は優越感を持っていたんですよ。周りも「障害」がある子ばかりで、そのなかで私は先生とコミュニケーションがとれるし、誰かに手を貸してあげることができたんです。「先生、◯◯さんがこう言ってます」と言ってあげられることが嬉しかったというか、役に立てていると思っていた時期があったんですよ。
 それが普通校では何ひとつ通用しない。養護学校では自分が優位に立っていたのに、普通校ではもう朝の起立からドキドキするわけです。「ああ、今日も私だけ立てないんだ」って思いながら。そのうち「もういいや」って思うようになるんだけど、そうやって私は鍛えられてきたんです。でも、もし18歳まで養護学校にいたら、あの優越感をずっと持ってしまってたかもしれないし、一方で社会に出るのがとても怖くなっていたと思う。ましてひとり暮らしをするなんて、想像もつかなかったんじゃないかな。

普通校のなかで鍛えられたからこそ、今の小島さんがいるということですか?

 そう思います。だから養護学校で仲良くしていた友達に対して、「置いてきた」「裏切った」という気持ちがずっとあったんです。それで、今度は自分が養護学校の先生になって、自分が感じてきたことや得たものを伝えていこうと思っていたんですね。でも次第に「福祉」という概念に疑問を持ち始めるようになったのと、大学時代にアメリカへ福祉視察ツアーに参加してハード(建物や乗り物など)の整備の大切さに気付いたのがきっかけで、今は建築士を目指すことになってしまったんですけど。
 私が養護学校にいたのはもう20年以上前ですが、今も「障害者」と「健常者」を隔てているものは本質的には変わっていないかなと感じる時があります。時々、「障害」のある人たちを支援する団体に声をかけてもらって、講演に行くんですよ。そうすると駅から歩いて5分なのに「リフト付きバスで迎えに行きます」とか、「お疲れでしょうから時間になるまでお休みください」とか、とにかく「障害者扱い」をされてビックリすることがあるんです。

 それで講演の後の質疑応答では、会場から「私は目が悪くて、こんなことで困っているのでよろしくお願いします」という発言が出たりするんだけど、誰に何をお願いしているのかわからない。でもそれは一概に発言した人が悪いとは言えないと思うんです。彼女たちは「障害者にさせられちゃった」んじゃないでしょうか。18歳まで養護学校にいて、卒業したらいきなり「はい、あなたは社会人です」と言われても、社会的な目を養ったり家族以外の「健常者」と接する機会がないまま成長してきたわけだから、どうふるまえばいいのかわかりませんよね。養護学校の良さ、必要性は確かにあるだろうけど、自分のしたいことを周囲に働きかけていく経験ができないのは問題だと思う。

まちでヘルバーさんをハントする

自分が「障害」をどう受け止めるかを考える以前に、「障害者」にさせられてしまう仕組みがあるんですね。

 そう感じるんです。私だって小さい頃は、新しい環境のなかへ入っていくのがすごく怖かった。でも今は怖くないのね。どんな人に会っても、何が起きても、なんにも怖くない。「養護学校や施設や作業所があるんだから、一般社会へ出てわざわざつらい思いをすることはない」という考え方もあるけど、私は1回きりの人生だから、いろんなことに物おじしないで生きていきたいと思うんです。
 こういう話をすると、今度は「それだけしゃべれるんだから、「障害」のある人のために何かやってくれませんか」と言われたりするんですよ。名刺交換した人から「次世代の女性リーダーが現われたと確信しました」というメールが来たり。そんな時はすごく悲しいです。「なんで私はリーダーにならなきゃいけないんだろう」って。私はたまたま自分の「障害」を上手に使って生活してるだけだと思ってるんです。私をリーダーに祭り上げるんじゃなくて、私の話から自分の生活に活かせるアイディアを盗むなり、食いついてくるなりしてくれればとっても嬉しいんですけど。

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