2011-03-06

日本人にも怖いクトゥルー神話

http://umiurimasu.exblog.jp/12210453

多神教がどうとか、食文化がどうとか、本当にくっだらないと思う。ちゃんとラヴクラフト嫁と思ったのでつらつらと書いてみる。

ラヴクラフトクトゥルー神話が「ホラーであるのは、「おれたちの信じているキリスト教の神さまの他にも神様がいるなんて!」ということではない。

ラヴクラフトクトゥルー神話が「ホラーであるのは、「自分の信じていた世界観はじつは嘘っぱちだ」ということにある。

「それはやっぱりキリスト教~」違う違う。落ち着け

例えば、俺は生きてメシをくって仕事をしてSEXをして子どもを育てるわけだ。

俺は日本という国に生まれて、その文化自然や人々の共同体を愛しているわけだ。

そんな平凡な俺っちが、クトゥルーという存在を知ってしまうと、その全ては無価値なものだということに気付く。

日本という国も、そこで千年だか二千年だかの間にはぐくまれてきた文化というやつも世界全体から見た場合には実は無価値なのだ。

俺たちの人生世界というものは、いってみれば犬の毛の中に住むダニたちが作り上げた世界と同じようなものだ。

それらは、クトゥルーがちょっと身じろぎしただけでも崩れ去るわけだし、今自分たちの所属している世界観が崩れ去ることは予め決まっている。

自分が生きていることも、生きて何か仕事を残したとしても、子孫を作ることも育てることも、それはすべてクトゥルーの前では無価値なのだ。

そういう認識に立った場合、俺は自分存在することの意味が見いだせなくなる。

じぶんがここに存在することも、自分子ども存在することも、自分の親が存在することも、自分がなにかに努力していたとしても、何かに幸福を感じたとしても、それは全て意味がないのだ。

自分が拠って立っていた世界観崩壊して、たったひとり、自分が何者かもわからなくなって虚空に落ちていく感覚

それがクトゥルー神話の「恐怖」なのですよ。

ちゃんちゃん

おれ、大学ときラヴクラフト全集3冊読んだぐらいだから間違ってたらすまん。

でも、当時「おー、結構怖いやん」と思った記憶がある。

それは魚介類だとか、自分信仰だとか、そういうのとは本当にまったく無関係に「怖い」とおもったし、救いようのないアンハッピーエンドで終わる「セカイ系」のラノベ短編集みたい感覚で結構面白かったよ。

二次創作しかしらない」というひとも、時間あるときには古典をもっと読めばきっと楽しいと思います!。

したらなんか、こんな変な感想がでてこないと思います!。というのが言いたかったことだす。

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