遅ればせながら“2010年の外山恒一”を振り返る | 我々少数派

遅ればせながら“2010年の外山恒一”を振り返る

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 昨年の正月は、年明け早々、ひたすらテープ起こしに励んでいたようだ。
 「反天皇制全国個人共闘〈秋の嵐〉」のリーダーだった故・見津毅(みつ・たけし 95年3月にバイク事故で死去)の、亡くなる2年前に個人的におこなった3時間近いインタビューは、彼の活動歴をその高校時代あたりから根掘り葉掘り聞き出したもので、80年代後半の若いラジカリズムに関する貴重な証言である。ほんと、私は“歴史学者”としてすばらしい仕事をしている。テープは全部起こし、そろそろ出る『デルクイ01』に掲載するつもりだったのだが、諸般の事情でとりあえず今回は載らない。次号以降も掲載できるかどうか未定。とにかく一日も早く陽の目を見させてやらねばならぬ内容なのだが。
 さらに一昨年夏だかにおこなった、東京・高円寺の「素人の乱」の山下陽光(やました・ひかる)氏へのインタビュー・テープも、昨年正月に頑張って起こしていた。こちらはすでにネット上で全文公開済み。上京するたびに「素人の乱」界隈に入り浸っているが、どうも世間に流布している「素人の乱」像が実情と違っているという思いがあり、それは、松本哉氏にのみ焦点を当てて扱われがちなためであると気づいて、「素人の乱」のもう一人の中心人物である山下氏へのインタビューを敢行した次第。「素人の乱」は、法政大の「貧乏くささを守る会」に始まる松本氏のオモシロ左翼運動(アタマの悪い世間ではたぶん逆の評価なのだろうが、松本氏の一連の運動は面白いし重要だと私も考えてはいるものの、私の方がマジメな政治運動を展開・志向しており、松本氏の運動はシニシズムに基づく不真面目なオモシロ主義の、“運動のパロディ”にすぎない)と、もともと高円寺を拠点としてきた山下氏の一種の前衛芸術運動とが結合したものである。後者の側面がほとんど無視されて語られるため、「素人の乱」の実像とパブリック・イメージとがズレるのである。そういうわけで、ここでも私は、歴史学者として革命家として、「いい仕事」をしている。
 さらにこの方向の偉大な業績として、90年前後に法政大の黒ヘル(≒ノンセクト・ラジカル)を率いて、同大で長年にわたり“恐怖政治”を展開していた中核派と激突し、なんと勝利してしまった中川文人(なかがわ・ふみと)氏へのインタビューが、昨年一月末に単行本化された。『ポスト学生運動史 法大黒ヘル編 1985-1994』(彩流社)である。雄弁家である中川氏の語り口そのものがそもそも面白いし、それを忠実にテープ起こししたものを土台に、プロの文筆家でもある中川氏が大々的に加筆修正してますます面白くなっている。私も政治運動シーンの“専門用語”などを主として対象に、膨大で精密な「註」をつけ、また歴史学者としての本領をこれでもかと見せつけるために、中川氏の法大闘争経験が“全共闘以後”の“ポスト学生運動史”の中でどのような歴史的意義を持っているのかを詳細に解説する長い「まえがき」を書いた。例えば前記・松本哉氏の出発点である「法大の貧乏くささを守る会」も、それに先行する中川氏の闘争がなければかなり違う展開をしていたはずであり、こういう「現代史の重要史料」を次々と参照可能とする私の仕事は、かえすがえすも素晴らしい。

 2月には、その中川氏をゲストに招いて(というか中川氏が自費で遠征してくれて)、熊本と福岡で『ポスト学生運動史』の刊行記念イベントをおこなった。これに関連して、かれこれ10年以上も私に粘着している真性ストーカーのF岡(元だめ連福岡)による卑劣な妨害工作があり、経緯詳細についてほぼ初めて明らかにする文章をサイトに発表した。F岡のストーカー行為は今も続いているが、将来的には九州ファシスト党・我々団の総力(の一部)を挙げて組織的にヒドい目に遭わすしかなかろう。
 それはともかく、この2月のイベントはその後、「3ヶ月に1回ぐらい遠方からゲストを招いてイベントをやる」という形で恒例化した。具体的には追って。
 そういえば『ポスト学生運動史』の刊行記念イベントは、東京でもやったんだった。九州エリア以外での活動は私にとってメインではないので、つい忘れてしまう。2月26日にジュンク堂・新宿店で鈴木邦男氏をゲストに、3月6日には阿佐ヶ谷ロフトAでスガ秀実氏をゲストに、もちろんいずれも私と中川氏が登壇して、それぞれ数十名の来場者を得て開催された。東京でイベントをやれば充分な集客はあるのだが、九州でやってもほとんどすでに身内的な面々しか集められないのがここ数年の悩み。打開策はあって、それについては近々公表する。
 東京での二つのイベントに合わせて、2月19日から3月11日まで東京に滞在していたようだ。何かのイベントに合わせて上京し、いったん上京するとついでに2、3週間滞在するというのが私の毎回の行動パターン。この時の滞在期間中には、上記2つの刊行記念イベントの他に、結局まだ出てないが私が編集する“反体制右翼マガジン”『デルクイ』の出版が決まり、「素人の乱」界隈のサブカル教養人を集めて10年以上ぶりに「ヒット曲研究会」をやってみるも間違って山本夜羽音を呼んでしまったために大失敗し、松本哉氏が呼びかけた「警察出てこいデモ」という無意味デモ(批判的意味ではない)に参加し、やはり「素人の乱」界隈でおこなわれた“アメリカの右翼に関する勉強会”に参加して“アメリカの外山恒一”とも云うべきロン・ポールについて学び、またまた「素人の乱」の飲み屋「セピア」で店長のらねろ氏と私とのトーク・イベントを開催するも充分に告知できなかったので3、4人しか集まらず……というような日々を送った。

 4月には、東京から演劇青年のM君が入塾した。その少し前にはやはり東京から1名、“通いの塾生”志望の青年が塾舎のすぐ近所に引っ越して、頻繁に塾舎に出入りし、読書会や交流会に参加するようになった。前年の秋に入塾した滋賀からの青年H君は、塾舎での半年間の修行を終えて、5月に卒塾し、近所にアパートを借りて一人暮らしを始めた。演劇青年のM君も、現在すでに滞在が半年を超えており、すでにやはり近所にアパートを借りたようで、近日中に卒塾予定。

 この数年、福岡での、左派系のいわゆる「インディーズ・メーデー」には塾生総出で参加していたのだが、昨年の集会&デモはうっかり日程を忘れていて参加できなかった。塾舎での交流会によく参加してくれる「フリーターユニオン福岡」の創始者・小野俊彦氏と、塾の第一期生で我々団員のI青年が、いずれも同団体を脱退してしまい、その影響が非常に大きくて、関係が疎遠になってしまっているのだ。
 代わりに5月1日のメーデーには、日常的に仲良くしている「維新政党・新風」の福岡支部の人々の街宣に参加、というかビデオ撮影。あとでこれを編集して、「右派系インディーズ・メーデー!?」と題してYouTubeで公開した。なお誤解も多いようだが私が「日常的に仲良くしている」のは「新風」の本体ではなくあくまでその福岡支部の面々とである。これは別に「新風」本体を批判的に云ってるわけではなく、単に事実である。もっとも「新風」福岡支部には同党内部でも反主流派的な、とくに反体制色の強い若い面々が結集しているようで、自然ウマが合うという事情はある。
 5月半ばには、2月に呼んだというか来てくれた中川文人氏を囲んでの交流会的イベントを恒例化しての「第2弾」として、元だか現だか東京の本家「だめ連」の代表(の一人)であるペペ長谷川氏を、これはこちらが交通費だけ負担して招き、熊本と福岡でそれぞれ「ペペ氏を囲んで飲む会」を開催した。
 同じく5月、前年から「毎年ツアーをやる」体制に刷新された私のイチオシ劇団「どくんご」全国ツアーが始まり、水俣(5/4 ツアー初日)、鳥栖(5/16)、福岡(5/21、22)の3ヶ所に、できるだけタテやバラシも手伝いつつ、塾生らを同伴して観に行った。

 6月下旬に上京し、阿佐ヶ谷ロフトAで、新雑誌『デルクイ』の創刊予告イベントをおこなった。3時間あまりを二部構成とし、私の司会で、『デルクイ』の中心的執筆陣と私が位置づけている、いずれも私の“異端的極左活動家”時代からの同世代の“右翼人脈”の3名(福岡在住のインテリ右翼である藤村修氏、最近は“右からの在特会批判”の急先鋒である大石規雄氏、元は私と同じく“異端的極左活動家”で私より10数年早く“ファシズム転向”した佐藤悟志氏)を軸に、前半はこれに伊藤秀人氏(左転向する前の雨宮処凛氏と右翼パンクバンド「維新赤誠塾」を結成)、金友隆幸氏(維新政党・新風の“街宣王子”で、のち確信犯的な排外主義団体「排害社」を結成)に加わってもらって“とっつきやすい話”を展開し、後半は前半の面々にはそのまま残ってもらいつつ、さらに、全共闘世代には珍しい非転向の2人の論客(全共闘世代で自分では「非転向」のつもりでいる者のほとんどは、全共闘が敵としたはずの社民的左翼へと堕落している)として、スガ秀実氏と千坂恭二氏に登壇してもらって、“ちょっとムズカシめの話”を展開した。そのすべてをテープ起こしして、近々やっと出る『デルクイ』創刊号の巻頭で“完全再現”しているのだが、刊行直前のプロモーションも兼ねて、先日そのダイジェスト動画をYouTubeにアップしたばかりだ。
 この時の東京滞在も約2週間。滞在中に、「劇団どくんご」の浦和公演と宮代公演(いずれも埼玉)を観た他、私が全面的に支持できる数少ない“泡沫候補”の一人である「フリーウェイ・クラブ」の和合秀典氏と引き合わせてもらったり、中川氏が主催した、「元・中核派、元・戦旗派、元・京大ノンセクト、元・法大ノンセクト(≠中川氏)、元・革マル派(!)、元・ソ連共産党(これが中川氏)、現・ファシスト(私)」というトンデモナイ飲み会に参加したり……という例によっての非日常。東京からの帰途、生まれて初めて四国に上陸し、すごい勢いでまあ観光した。

 8月は、塾舎を訪れる“超豪華ゲスト”が連続した。
 まず、制作意図に反して観た人をつい右傾化させてしまう(だから右翼は上映阻止闘争などやらず逆に上映促進運動をやった方がよかった)ケッ作ドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』の福岡上映会にゲストで呼ばれた鈴木邦男氏が8月1日、塾舎を“電撃訪問”。
 そして中旬には、これは中川文人氏、ぺぺ長谷川氏に続いて「3ヶ月に1度くらい遠方からゲストを招いて飲む」シリーズ企画の第3弾として、千坂恭二氏を招いての熊本・福岡での交流イベント。
 さらに下旬、前記“先輩ファシスト”の佐藤悟志氏が、九州観光のついでに塾舎に寄ってくれた。
 いずれも大々的に呼びかけて(鈴木氏は突然だったので当日に急遽の呼びかけ)交流会を開催し、とくに千坂氏が来塾した夜には、千坂氏と私も含めて総勢22名という、開塾以来の最大動員を実現した。
 塾舎への“特別豪華ゲスト”ではないが、熊本の関係者がこともあろうに(?)「ベンジャミン・フルフォード講演会」を企画したので、とりあえず行ってみたのも8月だった。講演会翌日、フルフォード氏を接待的に熊本観光案内。フルフォード氏は、私が何者なのか分かってなかった様子で、ジャーナリストとしてはまだまだ甘いなと思った。
 そういえば8月(正確には7月末)にはtwitterも始めたのだった。そろそろ半年になるが、まあマジメにこつこつ呟いてる方だと思う。現時点で「567ツイート」(というのは何かの間違いで、実際には400台だと思う)、フォローしてくれている人は「1765人」とのことである。一応、どのツイートも独立して読めるよう気をつけており、そのため他の人の呟きへの「リツイート」などはしないことにしているので悪しからず。

 9月以降は、というか6月の東京での創刊予告イベントを終えて7月に帰福して以降はずっと、新雑誌『デルクイ』の編集作業をこつこつ進めていたのだが、9月あたりから依頼していた原稿がいよいよ集まり始めて、編集作業が本格化した。合間をぬって、10月アタマの「劇団どくんご」大阪公演を観に行った。昔「マオ」名義で「ヒット曲研究会」に参加してくれて、のちに社会学者としてブレイクした、現在は関西の大学で教えている酒井隆史氏も観劇にきてくれたので、数年ぶりにちゃんと(洞爺湖サミットの時にチラッと会ってはいる)交流した。バラシ後、やはり毎週関西の大学で教えているスガ秀実氏とも会って大いに飲んだ。

 10月中には『デルクイ』の編集作業もだいたい終わって、しかし諸般の事情で実際の刊行にはなかなか至らず、現在まで続く“手持ち無沙汰”な日々が始まった。ヒマなので、ストリート・ミュージシャン稼業のレパートリー増大に励んだりして、その様子をまとめた動画をYouTubeにアップしたりもした。

 10月末には「劇団どくんご」の今年のツアーの終盤である、北九州(10/30、31)→佐世保(11/9)→宮崎(11/13)→熊本(11/16、17)→鹿児島(11/21、22、23 ツアー千秋楽)が始まり、ほぼ丸1ヶ月の「どくんご三昧」。実はこのうち熊本公演は、実質的には私がプロデュースしたもので、日程がポッカリ空いているから九州内でもう1公演、どこかに入れられるなら入れたいとの劇団側の意向で、「じゃあ熊本で」となって、しかし私が中心的に動いていることを事前に明らかにすると必ず例のストーカー・F岡の卑劣な妨害工作がおこなわれる(例えば会場を公表した段階で会場宛に脅迫FAXが必ず送られただろう)ことが分かりきっていたので、私が告知する時には「どうやら熊本でもやるらしいですよ」と“部外者”を装っていたのである。熊本現地のスタッフとの相談の過程で、「大学の敷地内でやったら面白いかも」という話が盛り上がり、まずは学生でも教員でもいいから興味を持ってくれる熊大関係者を探し出すところから始めて、なんとかギリギリ本番に間に合った。「大学構内」という趣向も、さらには集客&収益的にも大成功で、しかもようやく探し出した「熊大関係者」である熊大OBを中心とする地元劇団がほとんど地方アマチュア演劇では想定できない高水準の“逸材”劇団で、とにかく望みうるかぎり最高の公演を実現できたと私自身、大満足しており、どうやら「どくんご」側にも充分に満足してもらえたようだ。個人的には、“昨年やった一番いい仕事”かもしれない。
 「どくんご三昧」の日々の合間に、11月5日、一橋大学の学園祭に呼ばれて、一瞬上京した。共演ゲストにあの「杉村太蔵」氏をもってくるあたりからも想像つくように、主催の学生グループはダメダメで色々あって大いに不快だったが、イベントそのものはまあソツなくこなした。主催はダメダメだったが、観客の若者の中にはなかなかの逸材もいたし、結果としては無意味ではなかった。
 そういえば「どくんご三昧」で遊び呆けている間に、塾舎に住人が1人増えていた。「維新政党・新風」の福岡支部は、繰り返すように反体制色の強い“反主流派”のオモムキがあり、とくに若いメンバーは福岡支部の活動に注目しているらしいのだが、その結果でもあろう、首都圏などから福岡に移住してくる新風の活動家も時々いて、そのうちの1人で4月だかに東京から福岡に移住してきたイケメン右翼のI青年が、以来よく塾舎にも交流に来るようになって、ついには11月半ば、塾舎に居候しはじめたのである。新風の正規メンバーなので(少なくとも当方は“二重党籍”を禁止してはいないが)、一応、「塾生」ではなく「客人」の扱いである。

 そんなわけで次第に賑やかになってきた塾舎に、大晦日、メールで連絡してきたほとんどその足で入塾するという新規の塾生が登場した。まもなく卒塾して近所に引っ越す予定の演劇青年M君と、新風のI青年と、大晦日からの新規塾生S君に、私とスタッフS嬢の、現時点で計5名での新年である。

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 昨年はあまり行動的でなかったような気もしていたが、こうして改めて振り返ってみると、さすが私、けっこう色々やってるもんだ。
 今年は、刊行が遅れている新雑誌『デルクイ』の創刊号が、いくらなんでもそろそろ刊行されるだろう他、まだ公表していない重大計画が進行していて、そっちも少なくとも春のうちには諸君を驚かすだろう。ちなみにその“重大計画”は都知事選とは何の関係もないので妙な期待はナシで(だいたい、そんなに出てほしいなら少なくとも供託金の300万を集めてから云ってほしい。それならちょっとは考えてやらなくもない)。
 ともかく、今年も引き続き、その“重大計画”を中心に、これまで以上に急テンポで革命を前進させる所存なので、期待するのもいいがむしろ早急にどんどん福岡に移住すべきである。