Sponsored by Nintendo.

みんなで nintendogs+catsプラス

04/08 05:05

『ストII』の思い出。最終回

ニンテンドー3DSで
『ストリートファイター』シリーズの
最新作が出ていることがうれしくて、
つい、昔の思い出を話したくなって、
軽い気持ちで振り返りはじめたら、
こんなことになってしまった。

そう、あきれることに、
ようやく今日、
書きたかったことを、最後まで書けます。

そもそも、書きたかったのは、
ふたつのエピソードなんです。
ひとつは、前回の「8秒KO」の話。
そしてもうひとつが、これから書く、
「1勝か50勝か」というエピソードです。

それでははじめます。
これまでのところをまだ読んでない人は、
「思い出。その1」から振り返って‥‥って、
そりゃ無理ですね、時間がかかりすぎる。

超、速攻で、さわりだけ説明しましょう。
たいへんゲームがうまいオサダという男と、
たいへんゲームがへたなぼくが、
ともに二十代だったある一時期、
『ストIIターボ』を延々と遊んでいた。
それが、話の前提です。
だいたい、1993年くらいの話。

──さて。

ぼくとオサダの勝負には、
ある、特別なルールがあった。
それは、ぼくらふたりが遊んでいるうちに
いつの間にかできたもので
本来のゲームの仕様とは
まったく関係がないものである。

述べたようにぼくとオサダのゲームの腕前には
そうとうな実力差がある。
そのギャップを、ぼくらは、
「一戦一戦をものすごく真剣に戦う」
ことによって埋めた。
よくできた対戦ゲームを真ん中において、
両者がその真剣さを維持すれば、
どれほど実力差があろうとも
対戦のたのしさを等しく味わうことができる。
それは、前回書いた。

そして、その、真剣さを前提として、
もうひとつ、ルールをつくった。
というより、いつの間にかできた。
それは、以下のようなものである。

オサダは、「50連勝したら、勝ち」。
一方、ぼくは、「1勝したら、勝ち」。
冗談と笑うなかれ、ほんとうの話である。

ぼくらが『ストIIターボ』を夜通し遊ぶとき、
そのルールがいちばん都合がよかった。
ふたりがふたりの勝負のプロデューサーとなって、
その夜通しの遊びをプロデュースするとき、
「1勝か50連勝か」という取り決めが
もっともいいバランスだったのである。

考えたらわかると思うけど、
50連勝というのは、そうとうむずかしい。
なにしろ「50勝」ではなくて「50連勝」だから、
1試合たりとも気が抜けない。

一方、ぼくからしてみると、
1試合勝てば勝ちであるから、
つねに、チャンスがある。
チャンスがあるって書くのもばかばかしいけど、
勝つチャンスが50回も続く。
っていうか、毎試合が勝つチャンスだ。
ああ、書けば書くほどバカバカしい。
よくもそんなルールにたどりついたものだ。

このバランスがどうして絶妙だったか、
もう少し補足しよう。

『ストII』シリーズの根本的なお約束として、
1試合は3ラウンド制となっている。
そのうち、2ラウンドを取ったほうが勝ちとなる。
どちらかが2ラウンド取ったらその時点で勝ちだし、
両方が1ラウンドずつを取り合ったら、
3ラウンド目を勝ったほうが試合の勝者となる。

このルールがぼくらの夜通しの勝負を
じつに、ちょうどよく、盛り上げた。

たとえば、ぼくが、なにかのはずみで、
たまたま1ラウンド勝っただけでは
「1勝」したことにはならない。
当たり前のことを逆から書くけれども、
オサダがごくまれに1ラウンドを失ったところで
「50連勝」の夢がついえるわけではない。

ヘタなぼくが「その夜の勝利」を手に入れるには、
オサダを相手に2ラウンド勝たなくてはならない。
うまいオサダが「その夜の勝利」を勝ち取るには、
ぼくを相手に50連勝もしなければならないが、
1試合につき「1ラウンド」だけなら
落としても構わない。
このあたりの加減が、なんとも絶妙だったのだ。

何度も書くが、ぼくはゲームがうまくない。
ゲーム雑誌の編集部においては
はっきりと最下層だったといっていい。
けれども、一般的なゲームファンとしては
そんなにバカみたいにヘタなわけではない。
波動拳は、出なかったときに驚くくらい出るし、
昇龍拳だって、5割くらいの確率で出る。

そういうぼくがすごく必死にプレイしていると、
10試合に1回くらい、1ラウンド勝つことがある。
すなわち、「その夜の勝利」に対して、
リーチをかけるような局面が訪れる。
そのときの、ふたりの間の空気が
ピーーーンと張りつめる感じが、
想像できるだろうか。

あえて分不相応な比喩を重ねると、
ウィンブルドンの決勝で
延々と続くかと思われた
最終セットのタイブレークが
ひょいっとマッチポイントに切り替わる瞬間。
それを5万倍に薄めたくらいの緊張感が
ふたりの間に流れるのだ。

オサダがいつも通りの冷静さを保ってプレイすれば
何度も述べたようにまず負けることがない。
ところが、「ここを負けると終わり」という瞬間が
何十も連勝を重ねているときに、不意に訪れると、
それほど冷静ではいられない。

そういうときに、ぼくの昇龍拳が
出たり出なかったりするというのは
彼にとって急にやっかいな材料になったりする。
技の出が不確実であるということは、
通常の対戦においては不利なはずなのに、
上級者が下級者相手に完全な勝利を狙うときは
たいへん判断の難しい困った要素になるのだ。

似た話でいうと、ぼくの編み出した必殺技のなかに
(というか勝手に言ってるだけの技であるけど)
「いったれ竜巻」というものがある。
これは、竜巻旋風脚(大)を出し、
それが終わって下りてきた瞬間に
また竜巻旋風脚(大)を出して、
「たつまきせんぷーきゃ!」
「たつまきせんぷーきゃ!」というふうに
右から左へ、左から右へ往復するという、
たいへんに素人くさい連携である。

対処法は簡単だ。
離れていれば波動拳で撃ち落とせばいい。
至近距離ならガードしておいて
下り際の無防備な硬直状態に
昇龍拳でもなんでも重ねればいい。

けれども、もう1ラウンドも落とせないとき、
絶対にミスが許されないとわかっているとき、
なぜか、その「当然のこと」ができなくなる。
またしても分不相応な事象を重ねるけれど、
「甲子園には魔物が棲んでいる」
というのとおなじ理屈である。

そういうふうにして、
ぼくらはその日の長い夜を
ぜんたいで1試合するかののように遊んでいた。

1勝すれば、ぼくの勝ち。
50連勝すれば、オサダの勝ち。

ゲームをぼくらが最大限に楽しむために
自然とつくったルールの真髄が
なんとなく、わかっていただけただろうか?

さて、前回述べた「8秒KO」と同じように
ぼくとオサダがいまも忘れない瞬間がある。

その夜、オサダは絶好調での
どんどん勝ちを重ねていた。
オサダがどんどん勝ちを重ねることは
当たり前のことではあったけれども、
それにしたって、その夜は危なげがなかった。

10連勝、20連勝‥‥記録は着実のびた。
これはヤバい、とぼくは感じた。
ちょっとだけオサダの集中力が薄れたときに、
ときどき1ラウンド取ったりしたけれども、
1ラウンド失ったあとのオサダは
ものすごく集中して容赦なくぼくを叩きのめした。

これは、なかなか勝てない。

夜が深まるごとに、
着実にオサダの連勝は伸びていった。
30連勝、そして‥‥40連勝!

オサダに栄光のゴールがちらと見えたとき、
ぼくに最後のチャンスが転がり込んできた。
1ラウンドを、ぼくは得た。
──突然の、マッチポイント!

そのときのぼくの、
へたくそなりのすさまじい集中力と、
まったくことばを発しない
オサダの異常な緊張感を
わかってくれというほうが無理だろう。

ギャラリーもない。審判もいない。
勝って賞金が出るわけでもない。
名前が刻まれるトロフィーがあるわけでもない。
のちにここでこんなふうに書かれて
多くの人に読まれることになるなんて、
ともに二十代のぼくらは
これっぽっちも思っていない。

ぼくとオサダは、
ただ純粋に「その夜の勝利」だけを求めて、
スーパーファミコンの
コントローラーを握っていた。

そして、ぼくは拳を突き上げて、
オサダは頭を抱えて机に突っ伏す。
その風景をいまもありありと覚えている。

それは、じつに「49戦目」のことだった。
つまり「1勝48敗」。
「1勝48敗」で、ぼくの大勝利である!

ふつうに考えれば、
「1勝48敗」は大敗である。
同様に「48勝1敗」は圧勝といっていい。
けれども、ぼくは拳を突き上げ、
オサダは頭を抱えて机に突っ伏す。

その瞬間のことを、
そういったぼくらの特殊な取り決めのことを、
ちょっと書いてみようかなと思って
ぼくは書きはじめたのだ。

書いていたら、こんなに長くなった。
長くなった理由は、じつはよくわかる。
思い出していたら、
「ああ、たのしかったなぁ!」と感じたのだ。
そういう、たのしい気持ちが
どんどんどんどんよみがえってきたのだ。

だから、予定外のエピソードを
つぎつぎにつけ足したり挿んだりした。
構成としてはずいぶんアンバランスになると
わかっていたけれども、
バイキング形式の食べ放題のレストランで
つぎつぎに料理を皿に盛る小学生のように
ぽろぽろ湧き上がってくるエピソードを
どんどん書いていった。

終わりに、違う思いがぼくのなかにある。
こんなことを書くことになるとは
思わなかったなぁと思いながら書く。

そのゲーム雑誌をぼくは8年も前に離れたが、
オサダはまだそこに残り続け、
ついに去年、週刊ファミ通の編集長になった。
もう、あのころいた仲間は、
その場にほとんど残っていない。
いわば、彼は同期の最後の星である。
冷静な判断というよりは
気合いで物事の乗り切るオサダが、
どちらかといえば不器用にも思えるオサダが、
週刊ゲーム誌の編集長という
とんでもなくタフな大役を務めることになった。

「へぇー、あのオサダが?」と、
ともにアルバイトだったぼくは
ちょっと笑っちゃいそうになる反面、
オサダならきっと大丈夫だ、とも思う。

がんばれ、と思う。
ゲーム雑誌も出版業界も、
おれらが夜通し『ストII』で
遊んでときのような余裕は、
きっと、いま、ないと思う。
そして、気にしなきゃいけないこと、
わかっておかなきゃいけないこと、
あのころよりもぜんぜん多いと思う。

そこに自分がいたら、ということは
よくもわるくも、まったく思わない。
ぼくがその器ではなかったことは
はっきりと確信できる。

オサダでよかったと思う。
がんばれ、と思う。

ああ、なんだか、
過剰で饒舌で大げさな
乾杯の挨拶みたいになってしまった。
途中でウィンブルドンとか甲子園のこととか
重ねちゃったからだろうか。

これまで長々と書き散らかしたついでに、
この原稿も、直さず、このままアップします。

願わくば、あなたと、
あなたのともだちのあいだに、
いつもよい対戦ゲームがあらんことを。

(おしまい)

04/05 23:07

『ストII』の思い出。その7

ゲームをたのしむときの
もっとも重要な条件のひとつは、
知識も腕前も同じくらいの仲間といっしょに
そのゲームを遊ぶことである。
それは、対戦ゲームであろうと、
ひとり用のゲームであろうと、
等しくそうである。

だから、
知識と腕前にギャップがあるときは、
じつはどちらかが工夫しなければならない。
おおむね、秀でるほうが下りる。
というのも、知識も腕前もないほうには
ギャップを埋める余裕がまったくないからだ。

しかしながら、知識と腕前のあるほうが
階段のずいぶん上のほうから下りてきた場合、
彼はそのゲームをこころからはたのしめない。
簡単にいえば、本気でプレイしてないからである。
引き替えに、彼は、
そのゲームにあまり経験のない人が
そのゲームの魅力に気づいていく、
という別の喜びを得るけれども
それも最初のステップに限った話で、
その喜びだけで延々と遊ぶことはできない。
また、相手に下りてきてもらったほうも、
延々と遊んでいるうちに
申し訳なく思えてくるのがふつうだ。

したがって、
そのゲームの上手な人とヘタな人が、
「延々と」それを楽しむということは、
そうとう難しい。
とりわけ、対戦格闘ゲームのような、
「本気で取り組んだ末の勝ち負け」に
醍醐味があるようなゲームにおいては。

前回までの流れをすべて追えている人が
どのくらいいらっしゃるのか
たいへん不安だけれども、
読んでくださった方には、
以上のような話が、
以下のように当てはまることが
おわかりだと思う。

ゲームの上手なほうが、オサダという男で、
ゲームのヘタなほうが、ぼくである。

オサダは、ゲームのうまい男だった。
そして、どちらかといえば、
古くさいタイプの、ゲーマーだった。

ほんとうに、真の意味でゲームがうまいのは、
オサダよりも一回り若い、
シノハラとかオバラとかママダとか、
そのあたりの「ゲームをバラす」タイプの
ゲーマーたちである。
彼らは、冷静にゲームを分析し、
効率を重んじ、理論値へ向けて集中する。

いっぽう、オサダはたしかにゲームはうまいが、
基本的には経験則と気合いで乗り切る。
彼のプレイには無駄があり、
場を盛り上げはするけれども、
真剣に勝ち負けを競った場合は
だいたい準決勝くらいで負ける。
いや、それにしたって、
ゲームの腕前としてはそうとうなものだけれど。

そんなオサダとぼくは
ともに時給で働いていたある一時期、
延々と『ストIIターボ』を遊んでいた。
述べたように、
圧倒的な実力差のあるふたりである。
わかりやすくいえば、
10回対戦したら、
オサダが10連勝、ぼくが10連敗、
というくらいの差が両者にはある。

そんなふたりが、
『ストII』シリーズのような
「本気で渡り合った末に勝つこと」
こそが醍醐味のゲームにおいて、
どうして延々と対戦することができたのか。
勝って当たり前のオサダと、
負けて当然のぼくが、
どうして、今日も昨日も明後日も
対戦をたのしむことができたのか。

はじめに言っておくと、
多くの対戦ゲームに設けられている
「ハンディキャップ」のシステムを
利用したわけではない。
だって、それを利用して
両者のギャップを埋めたところで、
ゲームはちっとも平等にはならない。
それどころかむしろ、
どちらが勝っても、どちらが負けても、
それが「ハンディキャップ」の土台に
のったうえで成り立っているということが、
どうしようもなく、両者を冷めさせる。
喜びも悔しさも、会心も痛恨も、
ひどく曖昧でぼんやりとしたものになる。

ではどうしたかというと、
答えはたいへんシンプルである。

オサダは全力でぼくを倒しに来た。
ぼくは全力でそれにあらがった。
いちいち、両者はそれを本気でやった。

それだけである。

たとえばオサダは絶対に手を抜かなかった。
そしてぼくはいつかどうにかして
オサダに勝つつもりでいた。
ふたりが、ともにその姿勢を崩さないかぎり、
対戦は、一回一回が真剣勝負となる。
とりわけ、『ストII』シリーズのような、
「本気の勝負」が成り立つように、
ぎりぎりまで調整されているゲームにおいては。
ぼくはつねにオサダに勝つつもりだったし、
オサダはつねにぼくに圧勝するつもりだった。
互いが、その瞬間瞬間に、本気であることは、
いいゲームであればあるほどよくわかる。
それを信頼と呼ぶことだってできると思う。

ひょっとしたら、
オサダが飽きているのではないかと
ぼくが一瞬でも感じたらそれは成り立たない。
ひょっとしたら、
ぼくが勝つことをあきらめているのではないかと
オサダがちょっとでも感じたら
彼の動機は根本的に揺らいでしまう。
そして、両者のあいだにあるゲームが、
両者の気持ちや姿勢を
うまく反映できないようなゲームであれば、
互いは互いのことをうまく把握できない。

別の言い方をすると、
いい対戦ゲームは、
信頼し合ったふたりが真剣にプレイすると、
ことば以上の何かを交わすことができる。
重要なことだからくり返そう。
いい対戦ゲームは、
信頼し合ったふたりが真剣にプレイすると、
ことば以上の何かを交わすことができる。

エピソードを、ひとつ。

ぼくとオサダの間で語りぐさになっている
名勝負のうちのひとつに
「戦慄の8秒KO」というのがある。

むろん、負けたのはぼくのリュウであり、
勝ったのはオサダのケンである。
ちなみに、ぼくのキャラクターはつねにリュウで、
オサダのキャラクターはつねにケンだった。
そして、ふたりが戦うのは、
つねにリュウステージだった。
ぼくらは延々と、それこそ延々と対戦を重ねたが、
この組み合わせは、変わることがなかった。
なぜというにそれは当然のことで、
ぼくらはお互い、つねに本気だったから
つねにいちばん自信のあるキャラクターを
選ばざるをえなかったし、
一試合でも多く対戦したかったから
ステージを選ぶ時間さえ無駄に思えたのだ。

そして、ある晩、ある対戦の、あるラウンドで、
その記録は生まれた。

勝負がついたとき、
オサダの操るケンの体力ゲージは
1ミリも減っていなかった。
いわゆるぼくのパーフェクト負けである。
ぼくがパーフェクト負けすること自体は
さほど珍しいことではない。
ふたりが驚愕したのは、その時間である。

ぼくのリュウがスローモーションで
吹っ飛ばされながら勝負が決まったとき、
画面中央のタイム表示はなんと、
「91」を示していた。
その表示はラウンドのスタートと同時に
「99」からカウントダウンされる。
つまり、ぼくは開始後、
たったの8秒でKOされたことになる。

それ以後、何度も何度もぼくは
オサダにパーフェクト負けしたが、
ぼくらは「91」のタイム表示を
その後ついに一度も見ることがなかった。
それほど、あの勝負は希有だった。

さて、ここからが重要なところだ。
今日、長々と書いたなかで
いちばん重要なところだ。

「91」のタイム表示は、
8秒でパーフェクト負けしたその勝負は、
オサダだけの勝利の記録ではない。
そのびっくりするようなレコードは、
ぼくにとっても誇らしいのだ。

だって、その「8秒KO」は、
ぼくとオサダがふたりで真剣に
対戦することによって、
生みだした記録であるからだ。
冗談じゃない。
うまいやつがヘタなやつを
何回ぶっ飛ばしたところで
「8秒KO」なんていう記録は出ない。
冗談じゃない。

その輝かしい記録は、
開始とともにぼくが攻め込み、
カウンターを喰らってピヨって
めくられてアッパー昇龍を
ものの見事にぜんぶ喰らうことによって
はじめて生まれる記録なのだ。
そして、ぶっ飛ばすほうも、
相手の実力が低いことに
まったく油断することなく
つねに集中して少しでも多くのコンボを
相手にたたき込もうと心がけていて、
はじめて生まれる記録なのだ。

さすがに数字以外の詳細は憶えてないが、
ぼくらはきっと声をあげただろう。
その「瞬殺」のすさまじさに、
喜んだり悔しがったりという以上に
ゲラゲラ笑っただろう。

そういうふうに
ぼくらは『ストIIターボ』をプレイした。

(次回できっと、終わります。たぶん)

04/03 14:27

『ストII』の思い出。その6

どういうわけか、
スーパーファミコン用ソフトの
『ストリートファイターII』について
ずいぶん長く書いています。
本人にとっては、
「いや、その、行きがかり上‥‥」
という感じなのですが、
これだけ長々と書き散らかしておいて、
その言い回しは
少々自分勝手が過ぎる気もします。

ま、でも、いまさらテンポを変えるのも
あんまり意味がないでしょうから、
毒を食べたみなさんは
お皿までお召し上がりください。

いまごろかよ、という一斉のつっこみを
自己の背中に受けることを
あらかじめ予想しながら書くけれども、
じつは、書きたかった話というのは
ここから先のことである。
つまり、驚くことに、
話はようやく本題へと入っていく。
いまごろかよ。

大学時代、急に、ゲームという
たいへんおもしろい娯楽と出会い、
強いモチベーションとともに
毎週ゲーム雑誌を読んでいたぼくは、
大学の卒業を機会に
そのゲーム雑誌の編集部に紛れ込む。
といっても、
あーもしもしキミキミ、
と守衛さんに呼び止められるような
紛れ込み方ではない。
きちんと履歴書を出し、作文を書き、
選考と面接に通ったうえで、
アルバイトとして勤めることになったのだ。

ちなみにそのゲーム雑誌の名前は
「ファミコン通信」といった。
その誌名が「ファミ通」と
縮められる以前の時代である。

さて、ここまで
この「必然性のない長い思い出話」に
おつき合いくださった方なら
とっくにおわかりかと思うけれども、
ゲーム雑誌という非常にコアな
ゲームの専門家が集う場所において、
ぼくはかなり場違いな存在だった。
ありていにいえば、おそろしく素人だった。
特筆すべき一般人だった。
白眉ともいえる無知だった。
知識、造詣においてはむろん、
いわんや、ゲームの腕前においてをや。

そのころ、さすがに
スーパーファミコン用ソフトの
『ストリートファイターII』は
ピークを過ぎていた。
けれども、決定版とでもいうべき、
待ちに待たれていた新作が出た。

それが
『ストリートファイターIIターボ』である。
『II』のつぎは『III』ではなく
『IIターボ』なのである。
正確にいうと、そのまえには
アーケード版の『II’(ダッシュ)』があり、
たいへんややこしいのである。
こういうことをいちいち書いているから
この3DS日記のウインドウが
ひとりだけ不自然に長くなるのである。

全国のゲームファンに待たれていた
『ストIIターボ』が世に出ていたとき、
ゲーム雑誌のアルバイトという立場にいた幸運を、
古いゲームファンほど、深く理解するだろう。
なぜというに、対戦相手にきりがない。
ボムを投げれば対戦相手に当たる、
とはこのことである。

が、はっきりさせておきたい。
それは、まったく仕事ではなかった。
当時、ぺーぺーのアルバイトであったぼくは
『ストIIターボ』という
雑誌にとってのメインともいえる花形ソフトを
手がけられるような立場になかった。
そして、キャリアが足りなかったのみならず、
否、キャリアの有無に関わらず、
ぼくには対戦格闘ゲームをひもといて
記事にするような腕前がまったくなかったのだ。
なんせ、特筆すべき素人であるから。
白眉であるから。風光明媚であるから。

それでもっぱらぼくは
ただの遊びとして『ストIIターボ』をプレイした。
幸い、仕事と仕事の合間にゲームを遊ぶことは、
その職場では公式に認められていることであった。
(度を過ぎると怒鳴られたが)

もっともたのしかったことは、
その日にやるつもりの仕事を
いちおうぜんぶ終わらせて、
帰る支度をすませておいて、
たっぷりと『ストIIターボ』を遊ぶことである。
たっぷりと、それはもう、たっぷりと、
終電なんぞはとっくにあきらめておいて、
『ストIIターボ』を遊ぶことである。
なにしろ、こないだまで大学生だった身だ。
徹夜も朝帰りも、
プールで100メートル泳ぐくらいの
苦労でこなすことができた。

一瞬だけ話が遠のくが、
最近、ぼくはしみじみと感じることがある。
少人数の友だちと、時間の制限なく、
好きなことを延々とやる。
それにまさるたのしみはないと思う。
おしゃべりとか、麻雀とか、編み物とか、
思い出話とか、飲み会とか、ゲームとか。
少人数の友だちと、時間の制限なく、
好きなことを延々とやる。
それにまさる娯楽はないのではないか、
とぼくは思う。

そのようにして、
自分がゲーム業界の一端にいるということすら
きちんと理解していないようなバイト時代、
ぼくは、おもに深夜から朝方にかけて、
延々と『ストIIターボ』を遊んだ一時期がある。
それがある種のきらめきをともないながら
こんなふうに思い出されることになるなんて、
そのころは、これっぽっちも思っていなかった。

そして、きわめて重要なことに、
対戦格闘ゲームには対戦相手が必要である。
夜通しぼくとしのぎを削ったのは、
同時期にアルバイトとして入った
オサダという男である。

そう、ぼくは、オサダとのことを
ここに書こうと思って
何気なく書きはじめただけだったのだ。

(というわけで、本編へ、つづく)

04/02 04:28

『ストII』の思い出。その5

誰がどんなふうに読んでいるのか
よくわからないのですが、
1992年ごろの『ストII』の思い出話、
せっかくですから続けていきましょう。

というか、ですね。
じつは、ほんとは、『ストII』にまつわる、
昔のエピソードをひとつだけ書こうとして、
そこへの導入をなんとなくつづっていたら
こーんなことになっちゃったんですよ。

3DS日記なんだし、
さっさとそのエピソードを書いて
おしまいにすればいいんですけど、
なんていうか、書いてるうちに、
ああ、こういうこともあった、
それってこういうことなんだな、
っていうふうに、つぎからつぎに、
話が自然に積み重なってきて‥‥。

そんなわけで、
今日もそのエピソードに入れるかどうか‥‥
はい、いずれにせよ、
コンパクトに済ませるつもりです。

ひとりの部屋で、
ぼくはそうとうに練習を重ねた。
操るキャラクターはむろんリュウである。

波動拳はかなりの確率で出るようになった。
むしろ、「あ、出なかった」ということに
驚くくらいまでに上達した。
あ、これはいい比喩だ。
ぼくの波動拳の成功確率は
出なかったときに驚くくらいにまで上がった。
うん。

一方の昇龍拳は正直いって、五分五分である。
たぶん、いまでも五分五分である。
この、出たり出なかったりという
ぼくの昇龍拳の成功確率は、
やがてある男を悩ませることになるのだが、
それはまた別の機会に述べる話である。

リュウでついにベガを倒し、
ぼくは正式に『ストII』の
エンディングを見た。
夕陽の並木道を静かに去って行く
リュウのエンディングを見ながら
ぼくはしみじみと感動したものだ。
なんで並木道やねん、などとは
つゆほども思わなかったものだ。

そうしてぼくはぼくの部屋で
ぼくの部屋選手権の第1位となり、
ぼくの部屋チャンピオンとして
ぼくやぼくから激しく賞賛された。
ぼくは胸を張り、ぼくはぼくが誇らしかった。

そうして、ちょっとした好奇心から、
街へと出かけたのである。

そのころ、ゲーム雑誌から
ある程度の知識を得ていたぼくは知っていた。
この、スーパーファミコン用の
『ストリートファイターII』というソフトは
アーケードゲームの移植版であるということを。
つまり、もともとは、
ゲームセンターで稼働している
ゲームであるということを。

それをぼくは見に行ったのだ。
ちまたで盛り上がっている
ゲームセンターでの対戦風景というのは
いったいどういうもんだろうか、と。

誓っていうけれどもその動機は
いわゆる
「俺より強いやつに会いに行く」
というものではない。
なんというか、理解できる娯楽が増えたから
ちょっとそれを観賞にいく、
というつもりだったのだ。

あ、でも、どうだろう。
ひょっとしたらそこで、
ちょっと自分もやってみたい、
という気持ちが
なくはないことはないことないこと
ないかもしれなくない。

ともあれ、ぼくは出かけた。
さすがにおぼろな記憶だが、
荻窪の小さなゲームセンターだ。
ぼんやり残る風景は、なぜか昼間だ。

そこに、聞き覚えのある
音楽と効果音が響いていた。
席にはすでにプレイヤーが座っていて、
操っていたのはブランカだった。
エレクトリックサンダーを
相手の降下際に効果的に使っていて
「うわぁ、さすがにうまいわ」
と思ったことを憶えている。

見たときは気づかなかったが
そこで彼はコンピューターを相手に
プレイしていたのだ。
なぜそうわかるかというと、
彼のブランカを惚れ惚れと眺めるうち、
画面にこんな文字が現れたのだ。

『HERE COMES A NEW CHARENGER!!』

コンピューター戦は、突然終わり、
そこにロシアの屈強な格闘家、
ザンギエフが現れた。

おそらく、多くのみなさんは
ゲームセンターの格闘ゲームについて
直接の知識がないだろうから
かんたんに説明しておこう。

ゲームセンターの対戦格闘ゲームには
「乱入」というシステムがふつうに存在し、
そのゲームの台と対になっているゲームの台に
ほかのプレイヤーがコインを入れると、
ふつうに、1対1の対戦がはじまるのである。
(ちなみに、多くの場合、
 つながってる台と台は背中合わせになっていて
 対戦相手は自分の画面の向こう側に座ってる)

と、いうようなことが、
ほんとにはわかってなかったのだ、
そのころのぼくは。

むろん、知識としては、知っていた。
けれども、目の前でそれを見たときの衝撃は
そうとうなものだった。

だって、ひとりが遊んでいるところに、
無言で他人が入ってくるのだ。
それで、1対1で、
パンチとキックと必殺技で、
急に戦いはじめるのだ。
なんて粗野な、とぼくは思った。
ものすごくひりひりした。
正直にいえば、ちょっと怖かったのだ。

そして問答無用で戦いははじまり、
さきほどまで隙なく勝ち進んでいたブランカが
ザンギエフにあっという間にねじ伏せられた。

負けたブランカ使いは
これまた無言で席を立った。
つまり、彼のプレイは、
ほかの誰かの粗野で横暴な「乱入」によって
無理矢理に終わらせられたのだ。
書くのも野暮だが、
終わらせられた彼のプレイには
最低100円の資本が投下されているはずであり、
それと引き替えに享受されていた
たのしいゲームの時間は、
向かい側にすわった彼によって突然奪われ、
しかもその資本は当然のように返ってこない。
なんて理不尽な、と思うが、
席を立ったブランカ使いの彼も、
向かい側で平然とプレイを続ける
ザンギエフ使いの彼も、
その理不尽を当たり前の前提としてここにいる。

勝負のあとに、挨拶も会釈もない。
両者は相変わらず他人のままで、
他人のくせにゲームで突然対戦をはじめ、
一方は勝ち、一方は負け、
拍手も歓声もなく勝負は終わり、
ゲームはまた、当たり前に、つづいている。
変わったことといえば、
そこに残ったキャラクターが
ブランカからザンギエフになってことだけ。

それのぜんぶが
わずか2分くらいのことだ。

見届けたぼくはどうしたか。
帰ったのだ。
そのまま。
うわぁ、と思って。

ぼくがもう少しゲームの腕に
自信があったら違ったかもしれない。
あるいは、トガシ君と
飽きるほどに対戦を重ねていたら、
よし、ダメもとでいっちょう、
などとポジティブに受け止めたかもしれない。

けれども、
ようよう波動拳が出せるようになり、
昇龍拳にいたっては五分五分である
大学生デビューの素人ゲームファンには、
その光景はちょっとハードボイルドすぎた。

それでぼくはドキドキしながら
ゲームセンターから逃げ出す羽目になった。
その後、ぼくが「他人との問答無用の対戦」に
ひりひりするような快感を覚えるのは
約2年後の『バーチャファイター』まで
待たなくてはならないのだが、
待つ必要なんてまったくないし、
そこまではさすがに書く気もない。

(開き直って、つづく)

03/29 10:50

『ストII』の思い出。その4

1992年の思い出話が続いています。
どうぞ適当に読み飛ばしてください。

当時のことをこんなふうに
思い起こしたことはなかったので、
こうして書きながら自分で
そうだったかと自覚することがあるんですが、
思えば、『ストII』との出会いは、
ぼくの人生に具体的な影響を及ぼしている。

いえ、精神的な支柱とか、
そういうんじゃなくて、
もっと具体的な話。

なにかというと、
ゲーム雑誌との出会いである。

ゲームというジレンマのかたまりに出会い、
乗り越えられずに苦悶するとき、
プレイヤーは糸口を切実にもとめる。
伝えづらいがそこにしっかりと
注釈として添えておきたいのは、
それは「解答」ではなく、
「糸口」だったということだ。

あの時代のゲーム雑誌、
あるいは攻略本は、
読み手との関係において
独特の親密さがあったように思う。
それは、さかのぼると、
ゲームとプレイヤーの関係に起因する。

薗部博之さんは
「ゲームとはジレンマである」と言った。
それに呼応することばを
のちに任天堂社長の岩田聡さんが述べている。
岩田さんは、
人がなにかを乗り越えようとするとき
「そこにはご褒美が必要だ」と言った。

この、ジレンマとご褒美のバランスは
おそらく時代とともに変化する。
ぼくが1992年の思い出を
こうしてつらつら書き出すとき、
しょっちゅうそこに「当時は」ということばを
添えなくてはならないのはそういうことである。

ほんとはもっと整理して書けばいいんですけど、
日記という形式に甘えて
とっちらかりながら進めますね。

ジレンマを乗り越えた先にご褒美がある。
そのご褒美をきちんとご褒美だと
感じられるように提示するのが
つくり手の技量であり、
「ご褒美を感じ取る能力」にすぐれた人は、
人が困難だと感じることも
壁の向こうにあるご褒美を信じて取り組むから
乗り越えることができる。
それはもう、ゲームに限らず、人生において。
岩田さんのことばをぼくはそう解釈している。

とっちらかりながら話がやや戻る。
この、「ジレンマ」と「ご褒美」との関係、
そしてそこにもとめられる「糸口」。
振り返ってみると、
その三者のバランスが
この時代のゲームにおいては
とても親密だったとぼくは感じる。

なぜかというと、それらはすべて、
「ゲームのつくり手の意思」によって
やわからく制御されていたからだ。

ややこしいから要点を突こう。
当時、ゲーム雑誌も攻略本も
「ゲームを攻略する範囲」
というのが決められていた。
それによって、結果的に、
ゲームをどのようにほどいていくのか
ということも、ある程度、
ゲームのつくり手の意思に基づくことになった。

攻略範囲の規制が
商業的な理由も含んでいるとか、
自由奔放な遊びの広がりを阻んだとか
違う側面も持っていると思うけど、
それはいま話したいことではない。

いま、ゲームに行き詰まり、
どうしても簡単に答えを知りたいと思ったら、
ネットを探すと、おおむねそこに答えはある。
それはそれでたいへん便利だし、
実際ぼくも、ああ助かった、みたいなこともある。

善し悪しではなく純粋に事実として、
当時はそういった
「網羅的な解答の提示」が
ほとんど発達していなかった。
玄人が集う深い場所には
それ用の楽しみとして存在したが、
少なくとも気軽にのぞけるところにはなかった。

抽象的、かつ詩的にいえば、
当時のゲームは発売されてすぐ
バラバラに刻まれるということがなかった。
(ゲームを「バラす」というのは、
 90年代の終わりにかけて
 仲間内でつかわれだした表現である)

それで、当時、ゲームは基本的に、
つくり手が推奨するような速度で
のんびりとほどかれ、
その「糸口」をヒントに
遊び手は家でひとりであれこれと工夫をこらした。
それ以外になかったから
家でひとりであれこれと工夫をこらしたのだけれど
あれこれと工夫をこらすからこそ、
ジレンマを乗り越えたときのご褒美は
ほんとうに、格別だった。

ああ、このまま、
ずぶずぶと論旨が深みにハマりそうだから
ぷはぁと水面に顔を出すようにして
具体的な思い出話に戻りましょう。

とにかく、ベガが倒せなかった。

バルログのときは自分で解法が
なんとなく想像できたけれども、
『ストリートファイターII』の
いわゆるラスボスであるベガには、
挑んでも挑んでも挑んでも、勝てなかった。
当時の、コントローラーを
ぎりぎりとひねるような悔しさを胸に、
もう一度、くり返そう。

挑んでも挑んでも挑んでも、勝てなかった。

もう、ほんとに、どうすればいいのか、
まったくもってわからなかった。
無理! とふて寝して、
起きてコントローラーを握って負けて
無理! とふて寝するような日々だった。
「以下、くり返し」とは、このことである。

そこに再びトガシ君が登場する。
トガシ君は、当時のぼくのバイト仲間で
ぼくにゲームという娯楽を教えてくれた人である。
ちなみにそれ以来会ってないから
いま、なにをやっているのかは知らない。
「ちなみに」に「ちなみに」を重ねる
ダブル脱線としてつけ加えると、
ちなみにトガシ君とぼくはものすごく
仲がよかったというわけでもないし、
(わるくもなかったけどさ)
なにしろ彼はそんなに長く
バイトをやってたわけでもないので、
こういう、ぼくの個人的な
「ゲームの思い出話」に
しょっちゅう登場するわりに
もう、顔もぼんやりとしか思い出せない。
きっと、電車の席で隣り合わせたとしても
お互いに気づかないだろうと思う。

さて、トガシ君は、
「ファミコン通信」という
ゲーム雑誌の熱心な読者だった。
家にトガシ君が置いていったんだったか、
バイト先に置いてあったんだか忘れたけれども、
ゲームに行き詰まって
たびたびのふて寝を余儀なくされるとき、
ゲーム雑誌を頼るという習慣がぼくにもできた。

ベガに百回くらい負けてふて寝していたぼくが
ある日、そのゲーム雑誌を読むと、
いろいろなことが書いてあった。

昇龍拳を出すときは、
十字ボタンの上にZの文字を描くように
入力すると出やすいこと。
自分がダウンしたときも、
起き上がるタイミングにあわせて
昇龍拳を入力すると、
起き上がる瞬間に昇龍拳が出る、ということ。
ときどき色の違う波動拳が出る、みたいなこと。

へーー、と思いながらぼくはそれを読んだ。
なにしろ、切実な問題を抱えているから
読むモチベーションがとんでもなく高い。

ある号には、ベガに対する、
なんともマヌケな攻略法が書かれていた。
春麗を選び、画面の端のところで、
中パンチだか中キックだか忘れたけれども
出しながら、ただジャンプをくり返していると、
かなり簡単にベガにダメージを与えられる、
というものだ。

うそだろ、と思いながら試してみたら
ほんとだった。
そんなわけで、ぼくが最初に
『ストII』をクリアーしたとき、
キャラクターは春麗だった。
クリアーの喜びに震えながらも、
どことなく釈然としなかったことを憶えている。

なんともマヌケな思い出である。

ああ、しかし、ちょっと
とっちらかりかたが激しすぎますね。
次回からはもうちょっとコンパクトに。
そして話も収束に向けていこう。

(いつまでつづけられるのかな)

03/28 10:40

『ストII』の思い出。その3

毎日、リアルタイムで、
ゲームの経験をつづっていくはずの場所で
1992年の出来事が語られている。
たいへん非常識で申し訳ありません。
ぼくも、まさかこんなことになるとは、
思いもしませんでした。

ちょっとだけ、『ストII』について
書くつもりだったんです。
ほんと、それだけだったんですけどね。

そういえば、って、
そもそも構造として脱線である読み物の
冒頭にまた脱線しますけど、
先日、糸井重里が、ニンテンドー3DSを
ちょこちょこ遊んでましてね。
なんか、質問したんですよ、ぼくに。
「すれ違い通信」のことについて。

で、ぼくがさらっとそれに答えたら、
「ほんと? 知ったかぶりしてない?」
みたいなことを言われたわけです。

こりゃぁ、心外、と思いましてね、
「糸井さん、ぼかぁ、仮にも、
 もとゲーム業界の人間ですよ」と、
こう答えたわけです。
「ゲームの本だって何冊も出してますよ」とね。

そしたら、糸井重里、こう言いました。
「いや、それは、永田くんが
 本を出す人だったっていうだけだよ。
 あんたがゲーム業界の
 人だったことなんて一度もない」

えーー、と思ったけど、
そうかも、とも思いました。
ああ、もう、ほんとに、
なにを書くコーナーだか
まったくわかんなくなってきましたね。

──1992年の話に戻る。
本題がそもそも脱線とはこのことである。

荻窪から中央線を一駅ずつのぼり、
とうとう中野の小さなゲームショップで
スーパーファミコン用ソフトの
『ストリートファイターII』を
手に入れたぼくは、めちゃめちゃそれを遊んだ。

人と対戦する以前、
それはまずひとり用ゲームとして
たいへん、おもしろかった。

たしかに『ストII』は
対戦格闘ゲームの金字塔としてゲーム史に残る。
けれども、ゲーム史に残ることばかりが
すべてではないし、ゲームに限らず、
しばしば「○○史」というのは、
ほんとうに大切なことを書き漏らす。

くり返して書くと、
スーパーファミコン用の
『ストリートファイターII』というのは、
まず、ひとり用のゲームとして
めちゃくちゃおもしろかった。

(それは、『バーチャファイター』にしても
 『マリオカート』にしても
 『パワプロ』にしても、そうである)

ひとりの部屋でぼくは
必殺技を出すことや、
つぎつぎと現れるファイターを
倒していくことに夢中になった。

勝ち抜いていくと
最終的に四天王と通称される
たいへん手強い敵が現れる。
バイソン、バルログ、サガット、
そして、ベガである。

最初の壁は個人的にバルログであった。

やつは背景の金網に急にのぼり、
突然、オレさまの頭上に降ってくる。

「なにそれ」だった。

そんなのどうすればいいのよ?
と、ぼくは思った。
そして、つぎの瞬間に、
「あ、昇龍拳か」と思った。

頭上から降ってくるバルログに対しては、
頭上の敵を攻撃するのにうってつけな必殺技、
「昇龍拳」をくり出せばいい。
くる、と思った瞬間、昇龍拳!
それでOKである、ともいえるが、
それができれば苦労はしない、ともいえる。

なんせ昇龍拳というのは、
十字キーをすばやく「右、下、右下」と
入力しながらパンチボタンを押すという
たいへんに高度な必殺技である。
幼少のころからファミコンのコントローラーを
握ってきた人なら簡単かもしれないが、
大学生デビューのぼくにはそれは到底無理だった。
ギターのFコードよりも無理だった。
まったく出席してない授業のレポートを
一発勝負ででっち上げるよりも無理だった。

つらい。無理っぽい。倒せない。
でもちょっと、いけそうなときもある。
出た、昇龍拳。出ない。やっぱり出ない。
あ、出た。でも無理。やっぱり無理。
んん? なんか調子いい。いけるかも?
あ、いけるかも? いけるかも!
ここで昇龍拳とかいってる場合じゃなくて、
なんだかしらないけど押せ押せ押せ、
うやむやでいい! なんでもいい!
なんでもいいから、いま勝ちたい!
やっぱ無理! いや、いける! 勝った。
え!! 勝った? 勝った、勝った!

そういうふうに、ぼくは夜を明かした。
きっと、そういうふうな、
ゲームのたのしまれかたは、
いまはもう、無理だろうと思う。

けれども、あの時代のゲームというのは、
そういうふうに「乗り越えられるべきもの」として
見事にチューンされていた。
その時代に大学生であった自分を
ゲームファンとして幸運に思う。

名作競馬シミュレーションゲーム
『ダービースタリオン』を開発した薗部博之さんは
「ゲームとはジレンマである」とおっしゃった。
聞いてぼくは、「それだ!」としびれた。

乗り越えられないものが提示され、
乗り越えられないと落ち込み、
乗り越えられるかもと予感し、
乗り越えたときに、小さく鋭く拳を握る。

かつてゲームはそんなふうにあり、
正直にいうと、いまもぼくは
そういった関係をゲームにどこか求めている。
時間も、余裕も、ぜんぜんないくせにね。

(つづく。のか。)

03/25 16:50

『ストII』の思い出。その2

※おそれいりますが、
 前回から読んでいただけると幸いです。

『ショーリューケン!』
「あ、出た! やった!」

そういう稲妻に撃ち抜かれながら、
ぼくは延々と対戦をくり返した。
1992年のある夜のことである。
ほどなく、トガシ君は帰ってしまった。
もちろん『ストII』のソフトを持って。
それはトガシ君のソフトなんだから、
当たり前である。

さっそくぼくは翌日、
ソフトを購入しに出かけるであるが、
そこでぼくは、
先日、ちらっと言った出来事に
はじめて遭遇するのである。

つまり、売り切れ。
どこの店に行っても、売り切れ。

そう、ニンテンドー3DSの発売直後、
ぼくは「こういうことには慣れている」と
わけのわからん自慢をしながら
あちこちの売場を
「完売警備」して回ったわけだけれども、
思えばそれを1992年から続けているのである。
完売警備員暦19年とはこのことである。
(じゅ、じゅうきゅうねんも!)

はじめての完売警備のことは
たいへんよく覚えている。

当時、ぼくは荻窪に住んでいた。
荻窪には、中古ソフト屋、
ゲーム売場のあるビデオ屋など、
あわせて、ええと、ひぃ、ふぅ、みぃ‥‥
たしか4つくらいのゲーム売場があった。
が、どこを探しても、
ぜーんぜん、売ってなかった。

それでぼくは電車に乗って
となりの阿佐ヶ谷駅で降りた。
目に着くまま、あちこちのゲーム売場に入った。
が、またしても、
ぜーんぜん、売ってなかった。

なんだこりゃ、すごいもんだな、
とぼくは思った。
だって、『ドラゴンクエスト』の行列、
みたいなことはニュースで知っていたけれど、
『ストリートファイター』とかいう
昨夜、知ったばかりのゲームが
どこに行っても売ってないほど人気だなんて、
そのころゲームという娯楽の入口を
ようやくくぐったばかりのぼくは
まったく知らなかったのだ。

荻窪にもない。
阿佐ヶ谷にもない。
となれば、
つぎは高円寺であろう。
「JR中央線のぼり東京駅行き作戦」
とはこのことである。

またしても話が長くなりそうなので
いちいち述べないけれども、
要するに、高円寺も全滅であった。
どこもかしこも売り切れであった。
「よし、完売!」と、
そのころのぼくには叫ぶ余裕がない。
なぜなら、そんなことって、はじめてだったし、
その経験がいずれなにかの
原稿にでも書けるぞ、なんて、
これっぽっちも思えなかったからだ。
(当たり前である)

荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺とくれば、
やはり中野である。
ありありと覚えているが、
中野の駅で降りたとき、
日はすでに暮れて夕方というよりは
はっきり夜になりかけていた。

中野がダメなら、
つぎの東中野と大久保をスッ飛ばして
新宿まで行くか‥‥
などとぼくは思案していた。

思案しながら目指したのは、
中野ブロードウェイである。
そう、古本屋とか、マンガ専門店とか、
いろんな「サブカル的」ショップが
ずらりと並んでいる中野ブロードウェイだ。
中野ブロードウェイになら、
ひょっとしたら‥‥とぼくは思っていた。

ふと見ると、
中野ブロードウェイに入る直前のところ、
駅から向かって左のほうの路地に
小さなゲームショップの看板が出ていた。
「高価買い取り!」なんていう
ビラが張り出されているような店だ。
看板の奥には、2階へと続く狭い階段。
どうやら、お店は2階にある。

中野ブロードウェイに突入する前に、
まずは小さな可能性を潰しておく、
というような気持ちで
ぼくはその狭い階段を上っていった。

そこに、あったのである。
『ストリートファイターII』が。

あの、鮮やかな青色を背景に、
キワモノっぽいファイターたちが
ごしゃごしゃっと固まっている
いかにもカプコンっぽいパッケージを
ぼくはずっと忘れることがないだろう。

20年近く前の話に
明らかな余談をつけ加えるようで
たいへん恐縮だけれども、
その後に続いた『ストII』シリーズの続編、
『ストリートファイターIIターボ』の
パッケージイラストにおいても
「ファイターたちがごしゃごしゃ」という
フォーマットは守られていて、
たいへんにうれしく、またそのパッケージは
たいへんにかっこよかった。
ほら、あの、いちばん奥にリュウの背中があって
真ん中でケンが昇龍拳を出していて、
手前正面に気孔拳を溜めている
春麗が大きく描かれているアレである。

ああ、アレね、と思ったあなた、
今度対戦しましょう。
それはそうと、また、つづく。

(書きすぎ。恐縮。つづく)

03/24 22:15

『ストII』の思い出。

『スーパーストリートファイターIV』、
というゲームは、正式にいうと、
「『ストリートファイター』シリーズ」の新作、
ということになるのかもしれないが、
スーパーファミコン世代はついつい
「『ストII』シリーズ」の新作、といってしまう。
そんなこと、ないですか?

『ストリートファイター』というゲームは
1987年にアーケード用の
対戦格闘ゲームとしてリリースされた。
けれども、それについて、ぼくは知らない。
知識として存在は知っているが、
遊んだことはない。

おそらく、ぼくを含む多くのゲームファンが
『ストリートファイター』という名前を心に刻むのは
2作目の『ストリートファイターII』からである。
もっとくわしくいうと、1992年に
スーパーファミコン用ソフトとして発売された
『ストリートファイターII』、
略して『ストII(ストツー)』からではないか。

思えば、スーパーファミコン用の『ストII』は、
ぼくがはじめて経験した
「すごく欲しいのにソフトが売場にない!」
というソフトである。
ちなみに、それ以前に発売された
ファミコンの人気ソフト、
たとえば『ドラクエ』シリーズなどは、
ぼくは発売されてずっと経ってから
のんびりとプレイしていたから、
「ソフトを求めて店から店へと放浪」
みたいなこととは無縁だった。

──ああ、すいません、
この原稿、ずいぶん長くなりそうな気がします。
どうぞお時間のあるときにお読みください。

ぼくにゲームという娯楽を教えてくれた
バイト先のトガシ君が、
ある日、「それ」を、持ってきたのだ。
そして、テレビの前面にある端子から
不格好につながっているスーパーファミコンの
でっかいスロットに「それ」を
ガスッとさし込んだのだ。
さしこむときは、ソフトの端子のある面に
「ふっ」と息を吹きかけたかもしれない。

対戦格闘ゲームというものをぼくは知らなかった。
大学生になり、ひとり暮らしをして
はじめて自分専用のゲーム機を買ったぼくは、
そもそもゲームについての知識が
ほとんどなかったけれども、
そのときその部屋にいた何人かの
ぼくよりはゲーム好きなバイト仲間にとっても
トガシ君が持ってきた「それ」は新しかった。

『ストリートファイターII』というゲームだ。

ようするに、ボタンを押すと、
パンチやキックが出て、
それがキャラクターの体に当たると、
体力がなくなっていく。
体力を示すゲージが0になったら負け。

そんな新しい遊びをぼくらは知らなかった。
とりわけ、新しかったのは、つぎの瞬間だ。

「‥‥! なんか、いま、出たよ?!」
「波動拳だよ」

決められたコマンドを入力すると、
必殺技が出るのだ。
具体的にいえば、ぼくの選んだリュウの場合、
下、右下、右を十字キーを入力しながら
パンチボタンを押すと、
「波動拳」という必殺技が出るのである
(キャラ右向き時)。

さらに!
右、下、右下と入力しながら
パンチボタンを押すと「昇龍拳」が‥‥
いやはや、これではきりがない。
書きたかった本題にまったく入らないまま、
いや、その導入にすら入れないまま、
こんなにも文字数を消費している。

ああ、しかし、
このあたりの場面の描写を抜きにして、
『ストII』シリーズへの思いは到底語れない。
「昇龍拳」を自在に出すことは無理だけれど、
なんとか「波動拳」は出せるようになりたいと、
その日、遊びながら練習しまくって、
あっという間に左手の親指の腹に
水ぶくれができた、というような話を無視して
『ストII』シリーズの重みは語れない。

しかし、いくらインターネットに
文字量の制限がないとはいえ、
とんでもない大長編を書くわけにも‥‥。

こうして書いていて、
ことの展開に我ながら驚くのだけれども、
なんと、この話‥‥つづく。

(明日以降に、つづきます。すいません!)

03/22 21:18

知らない人がたくさん。

ずいぶん、
いろんな人とすれ違ってます。

左の1枚目の写真、
写ってるのはほとんど一般の人です。
つまり、知らない人。
でも、ぼくの3DSの中にいる。
うーん、不思議。

今日、おお、と思ったのは、
すれ違った人の中に
山口県の人がいたこと。

これまではほぼ
関東の人たちばっかりだったので
なんか、妙にうれしかったです。

それにしてもなぁ、
なんか、不思議ですよねぇ。
山口県からなんかの用事で上京して
たまたま道とか駅とか電車とかで
ぼくとすれ違ったんですよね。

うーん、不思議。
そしてこの不思議さは、
かなりクセになるんですよね。
そんなわけで、今日も持ち歩く。

03/18 17:53

新しいあいさつ。

あいかわらず、
地下鉄のなかでいろんな人と
すれ違っています。

設定されたあいさつのなかに
震災にたいする
気遣いのコメントもちらほら。

ぼくもなんだかちょっと
あたたかいあいさつに
変えてみたいなと考えてたら、
いいことばを思いついた。

「ゲームは人々に笑顔をもたらす」
という、任天堂の岩田さんのことばです。

英訳とかしたらかっこいいかしら
と思って、弊社の堪能な人たちに
訳してもらった。

「Video games make people smile!」

おお、なんかいいじゃん!
と思って入れてみたら
残念、16文字まで!

じゃ、しょうがないっていうんで、
「ゲームで笑顔をふやそう。」
にしてみました。

03/17 04:49

ひっそりすれ違っていた。

ばたばたして、
そのままになっていた。

『スティールダイバー』の延期が決まった。
しょうがないかなと思う。

アクアブルーのニンテンドー3DSは
リュックの中に入れていたけど、
地下鉄のなかではなんとなく開かなかった。

昨日、今日と、二日続けて
乗っている地下鉄が止まった。
駅と駅の間の真っ暗な場所で、
地震のために緊急停止した。

どちらの場合も電車すぐに動き出したから、
いまとなっては
たいしたことではなかったとわかる。
けれど、止まった瞬間は、やはり怖い。

今日、リュックから
ニンテンドー3DSを出して開けた。
驚いた。
10人とすれ違っていた。

もちろん、「ほぼ日」の乗組員とも
すれ違っていたけど、
知らない人ともたくさんすれ違っていた。

あの止まった電車に乗っていたのか。
ぴりぴりと緊迫していたあの電車に。

被災地ではない場所では、
それぞれの日常で、
それぞれに当たり前のことが
起こっているのだろう。
笑い合ったり、冗談を言ったり、
ゲームをやったりすることもある。
たのしいものは、たのしい。
おかしいものは、おかしい。
おいしいものは、おいしい。
けれども、いま、こういう場所で、
それをおおっぴらに言うのは、
ちょっと難しかったりする。

それは、我慢とは違うと思う。
『スティールダイバー』が延期するのも、
ぼくはふつうに納得できる。

言いたいことを我慢しているのではない。
なんというか、それは、
当たり前に尊重し合う
「品」のようなものだ。
(‥‥英語でなんというのだろう?)

ここ数日、節電のため、
夜になると表参道もかなり暗い。
マスクをして、
黙って地下鉄に乗る人たちの荷物なかに、
スリープ中のニンテンドー3DSが
入っていることもある。

「ゲームをとおして、
 人々に笑顔をもたらしたい」というのは、
任天堂の岩田聡社長が
しばしば口にすることばである。

早くゲームが大っぴらに
求められるようになればいいな、と思う。

03/11 04:18

終電にて。

永田です。
更新が遅れてしまいましたが、
昨日の夜のことです。

終電に乗ってました。地下鉄です。
かなり混んでましたが、
運よく座れたので、
ウトウトしていました。

すると、ガタンと妙な揺れ方をして
電車が止まりました。
顔を上げると窓の外は
コンクリートの無骨な壁で、
駅と駅のあいだの中途半端な場所に
電車は止まっているようでした。

停止信号が出ているため、
安全確認をうんぬん‥‥
というアナウンスが流れました。
そんなに珍しいことでもないので
ぼくはまた少しウトウトしました。

5分‥‥も、
かからなかったのかな、実際は。
止まってるあいだは妙に長く感じたけど。

ちょっとイライラするような空気の中で、
安全確認できました、うんぬん‥‥
というアナウンスが流れて、
電車は動きはじめました。

そしてぼくは何分か遅れで駅に着き、
ものすごく寒かったので、
早足で家に帰り、
マフラーをとって、上着を掛けて、
着替えて、ふと、思いたって、
ニンテンドー3DSを開けてみたら、
わあ。
4人の人とすれちがってました。

きっと、あの電車のなかで、
停止中、じいっと待っていた人たち。
そのなかの4人がスリープ中の3DSを
持っていたんでしょう。

ああ、ずいぶん久しぶりに味わいましたが
これはやっぱり不思議な感覚です。
会社で、同僚たちとすれ違うのとも違う。
ネットを介して誰と交信するのとも違う。

ちょっと時間をさかのぼったところに、
たしかに場所を共有していた
ぼくとその人がいる。
すごく不思議で、
ほかでは味わえないようなこの感覚。

なんというか、振り返ると、
緊急停止した満員電車の車両さえも、
ちょっとうれしく感じるんです。
あのときは、「参ったなぁ」なんて
思ってたくせにね。

これはしかし、持ち歩いちゃうなぁ。
まるで、いつもの日常に、
違った軸が現れるようなうれしさ。
そんな経験でしたよ。

03/09 19:25

Miiをつくったら‥‥

出遅れ部隊の永田です。
出遅れてしまったぼくですが、
出遅れなりに、
出遅れMiiをつくって
出遅れ公開してみたところ‥‥。

小一時間ほどで、どどどどっと。
同僚たちが。
もとい、同僚と思われる人たちが。
なんていうか、こう、ちょっと、
デリカシーがない感じで
どどどどどっと。
こう、引っ越し当日に
新聞の勧誘員がやってくる
みたいな感じで。

記念すべきファーストすれちがいは
ものすごい顔をした糸井さんでした。

ところでこのジローって誰?
ジローなんて人、いないでしょ、弊社に。
ひょっとしてオレが
ぼんやりしているあいだに
誰か入社してる?

03/08 21:59

空っぽのスロットに‥‥

出遅れ組代表、永田です。
出遅れ組のみなさん、こんにちは!

出遅れついでに、
『スティールダイバー』の
発売を待つことにしたぼくですが、
なにせ発売は3月17日。
あと10日近くありますので、
それまでは充実の
本体ソフトを楽しんだり、
先行組がプレイしているソフトを
ひやかしたりして待つつもりです。

しかし、本来ソフトをさすべき、
ニンテンドー3DSのスロットが
空きっぱなしなのも寂しいでしょう、
ということで、DSでプレイしていた
ソフトを継続するかたちで
さしてみました。

いまさらながら、
『えいご漬け』でございます。
というのも、昨年末から今年にかけて
個人的に英語をがんばってみようか、
キャンペーン中でございまして、
発売時にいちど最後までやった
『えいご漬け』をもう一度
引っ張り出して遊んでいたのです。

毎朝の通勤時などにこつこつ
進めてまして、2回目も
ほとんど終わろうとしております。
今日の朝は、初めて3DSで
『えいご漬け』をプレイしました。

でね、思ったんですけどね、
あ、これ、気のせいだったら
ほんと、すいません。
のちに任天堂さんから否定されたら、
恥ずかしい独り合点だったということで
速攻、修正すると思いますけど、
とりあえずそう思ったということで書くと、
音、よくなってない?

これまで、電車の中で
リスニングしていた英語よりも、
無声音みたいなところが
すごくよく聞き取れる感じが
するんだけど?

あ、でも、ほんと、
そういうわけじゃなかったら
ほんと、すいません。

もごもごいいながら、おわります。
あ、そうそう、当たり前ですけど、
『えいご漬け』のアイコンや画面は
3Dにはなりませんよ。

03/07 17:43

起動!(いまごろですが)

すっかり出遅れました、
永田です。

出遅れたからには、
出遅れたことが個性です。
全国の出遅れたみなさん、
まぁ、出遅れどうし、
のんびり参りましょうや。

ええと、まずは箱を開けますよ。
って、どんだけ出遅れてんのよ!

みなさま、ご覧ください。
中は、このようになっております。

各種マニュアルなどなど、
いろいろあって、
そわそわしますね。
ぱらぱらめくるけど、
ちっとも内容が頭に入ってこない、
みたいな。

で、こういう、不織布的なものを
そーーーっと、
はがしたりする瞬間とかがね、
また格別でして。

いやぁ、新しい機械っていいなあ。

そして、たいへん出遅れまして、
まことにもって恐縮ですが、
電源オン! でございます。

よっしゃー!
遅ればせながら、
いろいろやってみますよ。
興味本位でちょこちょこ
ひやかしますよー。

でさ、いっつも、
こういう新しい機械を
デビューさせるときに
感じるんだけどさ、
箱、捨てらんないよね。箱。

いや、「断捨離」的には
捨てるべきだとわかっていても、
捨てられないよね。箱。

03/04 16:25

元・完売警備員の
待つソフト。

元・完売警備員の永田です。
いやもう、すっかりこころ穏やかです。
売場の動向なんぞ、
知ったこっちゃありません。

まぁ、買えるときは買えるよ。
焦らず行けよ、若人よ。
知力、体力、時の運。

それはそうと何人かから訊かれました。
「ソフトはどうしたんですか?」と。

はい、正直、売場では
買えるか買えないかの
いっぱいいっぱいでして、
「ととととりあえず、本体を!」
という感じだったもんですから、
ソフトまでは考えが至りませんでした。

しかしながら、おおまかなスタンスは
すでに決めてあったのです。
というのも私、任天堂さんのページで
岩田聡さんと宮本茂さんの
対談記事を担当いたしまして。

そこでのお話をうかがうにつけ、
よし、こうしようと
密かに決めたことがあったのです。
すなわち、最初のソフトは
『スティールダイバー』にしよう! と!

だって、この、正直、
まったく派手とはいえないゲーム、
宮本茂作品なんですよ。
宮本さんの新作、というだけで、
そりゃあ、触らないでか!
という感じですよ。
マリオでもゼルダでもピクミンでもなく
「潜水艦」ですよ? どういうこと?

そのあたりの謎めいた一切合切を
ぜーんぶ、「わくわく」に変えながら、
ぼくは『スティールダイバー』を
待つことに決めたのです。

あ、ちなみに発売日は3月17日。
それまでは、
みんなが遊んでるいろんなゲームを
ちょこちょこひやかしながら
過ごすとしましょう。

03/03 21:27

そして‥‥。

売場に行くと、例のあれが。
ほら、商品カード風の空箱が。

‥‥あるね。

でも、ほら‥‥
「ソールドアウト」的なことが‥‥
‥‥書いてないね、いまのところ。

なになに?
「レジでお申し付け下さい」と。
はい、わかりました。

レジで、とにかく、言ってみよう。

こう、並んでね、レジにね。

来たね。順番が。

はい、ええと、言うことはひとつ。

「ニンテンドー3DS本体。
 ブルーを」

あれ? んん?

ほほう‥‥。

ああ。

買った。

買えてしまった。

よし!!!!
これにて、完売警備、ほんとうに終了!

ああ、うれしい。
愛機がやってきたよ。

買ってしみじみ思ったんだけどね、
ゲーム、とくに、ゲームのハードって、
買うときに独特の感覚がある。
なんというか、基本的にそれは
「生きるうえで、
 なくても平気なもの」だから、
それゆえに買うときは、
ある種の決断が必要で、
その、きゅっとした決断を経たうえで、
たのしそうなことが詰まった
素敵な機械を手に入れると、
すごく、こう、
「自分のものになった」感がある。

もちろん、
個人的な感覚に過ぎないかもしれませんが。

そして、あらためて思うんだけど、
欲しいという気持ちが動きだしてからの
こまごまとしたぜんぶは、
やっぱり「ゲーム」に
含まれちゃってるような気がするなぁ。

「家を出て空港へ向かう道のりは、
 ハワイへの旅に含まれる。」
うちの上司が言ったことばです。

そんなわけで、
買ったよーー!!!
ニンテンドー3DS!!

03/03 20:25

違和感のあるメッセージ。

そして、新宿西口電気街といえば
やっぱりここです、ヨドバシカメラ。

しばらく来てないけど、
まだ変わってないかしら‥‥
などと、記憶を頼りに歩くと、
おお、ありました、ありました、
「ゲーム・ホビー館」。

で、まずは、周囲をそれとなくチェック。
この時点で「完売チェック終了」
となることも、よくある話ですからね。

‥‥! ‥‥!!!

いま、なにか‥‥。
違和感のあるメッセージが‥‥。

‥‥!!!!!

まさか‥‥‥‥? いや‥‥しかし!

明らかにワンテンポ、
鼓動の速度、上がる。

(つづく)

03/03 20:18

本日の警備報告。

どうも、みなさん、
完売警備員の永田です。
よし完売! 異常なし!

さて、今日は夕方、警邏してまいりました。
どこかというと‥‥「新宿」です!
詳しくいうと、新宿西口電気街!

個人的な話になりますけれども、
新宿西口電気街というのは
ぼくにとって特別な場所です。
かつて中央線沿線に長く住み、
以前の職場が新宿近辺だった
こともあるぼくにとって、ある時期、
とてもよく利用した場所なのです。

簡単にいうと、ぼくにとって、
「ゲームや家電を買う場所」といったら
新宿西口電気街! なのです!

ですから今日の警備は気合いが入ってます。
例によって根拠はないのですが、
なんとなくぼくは、
「新宿にだったら、あるんじゃね?」
と思っているのです!

ぎらぎらと輝くネオンサイン!
何曜日でも何時でも人が行き交う横断歩道!
幾多の名勝負を生んだゲーセン!

ああ、かつてぼくは何度、ここで
ソフトやハードや家電を買ったことか。
品切れっぽかったあれやそれを、
何度売場でひっつかんでレジに行き、
「ためてください」と叫んだことか‥‥。

などと感慨にふけっている場合ではない。
さぁ、行こう、ネオンまたたく電気の街へ。
21世紀の電脳テクノポリス、
新宿西口電気街へ!
西口といいつつ南口から行くほうが
行きやすい気がする、新宿西口電気街へ!

まずは一件目!

「完売いたしました!」

よし、完売! 異常なし!
ええと‥‥つぎは‥‥ええと‥‥。

03/02 23:03

情報ありがとうございます

こんばんは。
完売警備員の永田です。
よし、完売! 異常なし!

それはそうと、
警邏中の本官に(誰やねん)
たくさんの「ここにあるぞ!」メール、
ありがとうございます。

残念ながら、横浜にまっしぐら、
というほど機動力がないため、
せっかくの情報を役立てることができず
申し訳ありません。
ありがとうございます。

そして、「いまAmazonで予約可!」
というメールもたくさんいただきました。
が、言われてのぞくと、
どうやらぼくのタイミングが悪いらしく
いつもやや高めの値段設定‥‥。

身内の乗組員にも
「いま予約できるみたいですよ」とか
何度も言われるんだけど、
なんかダメみたいで。

しかしね、ぼかぁ、こう見えて、
完売警備員歴が長いのでね、
知ってる人は知ってると思うけど、
なにかと完売をチェックする男なのでね、
この感じだとね‥‥いけるね。
近いうちに、それは我が手に入るね。

いや、はっきりした根拠ないんだけどね。
なんていうの? 経験? 感覚?
ほんっっっとに買えないときって、
もっと、どうしようもなくダメなのよ。
瞬殺っていうか、蒸発っていうか、
「ほんとにこの世にあるの?」
っていう感じなのよ。

でもね、この感じはいける。
だってね、なんていうか、
「さっきまでそこにあったよ」っていう
ミナトノヨーコ
ヨコハマヨコスカな感じだからね。
いまのことばがわからないひとは
お父さんかお母さんに訊いてみてね。

なにしろ、その日は近いと、
根拠なく思っている
完売警備員の永田でした。
また明日。
参加メンバーはこの11人