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震災当日/突然

2011年04月20日 | 復旧・復興への取り組み
おはようございます。

今回より,数回にわけて東日本大震災直後の気仙沼地方振興事務所(宮城県気仙沼合同庁舎)の状況と,職員の対応について,お伝えしたいと思います。

私たちスタッフは宮城県に生まれ育った者がほとんどであり,地震・津波に関してはそれなりの知見があったつもりでした。

それにもかかわらず,今回の津波はその想像をはるかに超えたものであったことから,少しでもこの体験を他の方々(そして後世)にも知っていただき,また,何らかの役に立つことがあればと思い,当ブログでも掲載することにしました。


当時,自分は上司・同僚とともに気仙沼合同庁舎4階の職場にいました。

午後2時46分頃,非常に大きくて長い揺れを感じました。

その後まもなく大津波警報が発令されたので,直ちに1階に降り,避難してくる周辺の方々を庁舎(一時避難場所)の4階まで誘導することに。

敷地にて誘導していると,上から「大きな津波がきている!早くあがれ!!」の大声が。

午後3時25分頃だったと思います。

急ぎ階段を駆け上り,職場から海をみると,海面が盛り上がり・・・



合同庁舎前の商港岸壁からみるみる海水があふれ出し,自動車が・・・

 

 

またたく間に合同庁舎の周りは津波にのまれ・・・

 

 

合同庁舎には2階天井裏まで海水が浸水しました。

湾を見ると,岸壁の先端部の方から重油タンクが漂流して・・・

 

津波が引くにつれて,合同庁舎周辺の状況があらわになり・・・

 

津波の危機からは逃れられたものの,

海面には火の手が・・・





文字どおり火の海・・・






(窓から外の様子をみる職員)

津波の状況によって敷地内にこの火が流れ込むやもしれない状態が続き,避難された方々,私たちとも一晩中極度の緊張状態に。

やがて夜が明け・・・

 

合同庁舎には周辺の方々約200人が避難しており,職員とあわせ300人近くが孤立してしまいました。

ヘリコプターの音が聞こえ始めたものの,合同庁舎周辺に着陸する様子がないため,屋上に文字を記したり,私たちの存在(生存)を伝えようと試みました。

よもや東日本太平洋側の沿岸各地が同様の状態などとは,この時点では知る由もありませんでした。

少し長くなったので,続きは次回お話したいと思います。 (Y.N)

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2 コメント

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みなさん、ご無事で何よりです。 (ブランのママ)
2011-04-21 21:30:23
パニック映画さながらの光景に我が目を疑いました。
200人もの住民の方々を保護しながらとは、スタッフの方々には大変なご苦労であったこととお察しします。
本当にお疲れ様でした。
Unknown (Y.N)
2011-04-25 10:10:14

ブランのママ様,ご声援いつもありがとうございます。

スタッフ一同,復旧・復興に向けて頑張って行きたいと思いますので,引き続きよろしくお願いします。

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