傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

光る丘の向こうに消える

 皆で草原を歩く。彼も皆と話しながら楽しそうに歩く。それから、ふとそこを離れて、草原の向こうに何かを見つける。いくらか離れる。わたしはその姿に声をかける。強い陽の光が邪魔をして、彼の姿がいくらか抽象的な彫像のように見える。
 彼はわたしより少しだけ早い足取りで歩いているのだろう、追いつきそうで追いつかない。足元は傾斜していてわたしの足はいつもより遅い。わたしが声をかけても彼は、振り返って手を振るばかりで、わたしから遠ざかるばかりで、戻ってきてはくれなくて、遠い顔も高く挙げた手も上機嫌なかたちをしているのに、どうしてかわたしは、ひどく不安になる。あの丘の向こうが巨大な穴で、楽しそうに笑って手を振る彼だけがそれを知らずにいる。そんなふうに思う。

 あれはなんだったんだろう。
 わたしは言う。いつだったかな、けっこう前のことだと思うんだけど、ほら、ちょっと異界みたいな雰囲気の、草原と低木の山の、その草原の中を、何人かで歩いたことがあったでしょう。島でキャンプしたときだったかな。あのとき、あなたは視界の中にいるのに、あなたがいなくなるような気がしたのよ、それで急に怖くなったのよ、ちょっと離れて散歩するなんてよくあることなのに。
 結局もちろんなんでもなかった。でもあのときのことわたしときどき思い出すの。
 彼はこたえる。
 それはいま、海辺にいるからでしょう。
 あなたの言うのは、たぶん島でのことではなくて、阿蘇の草千里を歩いたときのことだよ。浜とあだ名のつくような景色だから、海っぽいところにいると思い出すし、島での話だと思ったんじゃないかな。皆でキャンプした島にはそんな丘はなかったよ。そして僕とあなたとそれ以外の大勢で広々とした自然の中を歩いた経験は他にはないよ。あとはぜんぶ二人でか、せいぜい二組での旅行。
 わたしたちが一緒に行った旅行と一緒に行った人々の名前を、古いほうから順繰りに挙げてみせて、彼は少し笑う。
 よく覚えているなあ、とわたしは思う。わたしたちはしょっちゅう二人で遠くへ行くし、お互い一人旅もするし、互いの友人たちとも旅行する。だからわたしは誰とどこへ行ったかあっというまに忘れてしまう。このたびの海だって、何度目の海かわからない。ビーチ。浜。磯。港。干潟。船。青。白。灰色。さざなみ。白波。朝の海。夜の海。
 よく行きたくなるくせに、わたしはほんとうは、海がそんなに好きではない。怖いからだ。街の怖さや山の怖さは知識と用心で確実に削減できる怖さだ。うまくつきあうことのできる怖さだ。海の怖さはそうではない。海は、中に入らず横目に見ながら歩いているだけで、どんなに穏やかなようすでも、何かが怖い。

 彼は言う。
 でもあなたの記憶は書き換えられている。草千里を上機嫌で歩いて行ったのは、僕じゃなくてあなたのほうだ。だって僕はその前に丘をかけ登る競争に加わって全力疾走してぜえぜえ言ってたんだから。あなたは走らずにのぼってきたから余裕で、走り疲れた僕らを置いて灌木の花を見に行ったんだよ。
 そうとも。
 歩いて行ったのはあなたです。不安になったのは僕のほう。追いかけたのは僕のほう。賭けてもいい。あのときはまだ今よりは若くて、草が生えている傾斜があると走ってのぼってたんだから。どうしてかそうしたくなるんだよ、体力が追いつくなら今でもそうする。あなたは昔からそういう、晴れた日の犬みたいな人間じゃなかっただろう。
 だから僕はどうにか息をととのえてもう一度走ったんだ。あのときはしんどかったなあ。
 どうしてか不安になってね。

 そうだったろうか。
 そのような気もするし、そうでないような気もする。

 彼はあのとき不安になったのだと言う。
 それならいつもは不安ではないのだろうと思う。わたしはそうではない。わたしはいつもどこかで薄く、この人が突然いなくなると思っている。もうずっと一緒にいるのに、そう思っている。ずっと一緒に暮らしているのに、そう思っている。向こうに目を遣ると、棒きれみたいに細長い、昔の姿の彼がいて、そのころよく着ていた、生成りの麻のシャツが揺れる。あのシャツはいつだめになったのだったかしら。彼はあんなに足が早かったかしら。わたしと手をつないでいなかったかしら。もうあんなに遠くにいる。手を振って笑って、でも足を止めてくれない。強い陽の光が邪魔をして、彼の姿は、いくらか抽象的な彫像のように見える。

ウニ丼と無思考

 三家族の大所帯で海辺の町を旅行し、帰る日のお昼に名産のウニを載せた丼を食べた。
 帰宅して洗濯機を回しながら家族が言う。さすが生産地、質の良い海胆だったね。ちなみにどうやって食べた。
 わたしは自分の昼の行動を思い浮かべる。通常の丼ものはおかずとごはんの配分を均等にして食べるが、海鮮丼は例外である。酢飯でない普通のごはんとあわせるとき、たいていの刺身は単体かごはん少なめのほうが美味しい。だからまずは海胆をつまみ、海胆と少量の米飯を試し、わさび多めと海胆の組みあわせにごく少量のコメを「このたびのベース」と決め、半分食べたところで、中央に落とされていたうずらの卵を慎重に拾ってミニ卵かけごはんゾーンを作成、香の物とともに気分転換ポイントとし、その後、海胆に戻った。
 わたしの話を聞き、彼はおお、と嘆息した。わがベターハーフよ。さすがだ。おれもまったく同じことをした。愛をあらたにした。
 うずらの卵一個であらたまるとは安い愛である。二十円くらいだ。

 わたしは尋ねる。まさかあなた皆が何の疑問も持たずにうずらの卵と海胆を混ぜて食べているのを見て何か言ったのではないでしょうね。
 彼はなぜかドヤ顔をする。言ってない。おれにも社会性というものがある。でも心の中では、とりあえず無批判に卵黄を載せる昨今の風潮はいかがなものかと思っていた。あとチーズのっけるやつ。安直に脂質と塩分の魔力に頼るな。無思考そのものだ。
 そうだね、とわたしは言う。でもそういう考え方は、まったくもって普通じゃないんだよ。わたしたちはグラム98円の肉を調理するときも近所の居酒屋に行くときも星つきのレストランに行くときもバカみたいにものを考えてめちゃくちゃしゃべるよね。マンション買うときの決め手のひとつも食生活の豊かさだった。そんなの大半の人にしてみたら気持ち悪いんじゃないかと思う。
 そうだなあ、あなた基本ユニクロで服買ってたまにアローズでしょう。それは無思考なんじゃないの。わたし学生時代におしゃれな友だちから「セレクトショップで揃えたらそこそこおしゃれにまとまるに決まってるだろう。若いうちから美意識のアウトソーシングに頼りきりになるとは何という怠惰」って言われたよ。本当だなあって思った。で、年とるまでそのまま怠惰にやってるんだけども。

 彼は視線を下げる。そして言う。そうだね、おれの服装は、食い物でいえばふだん吉牛食ってたまにロイホ行く人だね。
 牛丼チェーンに行ってファミリーレストランに行って買い物帰りに駅ビルで食事する人のことどう思う。
 わたしは尋ねる。彼は即答する。貧しいなって思う。それから天をあおぐ。おれだ。それ、おれ。ファッションにおけるおれ。ぜんぜん貧しくない。
 でもさあどうせ新宿にいるなら駅ビルじゃなくてちょっと歩いて三丁目とか地下鉄で荒木町あたりまで出たいし、池袋駅前にいたら要町あたりまで行くほうがぜったいいいじゃん。気分でいろいろ選べるしさあ。
 わたしはおしゃれな友人を憑依させる。ユニクロいいよね。でもいつも無条件で同じサイズを買うのはどうかな。いま着てるそのシャツならワンサイズ下がいいよ。サイズ別に試着してから買った? あと靴下が黒なのが、うん、ちょっと、わからない。今日の組みあわせならどう考えても茶系だし、足首の見え加減を考えたらその長さじゃないよね。もっと合うアイテムを持ってるのに選ばないのはどうして。持ってるものを組み合わせるだけでしょ、お金もかからないよ。
 彼は言う。うん、そういう人がいつもおれの目の前にいて思ってることぜんぶ口に出したら、おれは呼吸しかできない生き物になります。吸って吐くだけ。無思考で黒の靴下はいて、息吸って息吐いてるだけの人。

 わたしはろくに映画を選ばない。わたしの好みを知っている人がすすめてくれた映画を何も考えずに観ている。映画選びにおいても「セレクトショップ」に頼りきりの無思考パーソンである。何なら大半のものごとにおいて無思考パーソンである。というか、だいたいのことに関して無思考なのではないか。
 食べ物はねえ、と彼は言う。世間で「食べ物についてよく考えるのはいいことだ」「文化的なことだ」みたいな風潮があるから余計によくないんだと思うね。だからおれとかが図に乗りやすいんだよ。ちょっとでもえらそうにしたらおしゃれな人が来て頭のてっぺんからつまさきまで眺めまわして率直に意見を述べてくれるシステムがほしい。

自分ひとりの皿

 仕事やめたんだあ。
 友人が言う。皆が一斉に失業保険について質問する。もうやったか。自己都合退職でももらえる。手続きはこう、必要な書類はこう。
 その場にいる全員が失業保険の申請をしたことがある、または申請方法を調べたことがあるのだから、就職氷河期世代とはせつないものである。資格職外資大学院入りなおし中途採用公務員、そんなのばかりである。
 しかし、五十近くともなると職が落ち着き、転職がぐっと減った。だから仲間うちで仕事を辞めたという話が出るのは久しぶりなのである。
 退職したという友人は、失業保険ねえ、とつぶやく。めんどくさい。
 皆がいっせいに、もったいない、と言う。もらえもらえと言う。

 しかし、よく考えればこの女には昔からそういうところがあるのだ。
 彼女はふだんはパワフルだ。早くにできた子どもが二人いて、若くして配偶者を亡くし、親類や友人や、もちろん自分の能力と時間も含め、手持ちのリソースをフル活用して子育てしながら労働する、丈夫な働き者だった。子どもたちの教育費も自分の稼ぎでまかない、下の子が高校生のころまでは毎日のお弁当も作っていた。そうしておしゃれで、おしゃべりで、たいへんな料理上手で、外食も好きで、友だちが多く、地域のバレーボールサークルの主力でもあった。エネルギーの総量がとても高い。
 でもこの人は突然何もかも面倒くさくなることがある。何年か前、上の子が独立し、下の子が修学旅行に出ていて一人だというから、自宅に遊びに行った。すると彼女は午後三時にカップ麺の素うどんを食べていた。素うどんが悪いとは言わない。わたしも家でよく素そばを食べます。でも午後三時がその日最初の、おそらく最後の食事なのは健康的とはいえない。
 めんどくさいんだよう、と彼女は言った。あなたの言う素そばって、乾麺をゆでるんだよね。えらいなあ。

 めんどくさくなるときって。考えながらわたしは言う。自分だけのときだよね。
 彼女はしばらく視線を斜め上にやる。それから、そう、と言う。受け答えの速度までいつもより遅い。
 それからつぶやく。下の子も大学を出て独立したし、もう、いいよねえ。

 それからわたしたちに「これ要る?」と何枚かの写真を見せる。いくぶん高価そうなかばんがいくつか、ゴールドやプラチナのアクセサリー。これよくつけてたじゃない、と誰かが言う。うん、と彼女は言う。なんか、もう、めんどくさくて。
 装いをこらし、美味しいものを作り、友人たちに、たとえば「上海蟹の季節だから食べに行こう」と呼びかけてツアーをやる気力はもう出てこないのだというようなことを、彼女は言うのだった。そうして、幸いみんな元気だしねえ、とつけ加えた。
 そういえばこの人がイベントを企画するのは、誰かに何かあって少し元気がなかったり、気分転換を必要としているときだった。わたしの知らない他のコミュニティの友だちに対しても、そうだったのかもしれなかった。子どもたちに対しても、教育やケアが必要な時期だったから、あんなに細やかだったのかもしれなかった。

 これからは自分を楽しませたら、いいのではないの。誰かが尋ねる。彼女はそれに直接回答しない。うーん、しばらく無職やって、あとは自分の食い扶持だけ稼げばいいかなーって思う。食事? 大丈夫。カップうどんを箱買いしてる。
 カップうどん、好きすぎだろ。わたしがそう突っ込むと、だって、と彼女は言うのだった。美味しいものって、疲れるじゃん。情報量が多いっていうか。ひとりでそんなの食べてもしょうがないじゃん。

 わたしは衝撃を受けた。わたしはひとりで凝った料理を作って食べるのがとても好きである。一人旅も好きだし、読みたい本も無限にある。もちろん人に何かを振る舞ったり一緒に楽しむのも好きだが、基本的に自分のために何かしている。
 この人はそうではないのだった。
 それは才能だよ、と彼女は言う。わたし、ひとりで何がしたいかって訊かれたら、寝てたい。おなかがすくのもめんどくさいからできるだけ空かないでほしい。

 思い返せば彼女はいつも、誰かのために何かをしていた。そうして今、子どもたちは立派な大人になり、両親は感じの良い老人ホームに入っている。友人たちも元気で安定している。経済的にも困っていない。
 それはとても、いいことだ。彼女の人生の果実だ。
 でもわたしたちの寿命はきっと長い。この人はその年月に飽いてはしまわないだろうか。そう思って、少し怖くなった。彼女抜きで友人たちと会議をしようと思う。彼女には何かが必要だ。食べたいものを選んで皿の上に盛りたくなるような、何かが。

愛していないと言ってくれ

 友人が、わたしのことをうらやましいと言う。
 わたしにとってここには二重の、いずれも非常に大きな驚きが含まれている。第一にわたしには友だちがいなかった。だいぶ大人になってから、何人かの友だちができた。本当に嬉しいことだし、何度でも驚く。第二に、わたしは友人からうらやましいと言われるような人間ではない。まったくない。謙遜だとか、そういう水準の話ではない。わたしは愛されずに育った。今でも、愛しやすい人間ではない。
 仕事をして自分を食べさせているのは、働けない事情のある人にはうらやましいかもわからない。しかし友人たちはみんな働いている。わたしをうらやましいという要素は、だからない。

 あなたは大人気になるタイプではない、と友人が言う。でもわたしは、あなたがとてもうらやましい。人生の早い段階で明確な方針を立て、逆境の中で的確な努力をしてきた。今でもしている。そして、十代のうちに親をきっぱり諦めている。これが何よりうらやましい。親に恵まれなかった人間はそれぞれの困難を味わうものだけど、その中でもものすごく予後がいいんだよ、早々に諦める能力があった人は。
 予後、とわたしは言う。予後、と友人も言う。病気でないのに、とわたしは言う。友人は少し笑う。

 わたしの主たる養育者は母親だったが、薄ぼんやりした自我が芽生えた時点で、わたしはその人を、「保護してくれる存在」として見てはいなかった。わたしの中には幼いころから母親に対する軽蔑の念があった。だからこそ彼女はわたしを愛さなかったのかもしれないが、それ以外にも彼女がわたしを愛さない理由はたくさんあった。中でも容姿は大きな要因だった。幼心にもわかるほど明確に、母はわたしが醜いから、わたしを好きになれなかった。
 わたしが特段に軽蔑したのはその愚かさと卑しさである。
 母はその容姿の美しさと、父親の機嫌を取ることだけで生きていた。子どもはその道具だった。わたしという道具の出来がよくないから自分は不幸だと思っていた。そんなのは本人の行動を見ていればわかることである。
 わたしは図書館に行って本を読んでものを考えてそのように結論づけた。この人は、ものを考えていない。強い存在、カネを持って帰ってくる存在に媚びて生きることしかしていない。自分が強くなろうとは思わない。一般的な正しさーー子どもは分けへだてなく愛するものだーーに沿った演技をするための労力すら払わない(そうしているふりをすると有利な場ではそうする)。
 わたしはそう思って、彼女を軽蔑した。それが間違っていたと思わない。

 それができない人間が多いんだよ。友人が言う。わたしもそうだった。うちは過干渉だったんだけど、三十過ぎまで「でも母は母なりにわたしを愛していたのだから」と思っていた。でも過干渉は愛ではないの。あなたのおうちと同じように、子どもを道具にしていたの。わたしはいい年になるまで、そんなこともわからなかった。母を諦められなかった。母に愛されている自分でいたかった。問題は愛し方や相性なんだって、そう思っていたかった。そこで停止していた。だからわたしの問題はこじれにこじれてちっとも解決しなかった。
 それは、とわたしは思った。わたしの家とは違って、そのひどさが明確でなかったという、それだけの話じゃないのだろうか。友人の母親は、話を聞くかぎりわたしの母親ほどあからさまにひどくはなく、友人は少なくともわたしのようにわかりやすい欠点を抱えてはいない。
 それは違うと思う。友人は言う。あなた自身に関するあなたの認識の正誤や是非はさておいて、世の中には殺される直前まで養育者を諦めない人もいるんだよ。「愛してほしかった、しかし愛されなかった」と認めるのは、誰にでもできることではない。あなたはやってのけた。冷静に、ひとりで、やってのけた。本当にすごいことだよ。

 すごいのだろうか。すごいかもしれないが、それは「すごく冷酷だ」とか「すごく常識知らずだ」とか、そういうすごさではないだろうか。
 そう思う。でも、言わないことにする。口にすれば、わたしはこの友人を、「そうでない」と言われたい自分の道具として扱うことになる。そのように思う。わたしはただこの友人の好意を受け取り、「そう考える人もいるのだ」「ありがたいことだ」と感じるままにしていればいいのだ。そう思う。
 このように考える自分を、時間をかけて、わたしは育てた。
 愛していない人がみな、愛していないと言ってくれればいいのにね。わたしはそう言う。友人はうつむいて少し笑い、ほんとうにね、とつぶやく。

自由意志と家の中に落ちている靴下

 同僚ふたりが目の前で次々に話題を繰りだす。わたしたちはいずれも四十代の女で、ひとりは娘が小学六年生、もう一人は子どもなしの二人暮らしである。彼女たちはふだんから早口なのだが、退勤後に食事やお茶に行くとさらに早口になる。言いたいことがたくさんあるのだ。
 彼女たちの話題はめまぐるしく入れ替わる。職場の人事異動について、担当したプロジェクトについて、今後の組織改編について、それから私生活について。彼女たちは何に関しても明瞭な意見と長期的な方針を持っているように見える。ふたりがふとわたしを見て、「この人なんで黙ってるんだろう」という顔をする。仕事の話や趣味の話や食べ物の話をしている間は、わたしもよく話すからだろう。わたしはいくらか目をふせて、しょうことなしに少し笑う。

 家庭の話になるとわたしはあまり話すことがない。子どもはひとり、もう大人で、家を出ている。夫とふたりの生活には変化というものがない。家事は昔に比べてたいへんではない。全自動洗濯機もロボット掃除機もある。食器洗い洗浄機は必要ない。家族の数が少ないと、皿洗いは手を洗うほどの手間でしかないようにわたしには思われる。
 立派だなー、とひとりが言う。ロボット掃除機だから掃除の手間がないなんてことないでしょ。ロボット掃除機を掃除する必要がある。夫はそこのところをぜんぜんわかってないの。それでこの前おこっちゃった。あの人、ようやく自分の洗濯物を自分でまとめて自分でたたむようになったんだけど、なにしろ独身のころから買ってきたものを食べて掃除もろくにしない人でね。わたしはまあ、わかってて結婚したからいいんだけど、でも今はわたしだけの問題じゃなくて、娘の教育によくない。同じように働いてるのに男のぶんまで家事するのが当然だなんて、娘には思ってほしくない。だからこの人の家に娘を連れて行ったりしてるの。料理してる男性を見せたくて。
 そう言われたほうの同僚は、ことのほかつんとした顔をつくってみせる。彼女のパートナーは家のことを何でもする人なのだそうである。助け合わない人間と一緒に生活する理由はない、と彼女は言う。わたしは、障害があるのでもないのに自分の身のまわりの面倒も見ない大人は、生理的に無理。でもあなたはとにかく相手の顔が好きで結婚したのだから、いいじゃない。その信念の強固さについては、わたし尊敬してるんだ。面食いもそこまでいけば立派なものだよ。
 ふたりはパートナーシップのあり方について侃々諤々と話す。それからまたわたしを見る。わたしは今度は目を伏せずに笑う。そして言う。ふたりとも立派だね、ちゃんと考えて人生を決めていて。

 わたしは親同士が仲の良い近所の子どもだった人と、今でも一緒に生活している。好きだったのかと言われれば、もちろん嫌いではなかった。しかし絶対にこの人がいいと思っていたのでもなかった。まして、この人が好きだからこの人のぶんまで家事をやろうと思ってしてきたのではない。ただ大きな波が来て交際して結婚して二人分ないし三人分の食事をつくって皿を洗って脱ぎ捨てられた靴下を拾って生きている。子どもだって作ろうと思って作ったのではなくて、できたから学生結婚と休学と出産をした。そうしてずっと、生まれた町の、自分と夫の両親の家の近くに住んでいる。
 それだけである。

 意思がない、とわたしは言う。わたしの意思で結婚して子どもを持ったのではない。誰かと戦って何かを勝ち取ったことがない。ただ許された環境にいて運良く食い扶持を稼ぐことができて、それなりにキャリアを築くことができた。それがわたしの意思だったのかと言われると、そうじゃないと思う。わたしは勉強しろと言われて勉強して、職場で求められることをして、家事も育児もわたしがするものだと思ってた、ううん、思ってさえいなかった。ただしていた。そのための努力はしてきた。でも、努力しようと意思してしたのではない。わたしはただ、たまたま睡眠時間が少なくても平気で、体力があって、それで。

 そうだろうか。
 ひとりがつぶやく。
 あなただけ意思がないなんてことはない。わたしだって、職場でできることをしているだけの人間だよ。家族だって、なんだかよく家に来て、長く居て、居ると気分が良くてラクで、だから一緒にいて、今もそうしているだけだよ。子どもがいないのも子どもがやってこなかったからで、いたらいたで育てていたと思う。わたしは、こんなに主張の強い声のでかい人間だけど、でも、ほんとうは環境の変数の合計にすぎないんだと思う。
 わたしはもう一度目を伏せる。そんなことはない、と思う。

乞食の顔をしている

 人からよくものをもらうたちである。
 若いころはもらうに相応の理由があった。貧しく、かつ身よりがなかったのである。そういう人間が知り合いにいて、たとえばまだ使える冷蔵庫があるけれど新しい冷蔵庫が欲くなったとき、「あの人にあげようかしら」と思う、そういう心の動きは想像しやすいものである。
 しかし、今は貧しくはない。具体的にいえば、わたしに冷蔵庫をくれる同僚との給与の差はあまりないと推測される(わたしたちの待遇は同一の給与テーブルに基づいていて、職位が同じだから)。
 まさかこの年でもう一人子どもができるとは思わなくてねえ。同僚はあっけらかんと言う。冷蔵庫を買い替えてまもなく二人目の子どもができ、冷凍技を駆使して小学生と乳児と大人ふたりの食生活をおぎなっていたら、大容量の冷蔵庫が欲しくなったのだそうである。
 そのようにしてわたしは、たとえば冷蔵庫をもらう。いくぶん高価な鞄をもらう。少し欲しいなと思っていた鋳物の鍋をもらう。SIMカードを入れ替えれば使えるスマートフォンをもらう。小さいものもあれこれもらっている。「スーパーで詰め放題をやっていて、つい詰め過ぎたから」とか、「チケットが余ったから」とか。
 わたしはずっとそんなふうだったから、ちょっとしたお礼を選ぶのがやけに得意になった。とはいえ、雨の日の道端で知らない人から傘をもらったときなどには、ことば以外にお礼も何もないのだけれど。
 わたしのこのような性質について、わたし自身は「かわいいからくれるんだよねえ」と思っている。この場合の「かわいい」というのは外見や発話や仕草に対する形容ではない。「何かしてやりたいと思わせるトリガーがある」という程度の意味である。
 しかし、ほんとうはもっと適切な語がある。学生時代に、面と向かってこう言われた。
 乞食の顔をしているからだよ。

 わたしはひどく感心した。きっとそうなのだ、と思った。「かわいいからあげる」という語のある側面を過不足なく切り取った、みごとな言い回しである。わたしのその性質をさす語として、「かわいい」などというマジックワードよりはるかにシャープに意味をなしている。もちろん好意から来る表現ではないだろうが(なにしろ放送禁止用語である)、わたしは、自分にとって重要でない対象の発したせりふなら、いや、もしかすると重要な対象が発したせりふであっても、好意より正確さや的確さに価値を感じる。
 そんなだから、ただ悪意で言われたとしても、わたしは感心したのだろうが、そこには悪意や嫌悪以外にも何かがあるのだろうなと、ぼんやり思った。
 そのせりふを発したのは学生時代に近隣のゼミにいた、いつもきっちりお化粧して髪を巻いている、真面目な学生だった。帰りが遅くなると、彼女はわたしの研究室をのぞき、わたしがいると声をかけ、車に乗せて送ってくれた。最初に送ってくれたときにわたしの住んでいる建物を見て絶句し、以降そのことを、たぶんずっと気にしていた。そうして時おり、わたしのあれこれについて、「女の子なのに」と小さくつぶやくのだった。裕福な両親が購入した自家用車が象徴する何かを、おそらくは彼女なりに感じる不公平のようなものを、いくらかは世界に還元しなければならないと、どこかで思っていて、それでわたしを送り届けているように見えた。
 ありがとうとわたしは言う。別に、と彼女は言う。常にはたおやかな言葉づかいなのに、運転している時だけ、ぶっきらぼうな声を出す。そうして作りものみたいにきれいな果物や贈答品をばらしたのであろう個包装のお菓子をさして、「それ、持ってって」と言う。機嫌の悪い、どこかふてぶてしいようすで、フロントガラスだけを見て、言う。こんな顔、みんなにはしないのな、とわたしは思う。
 昔の話である。

 台所に据えられた新しい冷蔵庫を眺める。冷蔵庫は小さくうなっている。表面はガラスなのだそうで、わたしがぼんやりとうつっている。何も考えていない顔だ、と思う。いらないものを差し出されたら遠慮なく「いらない」と言い、必要なものを差し出されたら喜んで受け取り、あげたりもらったりする両者の釣り合いを考えて気を揉むような社会性がなく、何かを差し出して「失礼にあたる」ことの金輪際なさそうな、ぼけっとした顔である。
 格好のいい冷蔵庫だわねえ。わたしはそのように言う。冷蔵庫はぶん、とうなる。表面にぼんやりと、人の姿をうつしている。きっと、乞食の顔をしている。

永遠から少し離れて

 かつて希望は永遠だった。だから無根拠に何でもできる気がしていた。絶望すればそれもまた永遠で、だからそれは地獄なのだった。愛は永遠だった。憎しみは永遠だった。

 しかしそんなのはもちろん、永遠ではないのだった。わたしの希望は今や具体の水準まで縮み、わたしの絶望はわたしが寝れば一緒に寝つくほど弱く、愛は「お互いがお互いを思いやってうまいこと暮らしていけるなら、その間は続くかもね、そうじゃないかもわからないけど」という程度の重さしかもたず、憎しみに至ってはときどき夜明けの夢に影を落とす残滓にすぎないのだった。
 それはわたしが年をとったからである。
 若いときにだって、人生が永遠でないことはわかっていた。いつか死ぬのだと思っていたし、それがとても怖かった。同時に「いつか」と今のあいだは、永遠と見まごうほどに長かった。わたしの希望はそこを目指して飛んでいった。小さい点になって見えなくなって、見えなくなってもずっと飛んでいることだけがわかった。だからそれは永遠でしかないのだった。
 今はそうではない。

 若いころに身の裡の何かが永遠のように見えるのは、事実と異なるという意味では愚かだが、主観的にはいいことだと、わたしは思う。永遠のような何かを見なければ抜けることのできないどこかを通り過ぎなければたどり着けない小さな場所が今ここなのだと、そんなふうに思う。
 でもあなたは永遠の愛なんて誓ったことはないじゃない。若かったときにだって。
 彼が言い、わたしはこたえる。ないよ。だって愛は永遠じゃないからね。何を言っているんだろう、そんなの当たり前のことじゃないか。十代のころから知っていたよ。それに、永遠の愛みたいなものを誓わせる連中のやり口が、わたしは昔からすごく嫌いなんだ。だからたとえ愛が永遠に見えるときにだって、そんなことはやらないんだ。わたしのまぼろしの永遠はわたしだけのものだったし、今はもうない。
 そしてそれはいいことだと思っているよ。愛をやりましょう、永遠じゃないほうの愛を。地味で小さくて、てのひらに載せれば重さのあるほうの、あなたの手の中で潰すこともできるような、個別具体的な愛を。

 永遠から離れて、わたしはつまらない有限の生活をやる。あと一万回か一万五千回かの夕食を食べ、そのうちのいくらかを同じ人とともにし、いくらかを別の人とともにし、またいくらかを一人で片づける。春になればシャツを買って百回着て百回洗ってそれから捨て、新しいシャツを買って百回着て百回洗い、それを百回繰りかえす。
 もちろん、それらはもっと少ないかもしれない。でもたいした違いではない。万とか千とか、それくらいの数しか、わたしには残されていない。
 年をとるというのはそういうことである。
 そしてその数の中にはまだ少し、永遠の気配がある。だってそれは一ではないからだ。十でもないからだ。一万回の夕食を、ありありと思い浮かべることができないからだ。
 わたしの想像力がとぼしくてよかった。あるいは頭脳がすぐれていなくてよかった。そんなふうに思う。一万回の夕食のパターンを何通りでも思い浮かべてその味を脳裏で再生することができたなら、さぞかし食欲が失せるだろう。

 わたしは愚かだから、この先の自分が有限であることの実感が、まだ完全でない。まだいくらかは、「いつか」と今のあいだに見えない部分がある。だから永遠が見えなくても、手を伸ばすことはできる。わたしの希望はもう、まっすぐ進んで小さな点になって消えることはないけれど、薄ぼんやりした霧の中に入ることは可能なのだ。
 先のことなんかわからないんだから、とわたしは言う。もう一回仕事を変えるのもいいな。今の仕事なんか、勤務先どころか業界ごとなくなっちゃうかもわからないんだからね。そしたらもう一回進路を考えて、悩みながら勉強したりして、生き延びようと必死に努力して、ねえ、そんなの青春じゃないか。恋もしようかしら。こういう糠くさいのじゃなくって、身も世もない恋に落ちるやつを。そしてなんやかんやあって外国で知らないことばを話して知らないものを食べて知らない人たちにかこまれて暮らすの。いいと思わない?
 いいと思う、と彼は言う。雑な返事である。そして言う。長生きしますよ、あなたは。
 わたしもそう思う。頭の片方で死ぬまでの夕食のカウントダウンをしながら、もう片方で永遠の気配をはらむ霧をながめている。