福島第1原発事故 避難範囲、なぜ国内外で違うのか
東京消防庁や自衛隊、警視庁機動隊の放水活動、東京電力社員などの懸命の働きもあり、福島第1原子力発電所の状況は19日には「一定の安定状態」(枝野幸男官房長官)に至った。放射線被曝(ひばく)の危険をかえりみず作業にあたっている人々には心から敬意を表したい。
放水の効果を明確に評価するのは難しいが、3号機の使用済み核燃料プールには多量の水が注がれていることは確かなようだ。一方で、東京電力などによる外部電源の引き込み作業も進んでおり、2号機などが停電状態から回復する可能性が見えてきた。現場の事故対応は、水素爆発や火災など次々と起こる異常事態に振り回されてきた。ようやく、事故収拾に向け関係者が力を合わせて取り組む作戦が効果を上げ始めた。
しかし、綱渡りの状態はまだ続く。電源が回復しても、原子炉に本来備わっている冷却装置を動かすにはなお時間がかかる。その間に新たな事態が生じることがありうる。20日になって、3号機の格納容器内の圧力が一時高まっている事実が確認された。
チェルノブイリ事故は下回る
不安定で先が読みにくい状況が続く中で、多くの人が心配に思うのは、想定されうる最悪のケースはどんな事態なのか。またそうした事態に至った際にどれくらい広く事故の影響が広がるかという点だろう。
最悪のケースについて、国内外の専門家の意見はほとんど一致している。旧ソ連のチェルノブイリ事故ほどの大惨事にはならないという。核燃料棒が溶けて原子炉が壊れたり、使用済み核燃料プールが干上がって核燃料棒が溶けたりする結果、大量の放射性物質が外部に出ることになれば、大変深刻な事態だ。それでも、チェルノブイリ事故よりましだと、専門家が指摘するのは、主として以下の2つの理由が大きい。
(1)チェルノブイリは原子炉運転中に起きた爆発事故で、炉心では核分裂反応が続いていた。福島第1は地震直後に原子炉が止まっており、現在は核反応は起きていない。原子炉内のエネルギーの大きさが違うという論拠だ。
(2)チェルノブイリ型原子炉は格納容器を持たない。そのため炉心にあった放射性物質が何の妨げもなく、外部に放出された。福島第1の原子炉は分厚いコンクリートと鋼鉄でできた格納容器の中にあり、内部の放射性物質が放出されにくい構造になっている。
つまり、福島第1の場合は、炉心のエネルギーが小さく、爆発などがあっても外部への影響を抑え込む壁が存在するというわけだ。
こうした見方に疑問を投げかける指摘もある。大量の核燃料が溶けたら核反応が再開する可能性があるのではないか。2号機の格納容器は一部(圧力抑制室と呼ばれる部分)で損傷が生じているのではないか。気になる指摘ではあるが、これらの点では専門家も臆測の域を出ていない印象だ。
原子力安全・保安院は18日、原子力事故の重大さを示す国際尺度で今回の事態を「レベル4」からより重い「レベル5」へと評価し直した。チェルノブイリは「レベル7」である。不安を誘う不確定要素はあるものの、チェルノブイリを下回るという判断が現状ではひとまず、妥当といえるだろう。
米が勧告した「80キロ避難」の根拠は
政府は原発から半径20キロ圏からの住民の避難、20~30キロ圏の人々には屋内退避を指示した。一方、米政府は日本にいる米国民に対し、50マイル(約80キロ)離れるように勧告した。この違いに戸惑う人が多いだろう。筆者も同様である。
日本政府の指示の妥当性について、国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長は18日の記者会見で「IAEAの基準に基づき日本政府がつくった法律(原子力災害対策特別措置法)に基づくもの」と述べた。この指示は国際標準に基づくものだという主張だ。
50マイル圏の退避を勧告した米原子力規制委員会(NRC)のヤツコ委員長らは16日(米東部時間)、米下院の公聴会で証言した。下院議員らの関心も「なぜ50マイルなのか」だ。実は米国でも国際基準にほぼならった形で、原発事故の避難範囲は通常10マイル(約16キロ)とされている。日本のケースで「50マイル」というなら、「米国も50マイルに改めるべきではないか」というのが議員の質問だ。
ネット配信された公聴会の録画をみる限り、NRC関係者は、福島第1のケースは影響を慎重に見積もった結果だという意味の答えを繰り返し、何が違うのか明確にしなかった。
しかし、16日付のNRCの発表文の添付文書をみると、理由はある程度想像がつく。最悪のシナリオを描くにあたって、NRCは出力2350メガワット(235万キロワット)の原発を前提にしているように読める。235万キロワットは、出力78万4000キロワットの2~4号機3基分の合計にあたる。
4号機は炉心に核燃料はなく、核燃料の一部破損が指摘された1号機の方は出力46万キロワットなので、合計235万キロワットという数字が福島第1の現状を正確に反映しているといえないわけだが、NRCの念頭には複数の原子炉からの放射性物質の放出があると推測できる。これまで複数の原子炉が同時にこれほど深刻なトラブルに見舞われることがあろうとは、専門家も考えていなかったに違いない。10マイルとか、20キロとかの範囲を決めるにあたって、複数の事故は想定していなかったと思われる。20キロと50マイルの違いはここにあるようだ。
一方、英国政府の科学顧問が15日に在日英国大使館で行った状況説明の詳細について、メールを受け取った。顧問のジョン・ベディングトン教授は、考え得る最悪のシナリオ(1基の完全な炉心溶融と放射性物質の放出)で30マイル(約50キロメートル)圏の避難が妥当としている。同教授は2基以上の場合も大差がないとしている。第3の意見だ。
リアルタイム予測データの公開を
事故現場で懸命の復旧作業が続いている現状では、周辺の避難指示の範囲をこれ以上広げる必要はないようにも思える。しかし、万が一、放水などの作業で制御できない状況に陥っていきそうな場合はどうするか。
放射性物質の広がりを気象条件などを加味してリアルタイム予測できる緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)と呼ぶ装置が日本にはある。財団法人原子力安全技術センターが持っており、18日に日本学術会議が開いた集会で、同センター会長が「計算を進めている」と話した。政府の求めに応じて公開するという。
政府から国民にこうした情報が伝えられないのは、極めて残念だ。
東北自動車道や国道4号線は大震災の救援・復旧の大動脈だが、物資輸送にかかわる人たちの中には、福島第1からの放射性物質が心配で北上するのをためらう人もいると耳にした。
現状では安全にはまったく問題がないことを、道路沿いに観測点を設けさえすれば知ることができる。仮に異変が起きても、SPEEDIを活用すれば、影響が及ぶ前に避難を呼びかけることは可能だ。こうした装備をうまく活用しながら、震災救援と原子力事故の2面作戦に準備の怠りなく当たらなければならない。
ここに記したのは現時点で入手した情報をもとにした推論も含む。読者からの新たな情報や専門家の意見や反論などがあれば指摘してもらいたい。
(編集委員 滝順一)
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